女房様とお呼びっ!
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2004年08月27日(金) ピノキオ 3

言葉というのは恐ろしい。
ある事象を巡って同じ言葉を使っていても、言葉の解釈が違えば、当然のこと理解も違ってくる。

このとき発覚した、’執事’という言葉に対する大きな解釈の差は、
すなわち、相互の理解に重大な隔たりがあったことを露呈した。
共通の言葉の上に共通の理解があるとは限らない。
そんなことを今更ながらに思い知った。


「私にとっての執事像って、ロボットと同義だったんです…」


さながら一発パンチKOをくらった気分で、ベッドにのびた体に、
最前のイリコの言葉が、じわじわとボディブロウのように効いてくる。
実際、本気でグロッキーになってしまって、返す言葉が出てこない。
というか、衝撃のあまり、思考まで吹っ飛んだ感じだ。
頭の中は、ただただ「ソンナバカナ!?」という驚愕で塗りつぶされて、しばし呆然となった。

一方奴は、私が大人しくなったせいだろう、何事もなかったかのようにマッサージを続ける。
いやもちろん、正確には、奴にとっては何も起きてない。
それどころか、秘中の秘であったロボット妄想を開示したことで調子づいたか、
いつになく饒舌に何事かを語るのだ。
恐らくはそこに、これまで聞くことのなかった、奴には大事な思いの丈があるのだろう。
うちのめされた気分のまま、仕方なく相槌を打つ。


「SF作家のアイザック・アシモフってご存知ですか?
 彼の作品の中に、ロボット工学三原則(*)っていうのが出て来るんですね…」


アイザック・アシモフなんて、トリビアの泉(註:TV番組)でしか聞いたことないやいッ!
腹の中で悪態をつきつつ、奴が語るに任せた。
もっとも、この状況下、すっかり集中力を失っていたために、まともに理解が及ばない。
ただ、奴のM性が醸成される過程で、つまりは奴が自身をMと認識するにおいて、
ロボットという概念が大きく関与していることはわかった。
既にM歴20余年、相当な思い入れがあるのだろう。



小難しい奴の御説はさておき、それにしても…と思う。
徐々に思考が戻って、ひとつの疑問が浮かぶや、それは次第に大きくなった。

’執事’にまつわる解釈が違ったにせよ、私の考えは、その解釈も含めて一貫しているわけで、
そこから発した言葉に、奴は異を唱えてこなかったではないか。
この三年半、いや遡っては、私たちが関係を結ぶために対話を重ねた期間、
奴は私に同調してこそ、共にあったのではないか。

何か問うても返答に窮するや思考停止に陥る奴に、「誠意があるなら思考を止めてくれるな」と言い、
コマンドのみに拘って、状況変化を汲み取ろうとしない態度に、「考えたらわかることは考えろ」と言い、
その度に奴は、コンナハズジャナイノニという含みを匂わせつつも、
うなだれては詫び、今後肝に銘じますと誓ってきた。

もちろん、詫びても善処を約しても、失敗は繰り返された。
けれども、「考えることに抵抗がある」とは、記憶にある限り聞いたこともないし、
いわんや、想像したこともない。

百歩譲って、奴が、自身がMたる理想のロボットぶりを我知らず追い、
そのせいで、無意識に「考えない」傾向にあったと考えよう。
とすれば、従順を旨とするロボットにとっては、
主たる私が呈する苦言や指示には、自動的に従うしかなかったってことか。
―それに納得しようがしまいが、実行出来ようが出来まいが―。

しかし。しかしだ。
奴が考えないことに業を煮やし、私は再三、テキストやメールや口頭で、
「ロボットみたいな奴隷は要らない」と言ってきた。
それに対して、奴はどう思ったのだろう。
作法どおりに「仰るとおりです」と頭を垂れる、その心底に、
少なからず抵抗が生じていたのではないか。



ぐるぐると思考を巡らしつつ、その一方で、
これまで私を散々悩ませてきた奴の言動の不可解さが少しずつ解けていく。

例えば、過去に二度、私を鬱のどん底まで突き落とした、
「話すことはないの?」「そうですね」のやり取りについて。

そりゃあ、ロボットなら、ああした応答になるわなと。
後に聞けば、奴の理想とするロボットは、鉄腕アトムのような人間に近い形ではなく、
もっと原始的なテクニカルなロボットらしいから、実に納得のいく話だ。

同様に、予めプログラムされてない質問には思考停止して当然だし、
状況に応じて変化するコマンドを仕込んでなければ、状況を無視して実行するか、
エラーが生じて動作が止まるのも道理だわと。

まだまだ混乱していたが、これらのカラクリに気付いては、少なくとも悪い感情は起きなかった。
むしろ、ずっと難儀していたパズルが解けていくようで、ひどく高揚した気分を味わっていた。




* 『ロボット工学三原則』については、後日テキストで説明してもらったので、
改めて、こちらでご案内いたします。


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