サッカー観戦日記

2004年05月24日(月) 先週の結果

●関西学生選手権
1回戦
立命大4−1同大 神国大0−4阪南大 近畿大0−0(PK5−6)関西大

●クラブユース選手権(U−18)関西予選
京都S2−1G大阪 C大阪2−2V神戸 
フジタ7−0L京都 姫路5−0芦屋SC

京都は予選突破。全国行き第1号となった。春先は好調、プリンスでは不振、で2連勝してあっさり予選突破。ホントに良く分からない。

●総体予選
滋賀1回戦
水口4−1北大津

奈良4回戦
上牧0−0(PK勝ち)奈良育英

京都3回戦
伏見工2−1桂 洛西2−1平安

奈良は一条、五条、富雄、上牧が決勝リーグ進出

●関西学生女子リーグ
第2節
大体大18−0奈教大 大教大7−0京教大
武庫女大15−0大市大 立命大4−1近福大



F1モナコGPで開幕6連勝を狙ったシューマッハの順調な走りは周回遅れのモントーヤの追突によって阻止された。またモントーヤか、と怒りがこみ上げてくる。

レースは3ストップ作戦のルノー2台が先行し、2ストップ作戦のシューマッハが後方から追いかける展開となった。ともに作戦が上手くいった感じで、特にシューマッハは単独走行で予選に近いタイムでルノーを追い上げ、逆転濃厚を思わせた。ルノーのアロンソがトンネルで周回遅れのウイリアムズのラルフをかわそうとして壁にヒットする痛恨のミスでリタイア。安全を期してコース内にセーフティー・カーが入り、ペースを下げて追い越し禁止となり、うまいタイミングでルノーのトゥルーリがピットイン出来て逃げ切りの芽も出てきてさあ、面白くなったぞ、というタイミングでの出来事。

F1タイヤはレース時の激しい走りで摩擦熱が生じ一定の温度に達したときに最大限の性能を発揮するように出来ている。セーフティー・カーが入ってゆっくり走ってタイヤ温度が下がると性能が落ちる。そのままだと通常のレースに戻ったときにあっさり他のマシンに抜かれかねないので、ドライバーはセーフティー・カー走行中もタイヤ温度を上げるために車を左右に揺さぶったり、ブレーキ&ダッシュを繰り返す必要がある。

シューマッハもブレーキ&ダッシュを繰り返しトンネル内に入る。後方には周回遅れのモントーヤがつけていた。なぜかすぐ後ろにピッタリと。でトンネル内でシューマッハがブレーキミス。セーフティー・カー走行中なのでどうでもいいミスである、本来は。コースを乱したわけでも、極端なブレーキがあったわけでもない。しかしモントーヤはそのまま追突。シューマッハはリタイア。低速での追突だけにモントーヤがダメージを負う可能性は低く、案の定モントーヤは無事で最終的に4位完走。

ルール上モントーヤの行為には何の問題もない。レースでは可能性が全くないところでシューマッハがブレーキングし、モントーヤは不幸に巻き込まれた被害者、という表現すら可能かもしれない。しかしセーフティー・カー走行中にタイヤを暖める行動は必要不可欠。モントーヤの行為はルールの穴を突いた悪質な体当たりにも見える。自身がレース半ばにして既に周回遅れだったことも相まって。このような行為が許されるならセーフティー・カー走行中には前の車が優位という常識が覆され、後ろの車が後方にピタリつけば前の車は思うようにタイヤを暖められなくなり、後ろの車が優位になってしまう。セーフティー・カーはレースの安全確保を目的に導入されるものだ。前の車に後ろが合わせるから安全なのだ。後ろの車がぶつけ放題では危険極まりない。

そもそも私はこのモントーヤという男が大嫌いなのである。よくシューマッハと(もちろんマシンが)ぶつかり、それをマスコミはお互いのライバル意識のためだ、お互い様だ、と説明するのだがとんでもない話だ。シューマッハが他のドライバーとほとんどぶつからず、ぶつかっても巻き込まれる方だったりするのに対し、モントーヤはチームメイトのラルフにすらしょっちゅうぶつかり、しかも自分から当たってばかりである。シューマッハとモントーヤの接触・クラッシュはお互い様でもなんでもない。全般的にみると一方的にモントーヤに非がある。

モントーヤはレースに命を懸けているが、どこか壊れた男なのだろう。「オレは命がけでレースをしている。そのオレを邪魔するならお前も命を賭けろ。嫌ならオレに譲れ」と言わんばかりの走りである。フェアプレー精神どころか、他人の命すらどうでもいいタイプである。ついでにあの見るからにシャイ、というよりネクラぶり。レース中に紹介される写真は昨年からおどけたものにしてイメチェンを図っているのかもしれないが、そのおどけたつもりの表情がまた不気味だ。仏像がおどけたほうがまだマシだろう。つくづくこの男はある人間を思い出させる。

要するにモントーヤはアイルトン・セナに似ているのだ。あの男もやたらとプロストにぶつかった。フジテレビ的には「お互い様」となっていたが、セナは誰とでもぶつかっているのに対し、プロストは人にぶつけないドライバーだった。モントーヤ同様、この対立にはセナに一方的に非があるのだ。ネクラなところもそっくりだ。セナは全盛期の速さもモントーヤに引けを取らなかった。もちろん当時と異なり体力面・精神面・作戦面での充実が求められる現代F1のトップドライバー・モントーヤほどの総合力・資質はなかったが。

このふたりは単独走行では卓越した速さを見せる一方で1対1のバトルは
意外と苦手で前の車を抜けずにぶつけたり、後ろの車からのプッシュにこらえきれずにぶつけたりするシーンが多い。そういえばセナはベネトンのシューマッハにインに飛び込まれ、抜かれかけてぶつけたこともあった。ウイリアムズのプロストに対抗させるためか、主催者側は何のペナルティーも下さなかったが。最強エンジンがなければ抜くこともブロックすることも出来ないタイプなのだ。シューマッハが貧弱なフォードV8エンジンで先行車を抜いたり、雨のスパで、しかもスリックタイヤでレインタイヤ装着のウイリアムズ・ルノーのヒルをブロックし続けるほどの戦闘力は備えていないのだ。だからぶつけてしまうのかもしれない。

当時は現在ほどのスプリントレースではなかったため、体力難の影響は少なかった。そのためにとてもスポーツ選手とは思えない、自己管理のできないドライバーがゴロゴロ転がっていたものだ。ヘビー・スモーカーも酔っ払いもいた。セナなんて「レース前夜のS♡×はリラックスにいい」などとボクサーが聞けば怒り出すような不摂生ぶりだった。だから最強マシンによる先行逃げ切りしか出来ず、少し性能が落ちれば暴れることは出来ても粘り強くポイントゲットは出来ず、「勝つか惨敗か」という傾向が強かった。93年のマクラーレンでの健闘もウェット・コンディションではウイリアムズよりも強いマシン特性を活かしたもので、通常はローテク・ベネトン程でもなかった。セナのレース・スタイルは時代の違いで片付けられるものではない。当時すでにアラン・プロストがいたのだから。天性の瞬間的速さに努力や創意工夫を重ねて少しでもポイント獲得を狙うのはスポーツ選手として当然のことなのだ。ピケやマンセル、セナに自己鍛錬など無理だろうが、自己コントロールもまた才能のひとつなのだ。今にして思えばピケもマンセルもセナも結果を出しうる幸運な時期に走ることが出来た。そしてセナはシューマッハの登場とともに失速し、92年にはマクラーレン・ホンダに乗りながら、圧倒的に劣るベネトン・フォードのシューマッハ(初めての年間参戦!)にシーズン順位で敗れ、34歳当時の94年には「人形が乗っても勝てる」ハイテクマシンのウイリアムズ・ルノーで「永遠に勝てない」(セナ談)ローテクのベネトン・フォードのシューマッハに予選でもかなわないようになってしまった。誰が見てもウイリアムズのほうが、はるかに速いのに。シューマッハは35歳の今でも速いのに。

もちろんセナは80年代屈指のドライバーである。瞬間的な速さの才能に限ればシューマッハは別格としてもモントーヤやライコネンにさえ引けをとらないかもしれない。競技人口が飛躍的に増え、より多くの才能がF1を狙えるようになった現代のトップドライバーと才能的に比肩しうる80年代ドライバーは数少ない。実際に渡り合えるのは当時既に現代的なスタイルを確立していたプロストくらいだろうが。しかしセナのフェアプレー精神の有り様は日本人が最も嫌うタイプではないだろうか。善玉悪玉を作り視聴者を煽って巧みにコントロールする古館アナも大した手腕だった。好きなやり方ではないが。それにそんなことは視聴者にまかせてほしいから。サッカーでシメオネが大好き、アンフェアなプレーに寛容な私でさえもセナの有り様にはおぞましさすら感じたものだ。もっとも私もセナやモントーヤという悪役がいるからこそF1を一段と楽しめるのだった。

シューマッハは貧弱なマシンに乗ってこそ才能が光る。ベネトン時代が一番良かった。どん底のフェラーリに加入して時間をかけて粘り強く立て直したシューマッハが、今年最強マシンの恩恵を受けることに異存はない。でも最強のシューマッハが最強マシンに乗ると盛り上がらない。以前は主催者側がシューマッハの通常は見逃される違反行為で長期出場停止処分にしたり、大幅にリードすればセーフティー・カーをワザと入れたりと無理やり優勝争いを作り出す暴挙に出た。今年も色々仕掛けてくるだろうが、結局シューマッハの圧勝で終わるだろう。で盛り上がらないまあシーズンが終わる。それでもレースは安全かつフェアにやってほしいものだ。


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T.K. [MAIL]