2004年01月31日(土) |
想い出は美しすぎて。。 |
世間の皆さんに申し訳ないと思いつつ
三男はマスクをして登校してしまいました m(__)m
と言っても 1年と2年は学年閉鎖で3年生だけが試験登校
熱も朝は7℃台でしたが試験が終わる頃には下がっていました
後は喉の痛みと鼻水でしょうか 軽く済みそうです
今のところ家族には移った気配はありません
クラスメートは。。。。しりません ←おいっ
長男がバンド仲間と自費CDを作成するという計画がありまして
そのデモ版なるCD−Rを持ち帰りました
そっとパソコンで再生し ヘッドフォンで聞いてみると
。。。。。。。。。。。うぉっ( ̄□ ̄;)!!
すげぇ!
ヘタッ (T▽T)
出だしのキーボードは和音が揃ってない
音に伸びがない
シンバルが変! タイミングずれてないか?
そもそもどんなシンバル使ってんの 音が安っぽい
ちなみに長男はドラム担当
よくこんなんでCD出そうなどと思ったもんだ
三男に聞かせたら 一発でシンバルが変と言った
そして自分の得意分野であるベースにもチェックを入れる
たまに隣町のライブハウスで演奏しているらしく
ファンもいると言うが。。。。。。。。
さすが 田舎のライブハウスだ (=^_^;=)
どうでも良いがこの実力でプロになりたいなどと
言い出さないでくれと願うばかり
私が高校1年生の時 3年生の男子二人にスカウトされ
予餞会でバンドを組むことになりました
フォークギターとドラム そしてキーボードで
曲目はシグナルの「二十歳のめぐりあい」 陽水の「傘がない」
「時の過ぎゆくままに」「なごり雪」
時代はフォークソングからニューミュージックに移行するあたり
ところが私ときたらフォークソングなんて全然知らなくて
陽水やかぐや姫なんて 何者という感じ
この時 あの名曲?傘がないを初めて聞いたぐらいですから(笑)
ましてバンドなど初めての事で教本しか弾いたことのない私はとまどうばかり
ドラム担当の先輩がアレンジの仕方を教えてくれ何とか着いて行けました
先輩はドラムだけではなくて色々な楽器も使えてそれらも教えてくれ
物事の考え方や見方捉え方までも指南してくれました
私から見たら後ろから後光がさしている神様のように思ったものです
その後 3年間ほど一緒にバンド活動を続け
もちろん その先輩に憧れも抱きました
交際する事も出来たかも知れませんが
でも私はそう言った形でその先輩との距離を縮めるよりも
先輩後輩や友人として先輩から沢山の事を得られる距離を保ったのです
まだ10代だった私にしては良い選択じゃないかと自己満足をしてました(笑)
ところが ある日先輩から 私を仲間以上に思っていたと言われ。。。。。
。。。。。。。。。。。。。エッ マジ?(@_@;)
ちきしょーーーー!
しくじったぜ (T▽T)
と 激しく後悔
だってその時 先輩は私が紹介した友人と交際をしててとっても良い雰囲気
思っていた。。と言うのは既に過去形の話し
まったく なんてこったい です σ(^◇^;)
その後バンド活動も辞めてしまい 先輩はそれっきり姿を見ることもありません
息子のドラムの話しを聞くと あの先輩はどうしているかな。。。なんて思い出します
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