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強くない。だけど弱くもない。
みつば。
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2006年10月01日(日)
あたまがおかしくなりそう。

順風満帆だと思ってたここ数日。

仕事も部屋持ちを始めるし
夜勤だってはじめるし。





コンパして、いい人と出会って

毎日楽しくて


これから、きっと素敵な毎日が始まるんだ。と。

そう思っていたのに。







母が倒れた。



救急車が来るまで
自分が看護婦なのを忘れてたみたいに
あたまがフル回転して。






すっごくしんどくて
息が止まるかと思った。






症状的に、命に今すぐ別状ありそうな感じはないし
大丈夫、とわかっていたけど。



それでも指が震えるし、怖かった。




父もいないくて、わかるのは私だけだし
祖母もパニック。


妹は外出していなくて


兄は家で連絡係になった。
(というか仕事中だった。。。)





救急隊員に病院探してもらってる間
保険証用意したり、タオルやスリッパをナイロン袋に入れて。


あわてて救急車に飛び乗った。







どこに搬送してもらうか聞いて
走って車に戻って(住宅街で目立つので、少し走ってもらった)


搬送先に聞いた病院をナビに入れて、車を走らせた。




知らない道。

夜道だし、雨が降っているし。



手が震えて
怖かった。



初心者マークが車にのってなかったけど
言ってる場合じゃないので
そのまま走る。




今日は秋祭りがあったから
子どもやお年寄りもウロウロしてて

ノーヘルや飲酒の原付バイクがふらふらと走る。






1分、1秒でも早く病院に着きたかったのに

雨だし怖いし、焦って事故になったら何もならないし。で。
とても怖くて不安で、どうにかなりそうだった。




無事に着いたときは本当にほっとした。



病院で救急処置室に通してもらって
検査からかえってくる母を待つ。



やっぱり、指先が震えていた。




怖かった。


このまま母がかえってこなかったら。


意識がなくなったら。



毎日仕事してるのに、
患者さんみてるのに。




怖くて、仕方なかった。



どうにかなりそうで
誰かに傍にいてほしくて

怖くて

怖くて


ただ、怖くて、早くお父さんとかと連絡取りたかった。






結果はたいしたことなくて本当によかったけど
薬を飲んでケロリとする母をみて
心底安心した。



安心したけど

「大丈夫そうやから明日仕事に行く」とか
「血圧そんなに高くないからかえる」とか

「お父さんむかえにいかなきゃ」とか

わけのわからないことをいうから。





だんだん腹がたってきた。


どんなに心配したと思ってるの?


どんなに不安だったと思ってるの?


どんなに夜道を走りながら
ドキドキしたか、お母さんわかるの?




どんなに、どんなに怖かったか。



なんでわかってくれないの?





治らない病気じゃないからよかったのに。


どうしてそれにたくさん感謝しないんだろう。





信じられないよ。本当。






お母さんのすべてが腹立たしかった。




だけど、こんなに腹立たしいキモチになれるのも
生きてるからなんだよね。







それだけでも感謝しないと。



明日から、またキモチを新たに仕事しよう。



救急車で運ばれてくる患者さんの家族は
みんなこんな気持ちで来てるんだ。



救急車でこなくても
入院しなきゃいけないほどの病気でくる患者さんの家族は
やっぱりこんなにつらいんだよね





当たり前、になりかけてた「病院での生活」。


でも、やっぱり違うんだよね。




違うんだよ。




「病院」は当たり前じゃない。



「病院」は、非・日常の場所なんだよね。



早く、一日でも早くおうちにかえしてあげたい。


できるだけ元気で、
できるだけ笑顔で。