強くない。だけど弱くもない。
みつば。
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2006年04月07日(金) ■ |
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寂しい。 |
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寂しくて、頭がおかしくなりそうになる。
何度も 何度も夢にみる、意識を失うまでの自分の行動。
夢なのに、意識がなくなるの(笑)不思議すぎる。
あの時みたいに一人でうずくまってるといつの間にか夢を見ていて そいで 薬をがっぱがっぱ胃に落とす。
リビングまで自分で降りていったけど、 そっからあんまり記憶がなくなって
救急隊の人がおんぶするとかしないとか 担架もってこいとかなんとか言ってて
多分担架で救急車に載せられたんだと思う。
私の腕が、だらり、と下がっていた。
ちょっとだけ、血も出ていた。
滑り止めつきのかみそりで手を切ると ちょっとだけギザギザにきれる。
キレイに切ったほうがなおりがいいのに 手元にそれしかなくて しかもちょっと錆びかけていて
なんだかとても力が必要だったと思う。
やっぱり気合いと根性が足りなくて 傷口から流れ出る血液は、多分病院についた頃には止まってた。
だから 傷口を洗われたとき、開いて消毒液がしみて痛かったんだと思う。
うぅ、と漏らして目が覚めた時には 口だか鼻だかにオレンジのゴムチューブがはいっていて その異物感と 胃に強引に流しいれられる生食に吐き気を催して、吐いた。
胃洗浄。
サイホンの原理だけで行われる簡単な処置。
漏斗のようなものをゴムチューブにつけて 上から大量の水を入れる。 で、吐く。そしたら、胃の中がキレイになる。てな寸法。
なんて物理的な処置だろう、と思う。
あの時、とても汚いけれど ナミダも ハナミズもヨダレも、そして吐瀉物も 私は羞恥心のかけらもなく吐き出し続けていた。
看護婦さんの「そうそう、いっぱい吐いてね」というあやすような言葉が妙に安心した。
仕事だとわかっていても、優しく、肩をなでながらそういってくれた気がする。
多分、意識が回復したときに傍にいてくれて 「ゆっくり生きたらいいやん」ていってくれた看護婦さんと一緒だと思う。 かなり若くて、そして私より小さい看護婦さんだった。 顔は、覚えていない(メガネをかけていなかったんだ)。
吐いている最中 医者が大きな声を出した。
「もっともってこい」だったか 「もうどうでもいいだろ」だったか。
多分前者だけど、後者の言葉を言われても仕方なかったんだろうね。
人の命って、あまりに簡単に消えてしまうもの。 だけど 十二分に生きる力のあるものが どうしてバカなことをして、迷惑までかけて死のうとするのか。
中途半端な、一番無様な姿。
医者・・・というより、命を守るものとして 自殺・・・なんてバカげた患者の治療、一番したくなかったろうな、と思う。単純に、バカだとしかいえなかったと思う。
吐きながら 泣きながら
また、意識がなくなった。
多分、医者の声が聞こえた。
「落ちた」
目が覚めたのは、1日半たって 夜中の3時ごろだったと思う。
部屋はとにかく暗くて 隅に置かれたパイプ椅子に、母が眠っていた。
股のあたりが気持ち悪くて、痛かった。
導尿の管が入っていたのだ。
点滴は1箇所だけれど、管をさかのぼると 柔らかいプラスチックのボトルが3本ついていた。 1本は、とても小さなボトル。空だった。 もう2本は、ただの生食。どれもとても大きいのを覚えている。
気分が悪かった。 なんとも、言いがたい不愉快な感じ。
痛いんだけど、痛い・・・というより、「熱い」が近い。
胸焼け・・・ともまた違う 妙な感じ。
そうだ、なんかすごく妙な感じ。
胃の中がまるで煮えたぎった油のごとく熱かった。 それで 重かった。
あと、とんでもなく痛かった。
千切れてしまうんじゃないか、という恐怖すら覚えたんだ、あの時。
多分、生まれて初めてだったと思う。本気で意識を失う、というのは。 何度か救急車のお世話になったけれど どれも 喘息だとか、過喚起だとか。 意識を失う一歩手前で119番に電話するから、意識は失ったことがなかった。
結局入院したのはすごく短い時間で 担当してくれた医者にも会わず私は退院した。 両親が話をしたようだったけれど 「精神系の病院にかかってるのなら、そちらでもう一度しっかり見てもらってください」という結果だったのかもしれない。
なんだかよくわからないうちに 私は家の車に乗って、帰宅した。
帰宅する最中、殆ど話さなかった。 帰宅しても、話さなかったように思う。
どうしてあんなことをしたのか それも、聞かれなかったような、聞かれたような、あやふやな記憶。 たぶん聞かれたけど、意味もなくブチ切れたり、泣いたりして答えなかった。
今でもわからないんだ。 どうしてあんなことをしたのか。
多分、ただ寂しかったから。 多分、もう生きていたくなかったから。
多分、生きることが楽しくなかったから。
いっぱい理由は思いつくけど、「絶対○○だった!」ていうのが思い出せない。
「多分、こうだったんだろうね」ていうところまで。
ただひとつ「絶対」といえるなら それは、「寂しかった」ということだけ。
それだけは今でもわかるただひとつのこと。
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このところ、両親に深く感謝している。 私があせっていると、いつだって 「ムリせんでいいよ」とか「あせらないで」といってくれる。
私がせかされないのは、きっとこの「事件」のせいかもしれない。
あの時、もう一度本当に死ぬまで 責められたり、庇護されすぎたりしなくてよかった。
多分、ものすごく両親を苦しめたと思うけれど (子供がこんなに情けないことをするなんて)
だけど ずっと見守ってくれてて、私は嬉しかった。
今でも、深く感謝している。 ありがとう。
だけど、今でも、時々ゆり戻されそうになる。
ふっと力を抜いてしまうと リスカなり、ODなりしてしまいそうな自分。
今でも死にたくなる、弱い自分を 必死に包み隠している、異常なまでに強い自分。
とにかく、死なないように必死に自分をたもって
笑って、日常生活を送って。
必死に必死にやって、それで普通のヒトがみて「あのこおかしい」てならないくらい。
夢を見ると、とても嫌な気分になる。
ゆり戻される、その力が異常に増幅するから。
もっともっともっと。 強くならないと。
こんな夢をみただけでゆり戻されるようじゃ、まだまだだよ。
生きるために、強くなる。
一瞬でも気を抜いたら、また暗い死の世界に足を引っ張られるから。
あーあ。
なんだか
とっても暗い気分。やだ、やだ、やだやだやだ。
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