::人は家そのもの 2009年07月16日(木)

私とS子は、初めて出会った時はそれはもう腹の探り合いで。
それから三か月はうわべだけ仲良こよし友達な関係が続いた。

三ヶ月目、それぞれの仕事内容だとかお互いの振る舞いに、お互い腹立って水面下で大げんか。表には出さないけれど、こう、奥でお互いにらみ合ってる的な。それに気が付いた上司に、仕事中で構わないから話し合ってこいと諭され・・・終電まで話し合った。なんとか冷静になりながら、それでも自分にも相手にも言い聞かせるように思っていたことを全部吐き出して。

そのことがあったからこそ、今や彼女にだけはなんでも思っていることを伝えられるし、誰よりも、親よりも素の自分を見せることができているんじゃないかと思う。親にできない相談事も、彼女になら出来る。もう彼女との友情は一生ものだろうと確信が持てるほどの間柄。

わたしは事なかれ主義なので、少しでも喧嘩に発展しそうなことが起きればなんでも先に謝ってしまう。それで落ち着くこともあり、かえって火に油を注ぐことにもなり。どちらへ至っても、それでもどうして怒っているのか、どうしてそう感じたのかその原因がわかればなんでもいい。知ることさえ出来れば、直す努力が出来るから。少なくとも、この人はこういうことが駄目なんだな、ということを理解することができるから。それさえわかれば、その先その人の前ではそういったことをしないよう努めることができる。原因がわからないでなんか避けられたり機嫌が悪かったりすることが、一番気持ちが悪い。

この人はこういうことするから苦手だ。だから、この先関わることのないようにしよう、という考えに至ってしまうのもわかる。だって簡単だし。楽だし。イライラすることもなくなるし、モヤモヤすることもなくなる。でも、もったいないと思う。こういう部分さえなければ仲良くいられるんだけどなとか思うんだったら、それはどんどん伝えるべき、なんだと思う。もちろん言いづらいし相手を少しは傷つけるかもしれないけれど。上司と部下で先輩と後輩でとかだったら尚更だけど。もしかしたら直そうと努力してくれないかもしれないけれど。でも、そうして友情や信頼が続く可能性が少しでもあるならそんなリスク屁でもない。

人間は生まれた時は誰だって本能と体しか持っていなくて、家で例えるなら鉄骨と床しかない状態。これじゃあ誰も住めない。そこに、記憶だとか知識だとか感情という名前の壁を増やしていく。残る人間性は、いうなれば家具で。自分一人で用意することが出来ないもの。環境や人から与えられて初めて得ることができるもの、だと思うわけです。

かくいう私自身全然人間できておりませんが。自分の知らないところで、度々自分の言動で人を不快にさせたりしてしまっているだろう。知らないことは罪じゃないけれど、知ろうとしないことは罪だと思う。

まぁ、そんなのただ人に嫌われるのが怖いわたしの屁理屈で言い訳でしかないのかもしれませんが。でも、生きていく中やっぱり嫌われる人数は少ないにこしたことはないと思うんです。恋情には限りがある場合が多いけれど、友情には限りがないっていう、ね。


2003年07月16日(水) すっとばし

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