時々日刊たえ新聞
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2007年01月13日(土) 続Oさんのこと

先日亡くなったOさんのお宅に今日洋服をもらいに行く約束をしていた。以前から教会のバザーにも出品してもらっていた。夫が礼拝の司会をする時に着ている紺のブレザー、あれはOさん生存中にいただいたもの。細身の夫には大きかったけれど、クリーニング屋さんで直してもらって愛用している。夫にとても似合っていると思う。「下着(シャツとズボン下)がいっぱいあるんだけど、下着なんか嫌でしょ?」とOさんの奥さんが言う。「いえ、そういうものこそ重宝です!いただきます!」と欲張りなわたしは言った。
それで今日お邪魔した。まずはお線香をあげさせていただき(「お宅は教会だから、やり方が違うでしょ」と言いながらお線香を立ててくれた^^;)、遺影を見上げて懐かしさいっぱいになった。いただいた洋服もいっぱい。「着ないものは、また教会のバザーに出していいですか?」「うん、そうしてちょうだい」おじさんは、実は几帳面な人で、自分の着る服、シーツなど自分でアイロンをかける人だったそうだ。また日記を書いていてノート何冊も束ねて残していたとのこと、奥さんは今めくって読んでいると言う。だいたいその日したことが書かれているのだそうだ。「iwaseさんちの駐車場の雪割りした」なんて書いてあるんじゃないだろうか?そして亡くなる前は、卓上日めくりカレンダーに細かい字で毎日記録を取っていて、具合がいいとか、今日は調子が悪いとか記していたそうだ。見せていただいたけれど、残念なことにメガネを持参しなかったために読めなかった!(>_<)
9月22日の朝6時過ぎ病院から電話が入り「ご主人が奥さんに会いたがっている」と言われて急いで病院に駆けつけ対面し、手をさすり話しかけているうち、8時前に亡くなったと言う。わたしに言ってくれたら病院に送ってあげられたな・・・意味もなく出来なかったことを想った。


2007年01月09日(火) Oさんのこと

日曜日、自治会費の集金に来てくれた1階の〇さんの奥さん、この頃顔を合わすことも少ない。お年は80歳くらい。わたしが「ご主人はこの頃いかがですか?」と聞くと「主人ね、実は亡くなったの。去年の9月22日に」とおっしゃる。えっ!?と言って…絶句した。「誰にも言わなかったの、内輪でお葬式済ませてね。お父さんも(死んだら)お祝いしてくれって言っていたくらいで…」と言う。ガーン!同じ階段に住んでいる人のこんなに大きな変化にさえ気が付かないとは!わたしは自分の手帳を開いた。9月22日は18時まで仕事していた。珍しく早く終わっている。9月23日は祝日で公休。翌24日に教会では青少年による礼拝が開催されているから、その数日、我が家は出入りが多かったと思われる。あぁ、あの頃Oさんは天に召されていたのか!不覚であった!
この団地が新築完成した時、最初にOさんご夫婦が入居されて、数日後に我が家が入居した。以来子ども達もわたしたち夫婦もどれだけお世話になったことか。例えば以下のように。昔書いていた「いいことさがし」という日記から転載します。
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2000年3月1日(水)
駐車場がきれいになった!わたしの車が停めてあるところ、アスファルトが見えるようになった。何故なら1階のOさんが雪割りしてくれたから。昨日仕事の合間の1時過ぎいったん団地に戻って来て車を停めようとしたら1階のOさん出て来て「おぅ、もう帰ってきたのか。今からあんたんところキレイにしてやろうと思ったんだ」とおっしゃる。わたしは遠慮しませ〜ん。「すぐ出かけますから、車はどこかにおきましょう」車は別のところに駐車して、やってもらいました。しばらくしてあわてて仕事に出る時、Oさんは踏み固められた雪をツルハシで砕いていた。「すいません、助かりま〜す」と悪びれずに出かけました。夕方帰って来ると・・・うちのところだけ異様に高かった雪が、無くなっていました!シャイなOさんは「俺の運動のためだ」と言ってくださるけれど、見兼ねてしてくださったんでしょう。手術後のひょろひょろの体でさぞかし疲れたことでしょう。いつもいつものご厚情誠にありがとうございます。団地生活慣れたら楽しいです。
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今わたしは人生の活動期のピークを過ぎた頃だと思うけれど、だからって周りの変化に気が付かないのはいただけない。がむしゃらに走り続けるのはもうそろそろ終わりだね。人を見落とさない事、人をだいじにすること、肝に銘じます。


2007年01月08日(月) 謹賀新年

しばらく更新していないこのページに期待して来て下さる方がいらしたら、長らくごめんなさい。まだこのページを放棄はしていないのです。更新する気はあります。(笑)お許し下さい。そして今年もどうぞよろしく。

今年の年賀状の中に大学時代の友達が「たえちゃんのホームページ覗いています。大学時代の懐かしい人に私達がいて…懐かしい人になれて幸せです。」って書いてあった。プロフィールのページの「忘れられない友人たち」の「ひさちゃん&やおこさん(大学の時の親友。東京&埼玉に在住)」の片方ね。(お返しだよ!)もう30年近くお会いしていない。年賀状のやり取りはある。わたしの脳裏には20代のままの彼女たちが浮ぶ。独身の頃の悪行・秘め事を(美しい思い出もありますが^^;)共有しているわたしたちは、会ったら話が尽きないに違いない。(^-^)

1月1日にヘルパーの仕事に出て帰り道、汗をかいて爽快ではあったんだけど、自然乾燥させたのが良くなかったのか、その夜から咳がひどくなって眠れない日を過ごした。3日〜5日辺りがピークで布団に横になると咳が止まらない。苦しい。数時間モンモンとした後、起きてソファに寄りかかる。ソファの頭の角度が按配がいいのか、ソファでまどろむ夜を三晩過ごした。咳が出なければ何ともない。月初めの仕事も淡々とこなした。しかし職場の同僚はよほど心配してくれたのだろう、出勤するなり「この薬を騙されたと思って飲みなさい!」と咳止め薬を飲ませてくれた。もう一人の人は粉薬をくれた。ありがたく頂き今も飲んでいる。こういう時は薬の飲み過ぎは良くないなんて言いません。同僚の気遣いにお応えして明日には全快して仕事に臨みたいところ。

体調が悪くてもよほどのことが無い限り教会の礼拝には行きます。12月31主日礼拝と1月2日の新年礼拝、そして昨日の成人祝福礼拝行きました。礼拝を捧げる事、祈る事、聖書を開く事はわたしの生活に欠かせません。もしわたしが元気が無いとしたら、きっとこの頃祈る時間が少ない、そう思ってくれて間違いない。
新しい年も、神さまに愛されている事を感謝しながら、出来れば神さまと人に仕えたい。そう出来ないから、いつも目標にします。(^^)v


2006年12月11日(月) うれしいこと二つ

先週は特筆しておきたい二つのことがあった。

一つ目:我が息子さんちゃんは高等養護を卒業して今年6年目。9月ごろ、学校の先生から「卒業後、同じ職場に続けて勤めている人を表彰しますが出席出来ますか?」と電話があった。その表彰式が12月6日(水)、家族もどうぞということだったが、誰も行けない。さんちゃんは一人で出かけた。どんな恰好で行ったか心配なんだけど、ネクタイはあらかじめ夫が結んだものをぶら下げておいたので、これを首に巻いてキュッと締めて行ったと思う。コートは何を着て行ったかな?靴はどれをはいて行ったかな?(笑)
さんちゃんが持ち帰ったプログラムを見ると、会の名称は「働く障がい者のつどい」で主催は「働く障がい者のつどい実行委員会」と「札幌市社会福祉協議会」だった。(知らなかった^^;)
美味しい食事と立派な置時計(表彰状が印刷されている)をいただいて嬉しそうに帰宅したらしい。(わたしはその日遅く帰宅した)さんちゃんの同級生は11人が集まったらしい。どの名前も懐かしい。皆、同じところで働き続けているんだなぁと感心する。我が子もですが。さんちゃんの努力だけではなかった。3年前には解雇通知をもらったのに、解雇されなかった。彼を愛し何とか一人前にしてやろうという数人の方の意思と好意で残留になったと思っている。感謝せずにいられない。また、彼を愛して止まない神さまがいつも彼の道を開いてくれるってことも確信している。
将来は平坦じゃないだろうなと想う。想うけれど、あれこれ心配しない。わたしたち夫婦に彼が与えられたこと、それがわたしたち家族の信仰の出発だった。これ以上心強いことはない。

二つ目:娘いりが看護学校で初めて白衣を着る儀式が8日(金)にあり出席した。確か「キャンドルライト・フォワーディング」って名の会だったと思うんだけど、以前の戴帽式に代わるものだそうだ。(今はナースキャップしない)全編1年生が主役。1年生が名前を呼ばれて講壇に進む。どんな看護師になりたいか一言ずつ決意表明。その後真っ暗になった会場を、燭台をうやうやしく掲げてゆっくり行進した。美しかった。皆真剣な面持ち。これから病院に実習に出る緊張感も漂っていた。みんなガンバ!

神さまが子どもたちを守り成長させて下さっていることを日々感謝する。


2006年11月27日(月) 「では、あなたは?」

この頃石橋副牧師の説教の時はユースクワイヤ(若い人たち)の特別讃美が定番になっている。ユースの讃美が同じ青年である牧師へのエールとなっている。あるいは共同で礼拝を作りあげているという趣がある。昨日はユースの「すべてを捧げます」の特別讃美と石橋先生の「では、あなたは?」(マタイによる福音書16章13節〜20節)と題するメッセージだった。
ユースの「すべてを捧げます」はすばらしく声が出ていた。男声も美しかった。(人数の多かったこと!20人くらいいたね)指導して下さる教会員がいて、毎日曜日朝集まって熱心に練習をしている。若い彼らの讃美はどんどん進化していると思う。説教担当の石橋先生もいつもギター弾きながら青年の一人として讃美している。(^^)//゛

さて、この説教題「では、あなたは?」は、いい題だと思う。わたしたち自身への問いかけになっている。わたしは週報を点訳するのであらかじめ中身をしっかり読んでいるが、そのため説教題や中身についてじっくり味わう事が出来る。(^^)v毎回メッセージの主題が頭に入っていて説教を聴くことが出来るという恵みに与っている。昨日の聖書箇所はイエスさまが弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」と問うところ。弟子の一人ペテロさんが「あなたこそ、生ける神の子キリストです」ときっぱり答える。

石橋先生のメッセージはそれぞれイエスさま(神さま)に出会い応答し告白した者たちの姿を伝える。その応答は必ずしも力強いものばかりではなかった。「サマリヤの女」の応答から始め、ヨブ記のヨブさんの応答、イエスさまの足を洗う弟子達の応答、そしてペテロさんの応答・・・きっぱり言い切ったペテロさんが、イエスさまが十字架にかけられることになると、恐怖で三度イエスを知らないと言ってしまう、そんなペテロさんを伝道者として立てられたのはイエスさま。ペテロさんは生涯誠実にイエスさまの問いに答え続けた。(説教についての記述は、常にわたしの強調したいところを強調するという手前勝手な要約です。説教者の意図する所と違っていたら・・・すみません。そんなこともあるよね^^;)

説教の中で先生が小学校2年生のnonoとバプテスマクラスを始めたことを話された。nonoの嬉しそうな事!彼女は昨日はちゃんと最後まで会堂の椅子に座り続けていた。nonoが自ら信仰を表明する日が来るのを楽しみに確信を持って待ち続けます。


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