ぶつぶつ日記
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2006年02月19日(日) 安易に考えていたのでは・・・

知り合いの息子さんがフィリピン人女性と結婚する時、
「日本人女性は自分みたいなのとは結婚してくれないから、
フィリピン人でも仕方がない。」
と言ったと聞いて、同じ女性として、
はらわたが煮えくり返るくらい腹が立った。
日本人>アジア人、という発言だけれど、
本人は全く自覚していない、だからこそ、言えてしまう。
男性は、悪気はないのだけれど、無意識だから余計に悪い!

今回の園児殺害の奥さんはメール・ブライドのようだが・・・・。
メール・ブライドで花嫁を探す人の
ある意味切羽詰った状況はわかるが、
でも、国際結婚、
ましてや相手の人となりもわからない、
言葉も分からないという結婚に対して、
安易に考えすぎじゃないかと思う。
幻想に近い希望というか・・・・。

日本人同士でも、出身地の違いで離婚になったり、
どちらかが精神的に苦痛になったりすることが多い中で、
顔は似ていても、違う国から来ると言うことは、
なじむのに、途方もない労力が必要となる。
そのためには、その国出身者の配偶者が、
どれだけ相手の苦悩を理解し、
精神的に支えられるかが重要になるのだが・・・。

私の周囲には、国際結婚組が本当に多いが、
それは、どちらかがどちらかの国へ留学していで出会ったり、
お互いの留学先で出会ったりと、
異国での苦労を経験している者同士が多く、
結婚は、二人の話し合いと行動の結果である。
けれど、メール・ブライドの場合、
お金はかかるけれど、二人の接触はほんのわずか、
ましてや、共通言語がない場合が多いため、
意思の疎通にも第三者(この場合は業者)が介在する場合がほとんど。
そして、農村花嫁に至っては、
周囲にどれだけ、『異国での苦労』を味わった人がいるだろうか?
日本は、『郷に入っては郷に従え』という文化の国である。
異国での苦労を味わったことのない人が、
安易に、「きたんだから、ここの習慣に従うもの」と考えるほど、
『郷に従う』ことは容易ではない。
ましてや、言葉もむずかしいなら、どうしてそうしないとならないのか、
外から来た人に理解してもらうことは難しく、
理解できないのに、ただそうしろというのは、無理がある。

もちろん、来る側にも安易さはある。
今よりも良い生活がしたい、お金もちになりたい。
そういったメール・ブライトの正直な欲望を
どれだけ冷静に理解している相手がいるだろう?
幻想に近い希望と前述したのはこういうことだ。
来る側は、とにかく『良い生活』という幻想に近い希望を持ち、
迎える側は、日本式の『良い花嫁』を期待する。
その良い花嫁はいまだ、「従順で素直な良妻賢母」ではないのか?
そして斡旋する業者は、
異文化理解のレクチャーを双方にするわけでもなく、
会わせて決めて、それでお終い。

たとえ何があっても、罪のない子どもを殺すことはしてはならないし、
同情も理解もできない。
しかし、それと同じように、
結婚や外国で暮らすことを安易に考えるのもどうかと思う。
相手を自分の生活に当てはめるだけのことが多いように思える、
メール・ブライドという仕組みに、布石を打つ事件なのではないだろうか。


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