2003年07月05日(土) |
ジャイアンツ、久しぶりの圧勝!! |
すごく勘のいい人ですね・・ 私の「気になる一言」読んで、ここを見つけた人、 私の性格をよくご存じですね。ε=ε=ε=( ^o^)/ やあ!! そうです・・思い立ったらすぐ始めたい性格なんです、私。
そこで・・今日から、この日記は模様替え。 しもさんの「明日が楽しみ日記」、はじまり、はじまり・・。 (誰も、読んでないって・・ (ΘoΘ;)
明日は、朝早くから、缶や瓶の分別作業して・・一仕事。 できたら、子供会のドッチボール大会の取材を早いうちに切り上げて、 東京ドームへ。 (たぶん、行く時は鈍行。先発発表前にはドーム入り) 明日の楽しみは、もちろん「ジャイアンツの勝利」 最近、行くたびに負けて、みんなにドームへ行くな・・とまで言われているから。 明日こそ、大勝して帰宅。月曜日は、胸を張って出勤する予定。
さて・・明日は楽しみがいっぱい・・いい気持ちで寝ようっと・・。
2003年05月23日(金) |
中国側がそんなことをするはずがない |
できれば政治ネタは触れたくないけれど、 あまりにインパクトがあるフレーズだったから、とほほ。 中国から帰国した、与党マスク三幹事長の発言。 「我々が感染したら胡主席にうつるかも。」の後に続けて コメントした台詞である。 「するはずがない」という、言葉としての曖昧さと、 そう言い切れる根拠が見つからない。 「するはずがない・・と思う」「するはずがない・・と信じている」 この程度の認識ではないのだろうか。 国民には、10日間の自宅待機を促しておいて、自分達だけ1日とは。 冗句も含めて「政治家がそんなことするはずがない」と私は言いたい。 国内で起きている大きな事故の後、よく見かける 「関係者には考えられない事故」というフレーズも同じ。 考えられないことが起きたから、事故になったのではないか。 自分が感染しているかもしれないとわかっていて、 日本国内を旅行した台湾医師も、常識はずれだけれど、 この与党マスク三幹事長も、そうとうな非常識人間である。 また、それを止めなかった政治家達も、狂っていると思う。 もし、万が一、感染していたら誰が責任を取るというのだろうか? まったく危機管理意識の低い国である。 この話も、そのうち笑い話で済まされてしまうに違いない。
2003年04月30日(水) |
賢い消費者、賢い市民、賢い選手・・ |
最近、やたらと「賢い」という字が目に付くのは私だけだろうか? 商品として別に問題なくても、まずいとかクレームを付けて 新しいものに取り返させたりする消費者が増えている。 その為、クレーム処理担当は、そのストレスに耐えかねて自殺をしたり ノイローゼになるケースも目立ってきた。 そんな傾向を読み取り、消費者も賢くならなければ・・とコメントが載る。 先の統一地方選挙、リコールしたはずの町長が再選を果たす、 服役中の候補者がトップ当選を果たす。 こんな記事には、市民も賢くなって欲しい、と辛口コメントが賑わう。 監督采配で逆転負けをした試合、監督が「全部、私の責任です」と インタビューに答えれば「今更、そんなこと言うなよ」と選手が言い返す。 決して「監督に、そんな言葉を言わさて申し訳ない」と言わなかった 選手に対して「賢い選手がいないのか?」という呟きを見つけた。 これらの場合、決して本来の意味である 「頭の働きがよく知恵がすぐれている」として使われず、 別の意味の「要領がよい。抜け目がない」として利用されている。 「賢い」という文字を見つけたら、それは皮肉であると思ったほうがいい。 それだけ「ズル賢く」なったということなのだろうか?
2003年04月23日(水) |
「匿名」は、言葉の暴力 |
最近、新聞の投稿でも「匿名」を見かけるが、 私は、ある種の危険性を感じる。 インターネットでも、匿名性を使われ、 ホームページや掲示板を荒らされ困っている人を何人も知っている。 行政に対しても、その匿名性を使って、 住民からの提言という名目で、誹謗中傷に近い表現をした メッセージが届くことがしばしばある。 詳しい状況を知りたくても、連絡先はわからず、 自分の思うようになるまで「ばかやろう!!」の文字が 繰り返される。 いくら相手が行政であるからと言って、 何を言っても構わないというルールはないはずである。 しかも匿名であろうが、まちづくりに関する意見と捉えて、 最善の対応策を考えている現状を知ろうとせず、 暴言を浴びせ続ける住民がいることはとても悲しい。 そういった意味で「匿名」での誹謗中傷は、 言葉の暴力であると思う。 だからこそ、たとえそれが多くの人に伝えたい、 とても良いことであっても「匿名」を容認することは、 私にはできない。 自分の発言には、自分で責任を持つ。 これが今の私たちに求められている事だと思うのだが・・。 新聞社の投稿欄で見かける「匿名」には、 どういう意味があるのだろうか。是非、教えていただきたい。
2003年04月21日(月) |
無神経な番組編成に憤り |
「どうぞ、お楽しみに」 この言葉の使い方には、充分に気を使って欲しい、と心から思った。 実は、夫婦でテレビを見ていて、この台詞に憤りを感じたからである。 視聴者の情報や透視などの超能力を頼りに、難事件に取り組み、 少しでも解決していく番組を、 家族の悲痛なる叫びとともに祈る想いで見続けた。 そして番組終了後、次の番組に移る前に、翌日の番組予告が流れたが、 私たち夫婦は、ほぼ同時に顔を見合わせた。 まだ、先ほどの番組の余韻を引きずっていたからかもしれないが、 画面いっぱいに映し出された「悪魔の連続殺人鬼の恐怖」の文字と 「どうぞ、お楽しみに」というお決まりのフレーズに耳を疑ったからだ。 確かに、番組としては独立しているが、 前の番組の関係者や視聴者を意識していれば、 こんな無神経な言葉を繋げることはなかったはずである。 番組審議会なるものが存在するのであれば、 ひとつひとつの番組の内容にメスを入れる前に、 一日を一本の長い番組として捉え、 その繋ぎの部分に気を使って欲しい。 視聴者の私たちにとっては、流れ続ける画面を見ている。 生活者の視点にたった番組編成とは、そういうことなのだと思う。
2003年03月23日(日) |
「戦争反対」のコメントについて |
戦争が始まって、数日が経った。 (その間、私は風邪をひき、発熱と下痢に苦しんでいたが・・) 情報は交錯し、何か事実で何が偽なのか、なかなか判断がつかない。 突然のように、軍事評論家があらわれてコメントをする。 その肩書きすら疑問を抱く私には、なぜか納得できない。 湾岸戦争の時、その空爆をテレビで見ていて、 なぜか映画のようだと感じた非現実性と、 アメリカのテロ事件のように、映像操作が作り出す報道の曖昧さを 痛感しているから、なかなかコメントが出来ない。 今回の戦争で、多くのWEB日記をつけている方々が、 自分なりの感想を書いているが、それはほとんどが、戦争反対。 私は賛成、と堂々と書いている日記になかなかお目にかかれない。 もしも相手が、イラクではなく他の国だったら、どうだろうか? いつミサイルをぶち込まれるかわからない距離の国が、 戦争相手だったら・・と考えると 私は「少なくとも今回は反対」くらいしかコメントが出来ない。 だって日本の場合、大都市の空爆より、原子力発電を狙われたら それだけで木っ端微塵なのだから。 もしも、今回のこの戦争が景気回復に繋がり、 リストラされた国民に仕事が与えられるとしたら、どうだろうか? やっぱり、戦争が自分の生死に、そして生活に密着した時、 はじめて賛成・反対のコメントが出来る、と思うのだが・・。 いかがなものでしょうか?
2003年03月14日(金) |
ありえない事故はなぜ起きたのか |
富士市のビル壁崩壊の事故。 各紙、朝刊はトップ記事扱いであった。 興味を引いたのは、朝日新聞のこの台詞。 関係同業者の意見も「考えられない」。 だから、私にはよく理解できない表現であった。 「ありえない事だから、事故」というのだろう。 見出しだけを流して読むと、 たいして気にならないのかもしれないけれど、 茨城県東海村の民間ウラン燃料加工会社の臨海事故の時も、 同じような感想をもったと記憶している。 予想が付かなかったから、事故になったのではないか。 ありえないと考えていたのに起きたから事故ではないのか。 そんな疑問を抱えたまま、この事故の顛末を眺めている。 おかしいと思いませんか? もう一度、読み直して欲しい。 「ありえない事故はなぜ起きたのか」 (笑)
2003年03月07日(金) |
「匿名」のクレームは、言葉の暴力に等しい |
「インターネットのホームページ、 知らない人に荒らされて、閉じることにしました」 そんなメールが時々私のもとに届くことがある。 これはインターネットの世界だから・・と思っていたが そうでもない。 最近では、新聞の投稿欄にも「匿名」を良く見かけるが、 本当にいいのだろうか?と思ってしまう。 「匿名だから言えるんだ」という論理もあるだろうが、 自分の身分を明かさず、言いたいことを言う、という図式は あまりに一方通行である気がする。 「匿名」イコール「自分の発言に責任を持つ必要がない」という 意味だけではないが、大切にしたい文字でのコミュニケーションを 「暴力」にしてしまう危険性を含んでいる。 「匿名」で言いたいことを相手にぶつけた側は、 すっきりするのかもしれないが、 クレームを匿名で受けた側は、言われっ放しでストレスも溜まる。 返事すら出来ないイライラは、 家庭に戻っても、休日を過ごしても、 頭の片隅に残っていることを理解して欲しい。 会話は、お互い名乗ってから始めるものだと思うから。
2003年03月01日(土) |
「年度」と切り離したい教育制度 |
娘の高校卒業式、天気は残念ながら小雨。 この時期、毎年「三寒四温」で、天候が不順な季節である。 そういえば大学受験の頃は、 毎年インフルエンザや風邪が流行る時期と重なる。 人によっては、もう花粉症にも悩まされている。 (桜が似合うはずの入学式も、昨年は散っていた・・) 人生の節目や、人生を左右する高校や大学試験が、 体調の崩しやすい冬に集中していることに、 少なからず疑問を抱いている人も少なくないはずだ。 行政を始めとした社会全体が、年度というサイクルで動き、 先生の異動などもその流れの中だから・・ そんな声が聞こえてきそうであるが、 日本全体で「教育力」に危機感を感じているのなら、 試験の時期、入学式、卒業式の日程も検討したらどうだろう。 試験の方法が目まぐるしく変わる教育改革よりも、 もっと根本的なところに目を向けた方がいいと思う。 最高の能力を最高に発揮できる環境づくりが、 私たち大人が子ども達に残してやれることだと、私は考えている。
2003年02月25日(火) |
驚いた、韓国までの距離 |
韓国を訪問中の小泉首相は気付いているだろうか? 韓国と九州の近さを。 近いと言っても「韓国」は、しょせん外国、車では行けない、 その程度の認識だった、静岡県に住む私。 しかし韓国、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の就任を機に、 娘が使っていた世界地図を広げてみて、改めてその近さに驚いた。 是非、自分の目で確かめて欲しい。 博多から韓国・釜山(プサン)までの距離は、 博多から広島までの距離に近かった。 二倍しても神戸まで届かない、三倍しても名古屋、四倍で横浜、 網走では十倍しても届かなかった。 九州に住む人たちにとっては、忘年会で韓国に焼肉を食べに行く、 のもまんざら冗談ではないんだな、とはじめて納得した。 最近はインターネットで「韓国」と入力すると 「韓国の情報」が瞬時にわかるが、 時には、地球儀や世界地図を広げて「韓国」を知るのもいいな、 と感じた。 韓国を調べたはずなのに「日本の大きさ」を知ることになった。 危うく「木を見て森を見ず」になるところだった。 北朝鮮との距離も調べておこう、と思う。
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