もう、なくなったと思う。 でも未だにある場所もあるから、いっかなんて思うんだけど。 部屋で一人ぼんやりしていたら、やっぱり寂しいと思うのである。
昨日は学生寮のころの友達と会って話して、食事してきた。 この四人だけは、なんだが生涯続いていく友達だなぁと思う。 四人が四人離れていてメールもそんなにしないけど、久々にあっても毎日あっている錯覚をおこしながら話をできる、そんな間柄。
居場所っていうのは、なんかのゲームでは「自分で作るものだ!」って言っていますが、でも受け入れてくれる、迎え入れてくれる人も重要。 「作ってもらう」ものでもないけど、「作る」ものでもないと私は思う。 だから年々できてはなくなっていくものだと思います。 そのなかで一生なくならない居場所は、一生のなかで一つか二つあるかないかのものだと思う。
その一つを、ここで作れた気がする。 もう一つは、その人の選択で作れるものだと思う。「家庭」っていうやつですね、いわゆる。 結婚したら、そこは一生の居場所になると思うので。
昨日その場に行ってみて、ああ、ここはもう自分がいる場所じゃないんだなと思った。 だから顔をちらと出してすぐ他に行った。 自分がそうと感じたら、他の人がどう思ってもそうなんだと思う。
とはいえ、完全になくすことなんてしないから、あたしは気が向けば参加するだろう。 自分勝手だけどね。
そんなことを、つらつら考えていた休日。
風が強い日に、自転車をこぎながら空を見ると、 大空を移動する雲と一緒に走っている気がするよ。
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