凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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夜、寝ぼけてぐずるアユムをあやす。 適当な子守唄を歌うと、なんとなくアユムが静かになる。 子守唄って幼児にはそれなりに効き目あるんだなぁ。 新生児の時はまったく効果なしだったけど。 小学生のアイにいたっては「おかーさんなんて歌?」とかえって目が覚めてきて逆効果。 子守唄って効き目ある年代が限定されるのかも。
己の子供時代を振り返ると、祖母と寝ていたので子守唄らしきものを聞いた記憶があまりない。 寝入りばなはお祈りのように「今日も一日済みました。おかげしあわせもったいない。あとと」と寝床で一緒に唱えるのが決まりだった。 何もかもに感謝。おかげさまで一日が無事済んだ事に、しあわせでもったいないくらいありがたい事だ。
あぁ一日が済んだ〜!とは思うけれど、それをありがたいとか幸せ、とか、思う事はなかなか出来ない。 そう思えたら、そう思いながら眠りにつけたら、どんな一日でも最高に良かった一日に思えそうだなぁとは思うけれど。
やっぱり祖母の年齢に達しないとそういう考えには至らないのかもしれないよなぁ。 祖母の年代は戦争も体験している。 それこそ人生山あり谷ありだったわけで、その人生も終わりに近づいて、一日一日がとても平穏で気楽で幸せだったのかも。 後はいつか来る死を穏やかな気持ちで待つ日々。
祖母は死の前日まで元気だった。 夜中、起きていた祖母に「どうしたの?」と声をかけたら「私はお茶を飲んでおります」と答えた。 時間は12時過ぎだった。 その6時間後、祖母は眠るように息絶えていた。 「潔い最期だ」「最期はこうありたい」と皆が感心した。 死に装束も、何年も前からその時に備えて自分で縫って用意してあった。
祖母の年齢に達するまではまだまだ。 そもそもまだ子育て真っ最中だし。 祖母は八人産んで、三人は死んだらしい。そういう時代だ。
祖母のように、毎晩「おかげしあわせもったいない、あとと」と孫と寝床で唱える日を夢見て、最期は祖母のように、潔い最期だと皆から感心され送られるのを願って、今日も偏頭痛と戦いつつ、日々をなんとか乗り切って行こうと思う。
あぁ文章まとまらないな。 傍らでアユムがままごと道具広げて口元に運びつつマウスをいたずらするのを阻止しながらなので集中できない(涙 さて、そろそろアイが帰ってくるし。 鍋の火を消して、洗濯物しまって、アイの宿題を見て、アユムを外遊びにつれていって……
頑張ろう。
暁
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