天使のながばなし
maki



 わかりにくいことの意味

自分で詩を書きながら、
他の人のものはあまり読んだことがなく、
読んだとしたら銀色夏生くらい。
それ以外は見かけた程度。
どんなものかと、別の詩集を買おうとするけれど、
どうもレジに辿り着けなくなって久しい。

それが最近「詩の雑誌」とゆう本を見つけて買ってみた。
いろんな人の詩が載っているし、
現代詩についての対談や言葉が載っていて、
まるで別世界のようだ。
まだ少ししか読んでいないけれど、
知らない言葉や読めない感じは出てくるし、
何のことを書いているのか、
わかるような、わからないような、そんな詩がいっぱい。
表現の可能性とゆうものを感じると同時に、
わかりにくいことの意味はなんだろうと思う。
本人の中で明確な形を成していれば、やはり完結なのかな。
私の場合はそうだけど、
それでもわかりにくいものは少ないように思うけど。
自分のものだから当たり前か。
人が読めば、わかりにくいものも多々あるかもしれない。

普段から使わない言葉を知れば知るほど、
使いたくはなる。
例えば、ひとつ気に入った言葉があった。

「掬う」(すくう)

 右側の字は、手をまるめて米や水をつつむようにすくうこと。
 のちに、手をそえた掬の字でその原義をあらわす。
 また、まるく包んだ意を含む。

とゆうイメージを知ると、それを含んだ表現で使いたくなる。
誰に明確に伝わらないにしても、
その漢字を置いたことで、詩の姿は変わるから、
感じることは出来るんだろう。

何でもそうだけど「技」にのまれてしまわないようにしたい。
勉強をして、知り始めた時からしばらくまでが一番陥りやすく、
その後もたびたび。続くとも言える。
結局は何をおいても「心」なのだから。


2004年03月29日(月)
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