2002年06月28日(金) |
「誰も『ごあいさつ』なんて読まないという意見」 |
今、ビジネス界では、インターネット上に 数え切れないホームページが存在する。 しかし、大半が総務・広報主導で作った会社案内型。 自社ビルの紹介や、社長のご挨拶が幅を利かせている。 これでは、誰のためのホームページなのかわからないという。 一言で表現すると、今日のヒントになる。 そんなことは (笑)、社内のイントラででも流せばいい、 そう言いたげな講師は、ホームページをみれば トップの実力が見えてくる、とまで言い切った。 企業はそれに気づき、少しずつであるが、 目次となるトップページが変化していると私は思う。 しかし、自治体はほとんどが、同じ構成である。 (笑) よし、もう一度、構成を考え直してみよう、と思わせてくれた 大切なヒントであった。
「誰も『ごあいさつ』なんて読まないという意見」はいかが?
2002年06月27日(木) |
「アクセスカウンターは意味がない」 |
「伸びる企業のホームページ」と題した講演を聴いた。 辛口で知られるという彼女は、 正直に思ったことを話しているだけだった。 その中の一つが、このアクセスカウンターについて。 出来たら外して欲しい、今からでも、と言い、 だって、自己満足の世界でしょ?と真剣に訴えていた。 私もその意見には賛成である。 もちろん、自分のホームページには設置してない。 だって、カウンターばかり気がいってしまうから。 訪れてくれる人達には意味を持たないカウンター、 誰のために・・という視点が抜けている気がする。
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2002年06月26日(水) |
「ほんの少しの三感(危機感、緊張感、達成感)」 |
同僚が受講してきた研修会の復命書で見つけたフレーズ。 地域を元気にする三感王、のメモ付きだった。(笑) これって「ほんの少し」がキーワードだな、と思う。 ただ、地域だけでなく、いろいろな場面で使える三感王、 そんなことも思った。 仕事でも、人間関係でも、私たちの周りでは 「ほんの少しの三感」が必要であると思う。 一度、自分の周りを見回して欲しい。 ギクシャクしていたら、この中の一つが欠けていると 考えてみたらどうだろう。参考になるはずである。
「ほんの少しの三感(危機感、緊張感、達成感)」はいかが?
2002年06月25日(火) |
「朝刊より夕刊をじっくり楽しむ余裕」 |
最近、新聞を読んでいての感想である。 見出しや掲載してある写真の違いはあるが、 どの新聞も、似たようなレイアウトになっている。 それに比べて、夕刊は各紙オリジナリティに溢れ、 内容も面白い。 文化・暮らしに関する記事の取り上げ方は、 一度、ゆっくり読んでみるといい。 雑誌顔負けの話題提供を見ると、編集者の苦労が目に浮かぶ。 夕食の後にでも、のんびり目をとおして欲しい。 きっと、予想以上の情報に驚くはずである。
「朝刊より夕刊をじっくり楽しむ余裕」はいかが?
2002年06月24日(月) |
「広報紙とHPの違いを意識する」 |
某新聞の投稿欄に掲載されていた記事。 これは、広報広聴の仕事をしている私にとって 大きな投げかけであった。 タイトルは「疑問を持った広報のネット化」 広報紙にサークル募集掲載をお願いしたが、 HPには掲載依頼していない、という御意見。 全国から電話の問い合わせで困惑した、というが・・。 ここで、なにいってるんだ、そんなの当たり前だろう、 と片付けるのは簡単だけれど、 私たちにも、反省する点が多々ある気がした。 広報紙は全戸配布といえど、たかだか数万部。読者は地元住民。 しかし、そのままHPに掲載すると、読者は全世界。 その違いを意識することから、 新しいメディアの活用を考える必要がある。そんな気がした。
「広報紙とHPの違いを意識する」はいかが?
2002年06月23日(日) |
「トトカルチョは、サッカーくじ、と覚える」 |
サッカーW杯、試合が白熱するたびに、 どちらが勝つか、賭けようか?ということになる。 それは、ビールであったり焼き鳥3本であったりする。 昔は、賭けのことを「トトカルチョ」って言ったよね、 もう誰も使わない死語に近いけれど・・という話をしたら、 トトカルチョは、イタリア語でね。(totocàlcio)と書く、 トトは、くじ。カルチョはサッカーを意味するから、 まさしく、サッカーの試合などを対象とした賭博の一種を トトカルチョということをある人に教わった。 恥ずかしながら、自分たちが賭けていた行為が、 トトカルチョだということになる。 (笑) 私はその時、初めて知識から知恵になった気がする。
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2002年06月22日(土) |
「時には『たられば』を考えてみる」 |
あそこで、こうしていれば・・・。 ここで、ああしていたら・・。 なにをやっても「たられば」は言い訳がましく聞こえる。 けれど、時には、その「たられば」を楽しんでみるといい。 出航が1ヶ月延びなければ、タイタニック号は沈まなかったかも。 当日、1時間、出発が遅れなければ・・ 月がほぼ新月でなければ・・、凪でなく風が吹いていれば・・ 見張りが双眼鏡を忘れてなければ・・ 事故は起きなかったかも知れないし、 起きたとしても、犠牲者が少なかったかも知れない。 くだらないと思う前に、試してみるといい。 事件ではなく、自分の人生でも楽しめる。 暇になった時の、時間の使い方。お試しあれ(笑)
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2002年06月21日(金) |
「伝言より、触れ合い。メッセージよりマッサージ」 |
住民からの提言を受けるメールを、以前から設置している。 しかし、スペル間違いを見つけた。(教えてもらったのであるが) massage@〜 と綴られたアドレスは周囲を惑わせた。 癒し・リラックスの意味があるんだろうか?など・・ (本当は、単なるスペルのミスなのに・・∫(TOT)∫) 伝言;便りの意味がある「message」 マッサージ(をする)意味がある「massage」。 しかし「(ごまかして)改変する」意もあるし、 (情報・データ数値などを) 都合よい結果になるよう操作する(こと)」意があることも知り、 慌てて訂正した。 (笑) 気持ちだけは 「口で伝える行政より、一緒に汗を流し触れ合う行政」を心がけたい。 それにしてもよかった、気がついて・・・。
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2002年06月20日(木) |
「もう少し歴史の重みを意識する」 |
ある新聞のコラムに、どこかの外国特派員のコメントを 紹介していた。 「日本の新聞には『歴史的』という言葉が溢れている」と。 確かに、サッカーW杯の記事は、この言葉が溢れていた。 しかし、それは歴史を変えるような大きなことだったのだろうか? 教科書に「2002年、サッカー杯、日本初勝利」と 年表に載るのだろうか? そう考えると、単語の意味を考えないと・・と反省させられる。 歴史とは、そんな簡単に変わるものではない。 私たちの意識が変わったとき、それは歴史的なことなのか。 今一度、言葉の使い方を調べてみようと思う。
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2002年06月19日(水) |
「少なくとも、水を差さない工夫」 |
サッカー興奮から一夜明けた新聞。 いまだに「TV観戦の対応」記事が、掲載されていた。 山形県庁には、多くのメッセージが届いたという。 その中のひとつ。 「国中の盛り上がりに水を差すな」が印象的であった。 うまくいっている間柄や物事をじゃまする意の「水を差す」。 韓国では、こんな記事は見かけないだろうな、と思う。 国を挙げて・・・はこんなことが話題にならないはずだから。 行政が目立つ必要はない、 「まちづくりは人づくり」を掲げるのであれば、 国民の盛り上がりを、じゃまをしない心構えが大切であろう。
「少なくとも、水を差さない工夫」はいかが?
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