女房様とお呼びっ!
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2002年04月25日(木) セックスしたからどーなのよ? #4

「SMの快感にハマったら、フツーのセックスなんて出来ない」斯界の内外問わず、これもよく聞かれる言葉だ。既にSMの快楽を知る人は得意げに、時に自嘲気味にそう告白し、ただ妄想するだけの人は、期待と不安を含んでそう問いかけ、SMを知らぬ人あるいは否定的な人は、僅かな哀れみの色を添えて、そう我彼を区別する。

言うまでもなく、この言葉の真偽も個々人のうちにある。実践者においては「”自分は”そうです」だし、未経験者なら「そうなっちゃうかも」だし、門外漢には「そういう人”も”います」と言うしかない。そして、実践者であり、かつフツーのセックスも好きな私としては、何とはなしに複雑な、落ち着かない気持ちになってしまう。

おかしなもので、人は、全くの個人領域である性行動の指向(嗜好)についてさえも、対抗したがる時がある。ヘテロとゲイ、レズビアンとホモセクシャル、アブとノーマル、ハードSMとソフトSM・・・。そんなのヒトの勝手じゃん?と、今時の人なら皆わかっていようものを。厄介な個人の自意識が、リベラルから人を遠ざけるのか。

・・・・・。

ここで改めて、”あくまでも私の場合は”話(笑)。私は確かに、SM行為でセックスと異なる快感を得ている。セックスと同様、愛するがゆえに行為しても、単なる欲情から行為しても。(と、ここで断っとくと、私は、両者の欲望の利害が一致すれば、愛がなくてもSMは出来ると思ってるんだね。愛のないセックスが出来るように)

更には、セックスと同様、ヤリタイ奴としかヤリタクナイ。この部分で、S的欲情が喚起される相手と、セックスしたい相手が重ならないことは多い。つまり、欲情を支える気持ち(精神性)が相手を選ぶ。相手によって、沸き上がる性欲の種類が違うってこと。だから、セックス相手にあからさまなS的行為をする事はない、たぶん(笑

一方、SM行為の相手とセックスしたい衝動が起こる場合がある。S的欲情のままにファックしたいと言い換えれば、わかりやすいか。つまり、明白にSM行為である鞭や蝋燭と同一線上に、ファックがあるワケだ。なので、私が心理的にもウケ側となるフツーのセックスとは趣が異なり、得る快感も違う。体感的には、はっきり劣るわね(笑

言わずもがなだが、性的快感と体感はイコールではない。精神的な昂揚や満足も与するのが性感だ。同時に、気持ちの如何が体感に影響するのもご存じの通り。だから、フツーのセックス程まんこが気持ちよくなくてもイイのだ。SMファックの醍醐味は、まんこでちんこを喰らう感じ。鞭や蝋燭の代わりに、まんこ使う感じ。OK?(笑

・・・・・。

さて、話は再び”フツーのセックス”に戻る。私自身は、攻守五分五分、対等な位置関係でのセックスってのが好みだ。とは言え、行為の中で、雌としての受動性を発揮し、女陰を男根に圧倒される快感の素晴らしさも知っている。だから、セックスにおける男女位置の印象が、一般に「男が女を征服する」となるのも理解できる。

この一般的な印象が、「femdomSMにおけるセックスの是非」問題の難しさを招く。femdomと真逆の、セックスにおける男女位置。カタチだけ見れば、女王様が奴隷にヤられると解釈される厄介さ。ある部分、カタチから創り上げていくfemdomSM・・・これらの要素が絡まると、容易にセックスねたを口に出来ない事情がお分かり頂けるだろうか。

・・・・・。

私が旧い、疎いだけかもしれないが、femdomSM関係の具体的なセックス事情を耳にするようになったのは、ネットを介して、皆が本当の等身大を明かし始めてからだ。


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