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2003年01月30日(木) |
「寂しい」が理解できない |
私は「寂しい」という気持ちが理解できない。
彼も、友達も、私の両親ですら持っている感情なのに、 私は「寂しい」と思えたことがない。 過去の日記で「こういう状況ではこう使うのが ふさわしいのかも」と思ってわざと使ってみたこともあるけど、 未だに微妙にずれているような気がする。 私にとっての「寂しい」は、「悲しい」と「つらい」を ちょっと違った言葉で言い換えるための言葉に過ぎない。 そのせいか、私は「鈍感」だとか「強い」とか「幸せ者」とか言われたことがある。 鈍感かもしれないけど、「強い」とか「幸せ者」かどうかは疑問だ。 ネジが数箇所ゆるんでるらしいのは認めるけどね。
一人でいるのは好きだし、食事も荷物運びも、 窮地に立たされたときも、近くに誰もいないときは 大抵一人でどうにかしているので、 誰かがいないとだめ、という状況があまりなかったせいなのだろうか。 自分がいるのに「寂しい」を連発する母の気持ちが わからなかったからなのか。 それとも、天気さえよければいい一日だと思える 単純さが原因なのか(苦笑)、よくわからない。
辛いことに、「寂しい」と言う人と深く付き合うと大抵喧嘩になってしまう。 寂しさゆえに発せられたきつい言葉が 突然の八つ当たりにしかとれないから、 理由がわからない私はやさしい気持ちで受け止めてあげることができない。 それに、そうなってしまうと相手の寂しさを理解できないだけじゃなくて 「あなたにはわからない」と言われて突き放されてしまうのがとても悲しい。 だから、「寂しい」を口にされるとつい一歩ひいてしまう。 この人ともだめになるんじゃないかな、と恐くなってしまうから。
寂しさを満たしてあげたくても、どうしてあげるのが一番いいのかわからないし、 よく話を聞くと私では、あるいは私だけではだめなパターンもある。 それに、寂しがり屋に限って素直じゃないし。(苦笑) 遠まわしに「ああしてほしい」というから、 なぜそうしないといけないのか ますますわからなくてトラブルになってしまうのだ。 もし、ここを読んでいる人で寂しがり屋の人がいたら、 私には近寄らないほうがいいですよ。(苦笑)(^^;ゞ
どうせいつか傷つけるのであれば、 寂しがり屋らしき人とは少し距離をおいて、 誰かが早くその人を満たしてくれないかと祈る。 「寂しいからそばにいて」といわれても困ってしまうし、 「おまえは病んでるからわからないんだ」と言われた時もすごく困った。 むこうからみると寂しいのに突き放したように見えてしまうようだけど、 どうやっても傷つけるなら喧嘩はしたくない。 「素直に助けを求められればなんとかできるけど、 自分の寂しさをわかってほしいなら相手を選びなさい」なんて いえないしね。(苦笑)
どんなに好きでも、私には対処できないから 誰かに任せるか自分で立ち直ってもらうしかない。 それがきっかけで私とその人の間に大きな溝ができてしまうこともあるけど、 こればっかりはどうしようもない。
知人に聞いたら、単独行動が多いせいか 私はわりといつも寂しそうに見えるらしい。 だって、一人でいるときにニヤニヤしてたら変でしょ。。。(苦笑) 一人でいる=寂しそうっていう思い込みはどうにかならないものかと思う一方で、 それだけみんな、一人は「寂しい」のかな、と思った。
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