2002年04月29日(月) |
「『痛み』を『苦しみ』に変えなければいい」 |
NHK「奇跡の詩人」という番組を観た。 本当に、奇跡としか思えない内容であったが、 疑り深い私は未だに信じられない、というのが本音である。 m(。_。;))m ペコペコ… 私は評論家でもないし、観なかった人に説明するには 時間と文字数が足りないので、控えることとする。 私のアンテナに引っ掛かった言葉を紹介し、 私の、そして読者の生きるヒントになれば、それでいい。 だからこそ、この一言を紹介したい。 誰だって生きているんだから、痛みはある。 痛みの強い・弱いはあるにせよ、痛みのない人なんていない。 だからこそ、その痛みと上手に付き合いながら、 苦しみに変えない努力が、私たちに必要となってくる。 少し、気持ちが楽になったフレーズである。
「『痛み』を『苦しみ』に変えなければいい」はいかが?
2002年04月28日(日) |
「あなたは、私がいないと生きていけないの」 |
ボーリングを題材にしたテレビ番組。 金城・黒木共演の「ゴールデンボウル」から・・。 この台詞を使った場面は忘れてしまったが、 なぜか、印象に残っている。 女性には二つのタイプがあるらしい。 「私は、あなたがいないと生きていけないの」 と、熱烈に求愛するタイプ。 「あなたは、私がいないと生きていけないの」 と、母性本能を感じるタイプ。 そして、ドラマでは後者のように言い切る女性がいいな、と 纏めていたような気がする。実は、私もそう思う。(笑) 危なっかしくて、見てられない、とか 私があなたの可能性をもっと見つけてあげる・・。 そんな意味を感じてしまうのは、私だけだろうか。
「あなたは、私がいないと生きていけないの」はいかが?
2002年04月27日(土) |
「余裕ができると強引になれる」 |
松井選手の打撃を、原監督は、試合後こうコメントした。 1打席目で、ホームランが出たので、次の打席、強引になった。 結果は、併殺打だったけれど、あれでいい。 そういう意味なんだろうと、私は解釈したが・・。 逆に考えると、余裕がないと、強引になれないということ。 今の私は、まだ強引になれないなぁ・・・仕事もプライベートも。 と言うことは、余裕がないということか・・・ やりたいこといっぱいあるのに、まだまだ強引に進められない私。 強引に進めることが出来たら、あっ、余裕ができたんだなって 思って欲しい。
「余裕ができると強引になれる」はいかが?
2002年04月26日(金) |
「うちでもやってくださいと言わせる意識啓発」 |
防犯、防災、交通安全など、行政の重要な仕事のひとつに 「意識啓発」がある。 民間では絶対手を出さない部分でもある。 効果があるのか、ないのか、わからないものに、 時間もお金も掛けて・・・と思っていたが、 実は違うということをある人に教えていただいた。 やる気のあるところに力を注ぐ、そして成果をあげる。 それがきっかけで、住んでる人間が元気になる。 そんな光景を見て、「是非、うちでも・・」と声が掛かれば 成功であることにも気が付いた。 意識啓発は、簡単に成果が出ない。 しかし、もしかしたら一番面白い仕事なのかもしれない、 最近、そう思うようになってきた。
「うちでもやってくださいと言わせる意識啓発」はいかが?
2002年04月25日(木) |
「人間って全員、無傷で生まれてくることを知る」 |
どこで見つけた台詞だったんだろう・・ 映画かな、本かな、ラジオかな? 「人間って全員、無傷で生まれてくるんだぜ、凄くない?」 とメモしてある。 (最近、物忘れがひどくて・・・) それにしても、面白いことに気が付いたなぁ、と感心した。 生まれてから、いろいろな経験をしながら、傷ついていく。 多くの人と交わりながら、傷ついていく。 すべての人間は、生きながら少しずつ傷ついていく、と言える。 しかし、傷ばかりではない。 その傷を癒す力も同時に、身につけてくるはずである。 生まれた時は、全員平等だったことだけに注目しよう。 ちょっぴり楽になると思うので・・。
「人間って全員、無傷で生まれてくることを知る」はいかが?
2002年04月24日(水) |
「歴史・伝統、そういう重みに惹かれるタイプ」 |
松井選手のコメントである。 だから、ジャイアンツが好きなんです、私はそう解釈した。 彼の関係者は、一度はメジャーリーグでプレイさせたい、 そう思っているかもしれない。 しかし、本人の気持ちは・・と感じた台詞であった。 (本人も、メジャー、と思っているかもしれないけれど・・) 野球が出来ればどこでもいい、と思っているかもしれない。 自分を必要としている人たちがいる中で、プレイしたい、 本人は、そんな気持ちがないだろうか。 中央で、トップで、がすべてではない、と私は思う。 歳を重ねてきた証拠だろうか、 撒かれたところで咲きなさい、そんな台詞が頭に浮かんできた。 若い松井選手に、なにか教えられたような気がする。
「歴史・伝統、そういう重みに惹かれるタイプ」はいかが?
2002年04月23日(火) |
「終戦は記念日ではない」 |
小泉総理が、靖国神社を参拝したことが話題になっている。 参拝は一年に一度、だから終戦記念日には行かないと、 マスコミに明言しているが、 気になっていたことがあるので、手帳を開いてみた。 記念日って、記念すべき出来事のあった日のこと。 記念とは、あとの思い出として残しておくことである。 「終戦は記念日とは言わない」と誰かが言った事を思い出したから。 楽しいこと、嬉しいことは記念日でもいい。 しかし、二度と思い出したくないことを「記念日」として ひとまとめにするのはいかがなものだろう。 あまり、政治・宗教に関することは書きたくないが、 ふと、目にとまったメモが輝いていたので取り上げてみた。
「終戦は記念日ではない」はいかが?
2002年04月22日(月) |
「私よりよっぽどよいではござりませぬか」 |
大河ドラマ「利家とまつ」。 最愛の息子を初出陣で亡くした、はる。 誰の慰めも、彼女にとっては、なんの力もなかった気がする。 しかし、その彼女を力づけたのは、子供が産めない秀吉の妻おねだった。 はる様は、また子供が産めまする。 私よりよっぽどよいではござりませぬか、と慰めた。 身体的にも、精神的にも、ボロボロと嘆く人を見かけるが もっともっとひどい境遇の人を知ると、 少し元気が出てくるのかもしれないな、と思ってみたりした。 不平不満のない人なんていない。 あとは程度の問題、そう思えれば、人生は開けてくる気がする。
「私よりよっぽどよいではござりませぬか」はいかが?
2002年04月21日(日) |
「お花さんが、バンソウコウはってくれたよ」 |
新聞で見つけた、素敵なコーナー御紹介。 子どものつぶやきが「あのね」の形で載っている。 その中のひとつ。 散歩の途中、勢いよく転んで両手をついた。 痛さをこらえて手をみると桜の花びら。 「お花さんが、バンソウコウはってくれたよ」 こんな話が10話くらい並んでいる。 子どもの視点、子どもの発想、子どもの表現。 北海道の子どもは「春のにおいを雪のとけるにおい」 と表現していて、驚かされた。 久しぶりに読んだ、子どものつぶやき。 「せんせいあのね」より、小さい子ども達の表現。 これからも、楽しみにしたい。
「お花さんが、バンソウコウはってくれたよ」はいかが?
2002年04月20日(土) |
「文字で説明しなくても、理解してもらえる写真」 |
カメラを片手に、取材と称して飛びまわっているが、 文字と違って、まだまだ思うように表現できない。(^^;; そんな私を知ってか知らずか、私の掲示板に こんなアドバイスをしてくれた人がいる。 「文字で書かなくても、 写真から事柄を読み取れるような写真を撮ること。 字の読めない人でも読める人でも、平等に理解してもらえる写真」 なるほどなぁ、と思う。 ついつい、写真の説明を文字でしてしまう私がいた。 短歌、俳句でも、絵画でも、ついつい説明文を読んでしまう癖、 直したいと思っていたので、試してみたい。 心で感じる写真、撮りたいと思う。
「文字で説明しなくても、理解してもらえる写真」はいかが?
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