影戸の日記

2005年12月24日(土) takao

高雄にいる。
ということは
飛んできたと他ということだ

そう 昨日12::00過ぎに台北につく
ホテルに移動
また早朝起床 2-3時間しか眠れない朝便で高雄市へ



2005年12月22日(木) 台湾へ

ゆき である。2時間以上待たされている。
滑走路の助走、名古屋到着便の羽田への変更
さてさてどうなるか




あさ 5時である。いまから台湾へ 本学の学生と他大学の学生と共にあわせて60名でのりこむ。
毎年この時期は台湾だ、今年で6年目。
信頼も深まり、企画も充実してきている。

世の中もすすんだ。携帯電話はそのまんまの番号で受信できる。
現地から学生はブログに書き込む。
どんどの進んでいる。

午後8時20分記録ーー
12月22日
ASEP第一日目
予定通りスムースに空港までは着たが、飛行機が雪で閉鎖
なんと9:30分が夜の20:30現在まだ飛んでいない。
11時間以上待っている。

 雪だからどうしようもないが、今回は、携帯電話や空港内の無料ビジネスセンターがあったおかげで何とか台湾現地と連絡を取ることができた。

 JALは早々に欠航を決定、代替の飛行機があるのだろう、大韓航空、チャイナエアーなど1機でピストン輸送をしている会社は、空港閉鎖が解けるまで延々と待ち続ける。
 
手荷物検査と、パスポートコントロールを終えた後は、帰ろうにも帰れない。
いわば外には出れない、国内の外国にいるわけである。
 食堂もなければ、喫茶店も、到底、マッサージセンターや風呂もない。

ひたすら静かなガランとしたロビーで待ち続ける。

 中ではひたすら学生と話をする。現地でのプレゼンテーションの原稿を直したり、表現を変えたり、たっぷりすぎる時間があった。英語の学習方法について話をしたり、英語を読ませて、解説をしたり、翻訳のコツを話をしたり、ゆっくりと話ができた。

今頃、高雄市で台湾ビールを飲みながらというわけにはいかない。

すぐに閉鎖というのも困ったものだ。

係りの対応について考える
係りによって言う、うそ?が違う。飛行機が昨夜から駐機していた関係から、解凍の必要があり、2時間かかる。あるいは 滑走路までの表示が雪で埋まり、その部分の除雪に時間がかかる、
 結局はどうも 「閉鎖」だけのせいのようだ。

まだまだ ひたすら待つ。





2005年12月18日(日) 白血球

39度7分の熱で医者へ
白血球の数が3万 なんか儲かった感じ
いいかげんにしゃーよ
といわれながら点滴2本
血液検査の機械が警告音を鳴らしている

看護婦さんがうれしそうに様子を伺いにくる
点滴の時間に上級英会話のわけのわからない単語をやっつける
perseverance
忍耐強さ

ぴったりの単語である
パーセヴィランスと発音する
セヴぁランすではない
perを除くとセバランスである。
どうしてかなと、今度言語学の五十嵐先生に聞いてみようと思いつつ
点滴は進む
緊急入院だけは免れた
月曜日に再検査 それで入院かどうか きまる。
いま入院はできない 22日から台湾
しかし 1週間くらい 入院 ってうれしい!!


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