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2002年12月25日(水) 身勝手な言葉/そろそろ

あるサイトで、「(自分が)
死んだら泣いてくれるかな」という言葉を見つけた。

私に近い関係の人の中には、自殺者と自殺未遂者が5人いる。
このまま行くと死ぬかもー、でも死なないかも、っていう
消極的なのなら私もやってるから6人かな。
これは、多いほうなのだろうか?


幼い頃、母は自殺未遂をした。
彼女が疲れきっていて、かみそりを持って
どこへむかおうとしているのも知っていた。
でも、私は本に夢中になっているふりをして
彼女が死のうとしているのを見ないふりをした。

本当は止めてほしいのもわかっていた。
でも、私が止めた上でそうするのもわかっていた。
私はそんなにやさしくないし、私ももう
楽になりたかったのだ。
怒りで泣き喚く声も怒鳴り声も、
血のついた割れた皿を片付けるのももうたくさんだ。
不思議と涙は出なかった。

止められるのはあの人だけ。
私がどんなに泣き叫んでも止めることはできないのだ。
母は私が泣き叫ぶのを見て存在意義を確かめたいだけ。
私の気持ちなんてどうでもいいのだ。
彼女が姿を消してから数分後。
「あの人」が風呂場へ飛び込んだ。
叫び声と怒鳴り声。
しばらくして、母があの人と一緒に出てきて
姿を消した。

母は命に別状はなかった。
母は今ではあまり幸せではないながらも
生きることをとても楽しんでいる。
でもその日から、私の中の母は死んだ。

あの人は、その事件を笑いのネタにした。
「あいつを怒らせると何するかわからないから
 気をつけろよ」と言った。
彼女はこんな人のためには死ねるけど
私のためには生きてくれないのだなと思った。


その人が死んでから涙が出るのは、
わかってあげたかったから。
自分で死のうとする人は一つ、しなければならないのに
しないことがある。
それは、自分に近い人の言葉に耳をかたむけること。
死んでいこうとする人はとても頑固で、
聞いているふりで誰の言葉も聞いていない。
「死なないで」という言葉でさえも。
死んで楽になることで頭がいっぱいで、
自分の気持ちに近い言葉しか聞こえないのだ。
たとえ真実をついていたとしても、
自分と違う意見は自分が死ぬ理由に変換されてしまう。

母は何度も違う道を歩こうと思えば歩けたのに、
私が何度言ってもそうしようとしなかった。
誰も助けなかったんじゃなくて
自分が助かろうとしなかった。
それなのに、ひきとめようとした人に
死んだ自分の後始末をさせるなんて卑怯だ。

死んだら泣いてくれるかな、という言葉は
本当に薄情で身勝手な言葉だと思った。







そろそろ、明るい話書きたいんだけどなー。(苦笑)
一人になるとついくらくなっちゃうな。

まあ。それが本来の私なんだから仕方ないか。




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