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2003年01月04日(土) 私のせいでいい/彼女の理解者

昔から私は、何かがおこると自分のせいだと
思い込むところがあった。

家で何かがおこると、父は母のせいにし、
母は私のせいにしていた。
私は両親が間違っていることなんて知らなかったから、
母が怒ると黙って下を向いていた。

でも、今の彼と出会ってから、
他人が悪い場合もあることがあり
それに対して怒ってもいいことを知った。
(まあ、仕事の場合はそれでも
 あやまったほうがいい場合もあるのだけど。)

年があけて二日目、
母は家にいるのがつまらないらしく、
友達と遊びにでかけてしまった。
いつもの正月なら父が母のしたいことを否定し、
母がいやがるのを父がうれしそうに見て、
母が黙って我慢するというのが普通だったが、
今年は見たいテレビも見れないし
食事を作らされるだけで自分の話をきいてもらえないのが
つまらなかったのか、明るいうちから飲みにいってしまった。

家には、テレビを見るしかすることのない父と
締め切りに追われて正月からもくもくと
仕事をしている私だけが残った。
きりがつけられないので、私は痛む胃をおさえつつ
仕事をするしかなかった。

翌日も同じ状況になった。
このままでいるとまた胃が痛くなるので、
適当なところで切り上げて私も散歩に出かけた。
正月からバラバラなこの家に、誰がいたいだろうか?


雪はほとんどやんでいたけれど、
しばらくしてまたふりはじめた。
真っ白な雪が降っているところが見たかったので、
願いをかなえてくれた空に感謝しながら
私は人通りの少ない町へと歩いていった。


歩きながらいろいろなことを考えた。

家族のこと、
彼とのこと、
仕事のこと、
将来のこと。

途中で飲んだ缶入りココアがおいしかった。



こんな正月はまっぴらだ。
どうせなら本当に一人ならよかったのに。
もうこんな正月は、最後にすべきだと思った。



思えば私は、家を出て行くことで、
家族の崩壊の原因が自分のせいであると
決定づけられるのが怖かったのだと思う。
本当は、そんなことはないのだけど
うちの理屈だと波を起こした人間が一番悪いのだ。



でも、この家を離れられるのなら、
私のせいでもいいのではないかと思えてきた。
何を言われようと、
そのまま二度と戻らなければいいのだから。



本当はあの二人もこんなこともう終わらせたいと
思ってるんじゃないだろうか。
でも、自分のせいだといわれるのが怖いのだ。
それなら、最後の親孝行のつもりで
罪を全部かぶるのもいいのじゃないだろうか。



もう、誰もまきこみたくない。
自分の人生を生きたい。



何年かかるかわからないけど、ここを出よう。
今度こそ、二度と戻らない。
何か言われたら、こういうつもり。



私のせいでいいから、好きにさせて。



気が付くと、雪はやんでいた。
冷たい風は、私の気持ちを固めてくれた。



今は戻るけど、
何度目かの正月は笑ってすごせるよう、
今年から頑張ろう。

私は、家に戻っていった。






大学に入る前、私はあるコンピュータ関係の会社で
アルバイトをしていた。
そこで年が近かったSEのUさんと仲良くなり、
ある時彼女の家に遊びにいくことになった。

その時に、彼女の男友達と彼女の幼馴染という
Sちゃんもきてた。
彼女はとてもきれいな子で、男性陣はみんな彼女のほうを
見ていてUさんの話すらろくに聞いていなかった。
彼女も男の子がみんな自分を見ているのを知っていて
わざと挑発しているようだった。
私も、彼女のほうをずっと見ていた。。。目を点にして。(苦笑)

さすがにUさんはSちゃんの態度が気になったのか
一度彼女を別室に呼んで注意したようだったが、
その後彼女はこっそりと一部の男の子に
目配せをするようになった。
結局その日、私がUさんの家で見たのは
Sちゃんのすごさだけだった。(^^;

Sちゃんが電車で帰るとき、男の子たちみんなが
自分の家が近くだと行って争って一緒に帰ろうとし、
結局逆方向の子以外は一緒に帰っていった。
逆方向の子は残念そうに帰っていった。

Uさんは、私を見てすまなそうに言った。

「ごめんな。あいつ、家庭に問題があって、
 ああいう方法以外、人と仲良くする方法を知らないんだよ。
 ほんとうはおまえと友達になってくれれば
 いいなと思ってつれてきたんだけど。。。
 また機会を作るから、会ってくれるかなあ。。。」

私はびっくりした。
ただの友達ならSちゃんの様子を見て
非難しただけかもしれない。
でも、Uさんは彼女の環境や性格を理解した上で
彼女のことで私にあやまり、しかも彼女の友達に
なってやってほしいとまで言ってきたのだ。

私には、こんなふうに理解してくれようと
する人なんかいなかったから、こういう友情も
あるんだなーと思ってただただ驚いた。

その後進学の関係で私はそこをやめてしまったから
私はSちゃんに再び会うことはなく、
Uさんとも一、二度遊びにいったきり会わなくなった。
彼女たちは今どうしているのだろう。
あいかわらずUさんはSちゃんの理解者なのだろうか?



私はかばってもらったことなんかない。
親にも、友達にも、先生にも。
だから、理解者がいる人ってうらやましい。

一人でも誰かがいれば、私の人生は
かわっていただろうか?



……ううん、多分無理。
だって、自分から理解しようとする人を遠ざけて
手の届かないところまで押し戻そうとしているんだから。
たとえUさんとであったのが私が先だったとしても
きっとああはならなかった。

今年も一人、理解者になりえた人をなくそうとしている。
今日彼は東京に戻ってくるけれど、来年の今日は
たぶん彼を待ってはいない。

せめて、少しずつ恩返しをしていこうと思う。
限界が来るまで。

わかってくれようとして、ありがとう。


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