女房様とお呼びっ!
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2001年05月22日(火) 首輪物語 #1

実家にその犬が姿を見せていたのは、私が中学生時分から数年の間だ。丁度今日のような、夏にさしかかる前の雨の日に、その犬は我が家に現れた。コンクリートの叩きに屋根を設えただけの自転車置き場で、雨を避けていたらしい。汚くてみすぼらしい犬だった。後ろ足の腿の部分に肉色の生々しい怪我をしていた。

子供じみた同情から餌をやり始めた。親は多分、居着くから止めろと言った筈だ。でも止めなかった。洗面器に盛られた残飯を黙々と喰う手負いの犬が愛おしかった。餌をやれば犬は懐く。その時刻には必ずその場所にいる。私をみとめて尻尾を振る。それまで犬を飼ったことのなかった私には、それらの全てが魅力的で嬉しかった。

段々と傷が癒えて、びっこを引かなくなった犬は、毎朝登校する私についてきた。けれど校門近く、急に生徒の数が多くなるあたりで、ふいっと踵を返してどこかへ行ってしまう。そして、夕刻近く家の中に人の気配がし始めると帰ってくる。昼間のそいつの姿を誰も知らない。別に繋いで飼っている訳ではないから当然だ。

その犬のことを、誰ともなく「ノラ」と呼び始めた。野良犬だからそう呼ばれただけだ。でも、きっと以前は、きちんと躾をされた飼い犬だったのだろう。教えてもいないのに、お手だのお座りだのの言葉にちゃんと応えた。よしと言うまで、餌は喰わなかった。何だか人の言葉をすっかり理解してるような、とても利口な犬だった。

ノラが出入りするようになって、我が家には犬を飼おうというムードが流れ、ある日とうとう血筋の明白な犬がやってきた。父は張り切って犬小屋を拵え、母は進んで名付け親になった。まだ幼く、小さな犬は愛くるしくて、家中が総出で新しい犬に夢中になった。チコ、チコ、チコ・・・日に何度も犬の名を呼び、愛でた。

その頃もノラは餌を喰いには来ていたが、何とはなしに影が薄くなっていたのは事実だ。それでも、名前を呼べばすぐに姿を現した。行儀のいいことには、チコの小屋の付近には足を踏み入れる様子はなく、小屋のない方の縁側に姿を見せるのだ。縄張りのようなものだったのかもしれない。そして、その日もノラは裏庭に姿を見せた。

真夏の昼間、掃き出しの窓は開け放たれ、裏庭からは座敷ひとつ隔てて表が見通せる。表では、父がチコの首輪にリードを掛けようとして、じゃれつくチコに苦労していた。その様に、室内の私達は笑い転げていたのだが、気配を感じて振り向くと、縋るような目をしたノラがそこにいた。ゆるゆると尻尾を振って、こちらを見ている。

それを認めた父が、ノラも首輪が欲しいのか?と言い、私達はまた笑った。皆の視線がチコからノラへと移り、ノラは一層尻尾を振った。まるで、そうですそうですと答えているようだった。父は裏庭に回り、一本の荒縄を手に冗談めかしてノラに近づく。これで繋いでやろうかと呼びかける。剽軽な父の振る舞いにまた笑いが起こる。

果たしてノラは、縄先を握る父の手に擦りつけるように、つっと首を差し出して静止した。それを合図に、父は上機嫌でノラの首に縄を巻き止め、その端っこをお縁の柱に結わきつけた。ノラは、赤い舌をだらりと出して、ハァハァと息を継ぎながら、父を見つめていた。その情景は面白いコントを見ているようだった。やがてコントが終わり、ノラは解放された。

その後ノラがいた数年間、結局、その首に首輪が巻かれることはなかった。鎖で繋ぎ止めることもしなかった。それでもノラは、毎朝のお見送りの日課をこなし、名を呼ばれれば現れ、芸をして愛嬌を振りまいた。まるで飼い犬そのものながら、敢えて「飼う」必要がなかったのだ。ノラは本当は飼われたかったのかもしれないが。

ノラがいなくなったのは、一匹の子犬を産んで暫く経ってからだ。我が家の縁の下の暗がりで産み落とし、裏庭で子育てをした。時々子犬を拝借すると、怒ったような瞳で見つめていた。やがて、子犬が独り遊びが出来るようになり、私達が彼女の仔を飼うことにして、最初の首輪を掛けた頃、ぱったりとノラの姿は見えなくなった。

今でも、犬の首輪を見る度にノラのことを思い出す。そして、私に首輪を掛けて欲しいと願う男たちにノラの想い出話をする。その度に、しんと心が静まり返るような感慨に耽ってしまう。そんな自分が、我ながら少し滑稽だ。笑わば笑え・・・そう前置きしながら語る。こうしてテキストに綴る。なぜなら、それはとても大切な想い出だから。


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