凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2005年02月08日(火) 憂鬱なお遊戯会

今週末はアイのお遊戯会。
幼稚園最後の行事。次は卒園式でおしまい。
憂鬱だった行事もこれで最後と思えば心も弾む…かと思いきや、今回も憂鬱。

田舎から母がやってくるのだ。

もうたまらなくブルーになる。
こちらがどんなに地方都市の奥さんみたいなふりしても、母がくると一発で田舎者と分かる。
何をどう取り繕っても所詮田舎者なんだ私。
この親に育てられたんだもの。
無理して周りに合わせようとしてもこれなんだから。
育ってきた世界が違うんだから。無駄なんだよ。無駄無駄。
そういう脱力感に苛まれてしばらく欝になる。

またタンスに眠っていた何十年物の一張羅を、ナフタリンの臭いをばらまきながら着てくるのだろう。
寒いから防寒を優先に、自分でほどいたセーターを編んだ不恰好なベストだの帽子だのを着込んで。
そのファッションとも言えないみっとも無い服装にまた凹む。
その親を連れて歩かなければいけない事に益々凹む。
最悪な事に母と私は瓜二つなのだ。
他人の振りなんかできっこない。

母親の格好を見れば、子供もどういう風に育てられてきたかなんとなく想像できるというもの。
子供は育ってきた環境でそのとおりに育つ。
小奇麗な親の子はやっぱり小奇麗だ。

仕方ない。母は生きていくのだけで精一杯だったのだ。
小学生の頃に父親が死に、一番下の妹は生後何ヶ月かだったと聞く。
長女の母は、母親を助けるために必死で生きてきたのだ。
嫁いだ先の夫は病気で倒れ、仕事と看病と子育てと、ただ必死で働き生きてきたのだ。
(だから、私達子供にまったく手をかけられなかったのも仕方ないのだ。
私達が普通の家庭を知らずに育ったのも仕方ないのだ。)

だから、今、こうして孫のお遊戯会を見に一人はるばるやってくるのは、母にはとても幸せな事なのだ。
だから、我慢して、連れていかなきゃ。

そう自分に言い聞かせるけれど、だからと言って心が弾むわけではなく。
気分は塞ぎこむばかり。

授業参観の時に自分の母親が一番みっともなかったと落ち込む子供の気分から成長していないんだろうな。私。





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