サッカー観戦日記

2014年02月28日(金) 雑文・私が2020年東京五輪の野球の参加に反対するわけ。


タイトルの趣旨の文章を書くに当たって、私の立ち位置を明確にしておかなければならないだろう。現在、日本でのスポーツ界での覇を争うサッカーと野球は業界内でもファンの間でも互いに嫌悪感を持つ人が多い。はっきり言って私も野球は好きではない。
私の場合、「サッカーの街・高槻」で1歳から育ち、幼い頃からサッカーが周囲にある環境で育った。生粋のサッカーファンであり、私の世代では珍しく野球ファンがJリーグ発足によってサッカーの魅力に取り付かれ、そのうちに野球界の欠点が目について嫌いになった「転向派」ではない。野球の人気は当然のものとして受け容れてきた。
スポーツ界においてサッカーは成り上がり者だ。だから伝統にのっとった貴族(野球)や没落貴族(ラグビー)からの価値観の違いから来る憎悪や、取り残された庶民(その他のスポーツ)の嫉妬もまた受け容れ、反発から憎悪心をたぎらせることもなかった。
そもそも私はラグビーもたまに観るから、ラグビー界が「上流階級のラグビー、下層階級のサッカー」とか「アマチュアリズムがどうたらこうたら」とサッカーを批判していた時代を知っていて、それでもラグビーの競技自体の魅力も知っていたから、ラグビー自体は嫌いにならなかった。
地元の小学校にはサッカー少年団はなく、野球のリトルリーグチームがあっただけだった。そもそも喘息でサッカーを医者に止められていたから、サッカーの競技経験自体ない。小中高と昼休みは遊びのサッカーをしていたが。好奇心が強い人間なので、スポーツ自体に興味はなくても、今は無き西宮スタジアムに阪急ブレーブスの試合を2回観に行った事がある。それで満足して阪神タイガースの試合は観たことが無い。
 サッカーはネルソン吉村が最初のアイドルだった。初めて日本代表の試合を観に行ったのは確か86年のキリンカップでカズのパルメイラスとの試合を西京極で開催したときだ。大会は決勝で奥寺とオッツェのいるヴェルダー・ブレーメンがジャンピングハイボレー2発で優勝した。

 さて、私は異文化交流が好きで、国際試合や国際大会は良く観に行った。野球では84年の夏の甲子園後、日本、韓国、ハワイ州の高校選抜の3カ国対抗戦を観に行った。日本のダブルヘッダーの日だ。春夏とも当時2年生の桑田・清原のPL学園が準優勝した年だ。  
今は無き大阪球場で開催され、桑田のバックスクリーンへのホームランなどで2試合とも日本が二桁得点で大勝した。ハワイ州高校選抜は髭を伸ばし、ベンチで楽しく談笑しながらプレーするのどかなチームで、それはそれで受け容れた。日本の高野連の人々のほうがむしろイライラしたのじゃないだろうか?

 最初に違和感を感じたのは94年広島アジア大会だ。アジア大会はアジア版の五輪と思ってもらえればいい。サッカーは当時A代表が参加していたし、サッカーに嫉妬する勢力が言うところの「サッカーバブル」真っ只中だった。もっともサッカーの場合「バブル」がはじけても現在の地位を築いているし、命名者にとっては脅威であり続けているが。ファルカン・ジャパンが「ダブル・ボランチ」をキイワードに進退をかけて臨んだ大会だ。しかし小さな会場が多くチケット入手は困難だった。私はあきらめるしかなく、陸上と野球を観に行った。
陸上は馬コーチ率いる中国女子長距離陸上集団「馬軍団」が話題で、特に王軍霞は圧倒的に速かった。そして組織的なドーピングが疑われ、「馬軍団」は国際舞台から突如として姿を消した。

 野球も広島県営球場で開催された。アジア大会の正式種目となるためには最低6カ国の参加が条件となる。参加国は日本・韓国・台湾・中国・タイ・モンゴルだった。
そして韓国対モンゴル戦で唖然とした光景を目にした。モンゴルは日本から指導者と道具と資金援助を受けて参加した国だった。ところがまるっきり素人なのである。韓国の投手は6回まで完全試合を続けていた。物凄いピッチングをしていたわけではない。むしろ逆で、モンゴルに打たせてあげるべく、真ん中高めに山なりのボールを投げていたのだった。子供の遊びだ。しかもモンゴルは変なバッティングフォームで全然打てないのだ。初ヒットは小フライを韓国の野手が誰も追わなかったというものだった。
日本で野球をやっている小学生なら誰でもモンゴルよりも上だろう。モンゴルが誠意を持って真摯に野球に取り組んでいないのは明らかだった。にもかかわらず、日本が容易にメダルを取れるという理由で正式種目にしてしまう大会自体に疑問と怒りを感じた。中国もタイも競技人口が1万人にも見たず、努力も才能も感じられなかったし。

 「クールランニング」という映画をご存知だろうか?南国ジャマイカがボブスレー・チームを作り冬季五輪に参加する実話を基にした物語だ。ジャマイカは冬季五輪に参加するものの、遊び半分の出場として周囲から冷ややかな視線を浴びる。真剣な競技者にとって、いい加減な気持ちで大会の参加されるのは不愉快だし、何の国際交流にもならない。むしろ、愛するスポーツを冒涜された気持ちになるものだ。
五輪では競泳で競技中に溺れる選手が出たこともある。ちょっと水泳経験があれば分かるが、こむら返りなどで、競技中に続行不可能になってとしても、落ち着いていれば溺れたりはしないものだ。今では溺れる選手など五輪に参加できないが。
そう、広島アジア大会での野球のモンゴル(と中国・タイ)の参加はスポーツを愛する精神への冒涜そのものだった。大抵のスポーツ大会の目的には競技力向上や交流が掲げられている。しかしそのどちらも不可能ならば、その競技には身を引いてもらうしかない。モンゴルや日本の血税を使っているのだから。交流する意志があるならば、アジア大会という舞台を利用せず、自主的に大会を開催すれば良いのだ。
これは国費留学生が勉強せず遊ぶのとはわけが違う。留学生が勉強しなければ国費をカットすればいいし、そもそも文化を持ち帰った人も多い。反政府的な思想に染まっても、長い目で見れば、国のためになる。

ではサッカーはどうか?01年に大阪で東アジア大会が開催された。要するに五輪の東アジア版である。サッカー競技(女子はなかった)では日本はユニバー優勝を目指す日本大学選抜が参加した。そしてワールドユースアルゼンチン大会を控え、日本と同じ組に入ったU−20オーストラリア代表も特別参加。そのほか若年層のウズベキスタンも参加した。
しかし私が注目したのはいわゆる「弱小国」だ。一般スポーツにおいては「弱小国」は果てしなく弱い。しかしモンゴルは技術と身体能力では日本大学選抜より上だった。現在世界ランキング180位以下の国でも一般スポーツなら優勝レベルの強さだったのだ。大会最弱国はおそらくグアム。しかしゴツいセンターバック5番を中心に必死に守り、どこ相手だったか、5失点で凌いだ。5番が引き上げる際、感動して私は「Hey!Guam No.5. Nice fight」と叫び、5番も親指と小指を立てて応じてくれた。
サッカーは誠意を持って真剣に取り組んでいるかどうかが一目瞭然なスポーツ。努力してなければ、90分走れない。グアムの情熱は伝わった。

昨年の野球のWBCでは相変わらず、ほんの一つまみの競技人口しかいないオランダ(実質キュラソー島)やらブラジルやらが出ていた。五輪参加は12カ国。そんなに情熱を持ってやっている国があるのだろうか?国際目線に立てば、競技人口1万人の国など、存在しないに等しい。国際交流に役立つスポーツが他にあるなら、開催国の都合とか、イージーにメダルを取れるかとかではなく、才能ある選手が誠実に真摯に努力しているスポーツこそが国際大会に参加すべきだ。開催国が五輪をどう利用するかではなく、五輪のために、  
スポーツを愛する精神のために、何を出来るかが重要なのだ。五輪は日本の私物ではない。そう考えると、おのずと五輪から野球は削除されるべきだ。国民の過半数が五輪での野球に血税を投入することに賛成していようと、たとえ9割が賛成していようと駄目なものは駄目なのだ。まだ五輪不採用競技の中に野球より国際交流のためになる競技はある。第一、当の日本の野球界自体がホンの一握りの国以外をリスペクトしていないのは明らかではないか?


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T.K. [MAIL]