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■ 後になってわかること
後になってわかることは多い。 いい事でも悪い事でも、後になると「その時」とは違う印象になる。 冷静かそうでないかとゆうことより、 想いがどこに向かっているかで、それは変わるんだろう。 また、前に書いた詩などを読んで、 まさに「その時」の自分を表しているものに出逢うとドキリとする。 その時の感情のまま書いているのだから当たり前なのだが、 そうゆう意識なく書いたものほど、 まさに「その時」の自分を象徴していたりするものだ。
話すよりも言葉のほうが、その人自身が伝わりやすい。 いい意味でも悪い意味でも、個性がグッと浮き出る。 1人きりでする作業なのだから、邪魔されたり、影響受けることなく、 その人自身が表れてしまうのだろう。 としたら、詩も日記も、私の書くすべては私自身だ。 私自身を表現すること。これをやめたら死んだも同然。 中学から書こう書こうと思ってやってきた訳ではないけれど、 今となっては不可欠で自然なことだったんだとわかる。
不思議なもので書こう書こうと、考えれば考えるほど言葉は出て来ない。 必死に絞り出しても何だか無理矢理で浅はかであざとい。 それが自分でハッキリわかってしまう。 そんな時どうするか。当然やぶり捨てる。 どんなに時間がかかっていても、ダメなものはダメ。 「最悪!」「つまらん!」と叫びながら。 邪念を捨てて、心がゼロに向かうよう待つ。 待たなければならないのはツライ。 乱れる心、考える頭が消えるのを待つ。 書き続けるとゆうことは、 いつもそうゆう精神状態でいなければならないとゆうことなんだろう。
2003年12月09日(火)
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