女房様とお呼びっ!
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2003年03月18日(火) |
戦い済んで夜は更けて #2 |
風呂から上がったイリコに、いつも通りに首輪を掛ける。 これで、何もかもがいつも通りだ。幾分余韻が残るものの、ようやく息が整った感じ。 それは奴にしても同様、いや私以上に胸を撫で下ろした瞬間だったろう。 後から聞けば、「もし首輪を頂けなかったら・・・」という危惧を抱いていたようだ。 仕方のないことと思う。
しかし、怯えながらも奴はいつも通りに私に首輪を差し出して、 「お願いします」と請うた。それに私は応えた。 このやり取りは、奴と関係を結んで以降、一番優先される決め事だ。 埒外の方が見れば笑止な、まさにママゴトっぽいお約束かもしれない。 けれど、それは私たちにとって重要な意味を持つ、縋るべき儀式なんだね。
どれ程の不具合が生じようとも、 互いが互いを諦めない限り、この儀式は私たちを救ってくれるだろう。 殊に奴にとっては、首輪は生命線の象徴であり、明らかに奴の心象を司っているらしい。 後日の報告メールにはこの瞬間の心情が綴られていた。
> バラバラに壊れたものが、少しずつ寄り集まってくるのが感じられました。
首という命に直結する部位に輪っかをはめる意味を思う。
・・・・・。
それから小一時間、私はベッドに腰掛けて静かに話を紡いだ。 奴も静かに床に蹲ったままだった。
どういう風に話を進めたかは既に記憶にない。 恐らく、先刻起きた事の次第を解いてみせるとか、 一年を過ごして今どういう方針でいるかとか、そんな話をしたんだろう。 時々奴の反応を待ったが、そこまでは回復してないようだった。
そのせいだろうか、奴に語りかける一方で、自分自身と対話をした印象が強く残っている。 話の成り行きで、私が幼少の頃から母の支配下にあった話をした。 「私は母の奴隷だったのよ」とも言った。 もっとも、これは以前から時折話題してたことで、特に告白めいたものでもなく、 話題自体が印象を左右するほどのものでもない。
たぶん、私と奴の関係性の対象物として、母と私の関係を持ち出して。 私はかつて自分がそうされたようにはキミを扱いたくないと。 母のやり方は酷かったと。それで私はとても辛かったと。 けれど結果私のような奴隷が出来て、そりゃあ母が執着するのは無理ないねと。 だって、私のような奴隷は理想的だよ?と。 私だって、私みたいな奴隷がいれば欲しいわと。
・・・・・。
話がここまで転がった途端、私は驚き叫びだしそうになった。ナンテコトダ・・・! 嘔吐感を催すほどの衝撃を覚え、本当に口を手で覆ってしまう。 そして、その恐るべき矛盾が身の内に渦巻くのをイメージして、慄いてしまった。 せめて奴が傍にいることで、「吃驚したぁ」とどうにか声は出してみたけれど。
母のようにはなりたくない。のに。母が育てた私のような奴隷が欲しい。 明らかに矛盾した二つの希望。その馬鹿馬鹿しさに、タイプするだけで頭痛がする。 けれど、無意識ながら、両者が並び立っていたのは事実だ。 それぞれを別個に見れば、私は確かにそうしたいんだもの。 自分がわからなくなる。自問しても胸苦しいだけだ。
・・・・・。
いや、冷静に理詰めで考えれば、この矛盾を整合させる術はあるんだろう。 私が母に受けた辛いやり口を、今でもどこか恨みに思うことを、私はしなければいい。 それに、私のような奴隷が欲しいといったって、卑屈なとこまで同じでなくていい。 いや寧ろその卑屈は、母の私が忌避する部分が植えたものだし、これで理屈は合うはずだ。
けれども私は、心底に潜む、正確に言えば刷り込まれているであろう 母に育てられた記憶が、自身の言動に表出するのが本当に怖い。 いや既に、奴隷を持ちたがる嗜好において、それは顕在しているのかもしれない。 だからこの時、心から、子どもを持たなくてよかったと思った。 ここに、第三者的に見れば由々しき錯誤があるにしても。
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