2001年12月30日(日) |
「何かを書かずにはいられない生き方」 |
年末になって「いろいろな場面で一年を振り返って・・」 というパターンが、マスコミを中心に飛び交っている気がする。 昨年も、そしてまた一昨年も。 逆に来年も、再来年も「一年を振り返る」こととなる。 その場で考え、その場でコメントするのもいいが、 是非一度、紙に書き出してみることをお薦めする。 一年に一度が、今度は一ヶ月に一度、そして一週間に一度とかわり、 ついには一日に一度は、自分の生活を振り返ることが苦痛ではなくなる。 それが日記なのだと思う。 難しいことやカッコイイ文を書こうとするのではなく、 その日に感じたことを書けばいい。きっと何か見つかるはずだ。
明日から「何かを書かずにはいられない生き方」はいかが?
2001年12月29日(土) |
「風景のすみずみまで友達、という生き方」 |
以前は素晴らしい風景をみると、その中心にばかり目がいってしまう。 ところが、年末の大掃除をしながら、昔撮影した写真に目をやると、 四角いプリントのすみにも、しっかり思い出が詰まっていた。 面白いものだなぁ、と一人で感心し、 なんとかこのちっちゃな発見を言葉にしたい、と思っていたら、 捨てようと思っていた、京都のパンフレットにこう書かれていた。 私の気持ちとピッタリしたフレーズだった。 これからは、輝いている部分だけでなくまわりにも目を向けたい。
広い心で「風景のすみずみまで友達、という生き方」はいかが?
2001年12月28日(金) |
「小さな博物館を作ってみよう、という生き方」 |
年末で、部屋の掃除をしていて思った。 いろんなコレクションをして、捨てきれずに残っているなぁ・・と。 最近では「耳掻き」がご自慢。 日本国内はもとより、外国に旅行へ行った人まで お土産に「耳掻き」を探してきてくれる。 多くの方の協力により、集まった数は100本を超えた。 頭についた地域独特の飾り、見ているだけで楽しくなる。 こんなちょっとしたマニアは、町内あちこちにいるはずだから、 もう少し真剣に集めて、みんなに見せてあげたいな、と思う。 それが私の提案する「街中が博物館」
自分のコレクションにちょっと工夫して 「小さな博物館を作ってみよう、という生き方」はいかが?
2001年12月27日(木) |
「年末の忙しさを、笑いで吹き飛ばす生き方」 |
システム手帳をめくりながら、ここ数ヶ月を振り返ってみると、 出てくる、出てくる駄洒落のような言葉たち。 彼らにも、輝きを与えてあげようと思い立った。 「あれや、これや、それや。どれや?」 「ミハエルシューマッハ、みんなチャーシューメン」 「あっ、山本リキンダ」 「ピンポーン、乳輪で〜す」 「モー娘。とモーブス」 「座右の銘は?」「・・・・・・・・ざりがに」 「北海道って、日本の何倍あるんだっけ?」 一つくらいは、笑ってくれましたか? 重苦しい年末は笑って吹き飛ばしたい。 ただ怖いのは、どうしてこんな言葉をメモしたのか 私自身が覚えていないこと。(笑)
2001年12月26日(水) |
「40代の夫婦が手を繋いで歩ける生き方」 |
年末、大型ショッピングセンターで買い物だろうか? 40代の男女が、仲良く手を繋いで歩いていた。 その場に居合わせた仲間で「あの二人は不倫だな」とボソボソ・・。 失礼なことをしてしまった。m(。_。;))m ペコペコ… だけど、やっぱり見慣れない光景に、こちらが照れてしまった。 若い二人は、いいな、新婚かな?と思い、 逆に、おじいちゃんとおばあちゃんだと、ほのぼのしていて頬笑ましい。 なのに40代、50代の男女が手を繋いでいると、もしや・・・と 思ってしまう私たちがおかしいのかも知れない。 20年近く一緒に生活してきて、一番気心が知れてくる関係なのに・・。 ちょっぴり憧れるね。
照れることなく「40代の夫婦が手を繋いで歩ける生き方」はいかが?
2001年12月25日(火) |
「亡くなった人の為にも・・という生き方」 |
知人のお通夜から帰ってきた。79歳であった。 一緒に仕事をしたわけでもないのに、なぜか顔が見たかった。 数少ない私のコラムのファンでいてくれた人であったから。 「最近、新聞の投稿してないのかい?楽しみにしているのに・・」と言われ 「えぇ、今はインターネットを通じて書いています」と答えたのを覚えている。 その時の淋しそうな顔が、浮かんできてたまらなくなった。 棺の前の写真は「にこやか」で、 今にも「また、新聞にも投稿してよ」という声が聞こえてきそう。 この思いを契機に、また少しずつであるが、 インターネット以外の場でも、楽しみにしてくれる人のために書こうと思う。
遺影を見て「亡くなった人の為にも・・という生き方」はいかが?
2001年12月24日(月) |
「占いは人生のアドバイス、と思える生き方」 |
人間は本当に占いが好きである。 よくもここまで・・・という占いもあるが、 ついつい、解説を読んでしまう自分がいる。 同じ運勢だって、占いによっては正反対の結果さえあり得る、 そんな不確かなものに、私達はなぜ夢中になるのだろうか?と 以前から、少しだけ疑問があった。 しかし、その疑問は、同じように日記をWEB上に公開している方の 一言で解決した。 「占いは、上手く生きるためのアドバイス」 そう定義された占いは、いいことだけ信じればいい、という考え方より 一歩進んだところで輝いていた。 悪い運勢は、その日、ちょっとした事に注意すればいい。 まるっきり信じる、信じないというよりも生き方が楽である。
「占いは人生のアドバイス、と思える生き方」はいかが?
2001年12月23日(日) |
「絶対、という単語を使わない生き方」 |
人間の生き方に「絶対」ということはないのかも知れない。 言い切ることにより、多くの敵を作ることになる。 そんなことを、テレビで言っていた気がする。 (掃除をしながらなので、はっきり覚えていない・・) 今年を振り返って見ると、大きな事件のキーワードとなる。 「オフ・コース(勿論)」とは違う、圧力的な意味を感じる。 私達が絶対正しい、あなた達が間違っている。 絶対に安全だから・・。 相手を受け入れない「絶対」という考え方が、大きな歪みを生んでいる。 今後、気を付けていこうと思う。
相手のことを考えた「絶対、という単語を使わない生き方」はいかが?
2001年12月22日(土) |
「困っている人にお金をあげない生き方」 |
あるテレビ番組の実験。 お金に困っている人の話を聞いて、 助けてあげたいと思ったら1万円のカードをあげる、という簡単なルール。 しかし、ゲストの大竹しのぶは、番組と言うことも忘れ、 彼女らにお金をあげることを拒み続けた。 実験とはいえ、忘れていた大切なことを気付かせてもらった気がする。 年末になると、やたらと乞食が目立ち、 「電車賃がないから、100円恵んでください」と近寄ってくる人が増える。 気持ち悪いからと100円を恵んでしまうケースが多い。 お金を恵むより、魚の釣り方を教えてあげるべきだったな、と反省した。
簡単には「困っている人にお金をあげない生き方」はいかが?
2001年12月21日(金) |
「知らない友達?なんて認めない生き方」 |
冬休みに入る前に、街頭補導をする機会が何度かある。 いろいろな立場の大人達が、青少年健全育成を願ってやまない。 しかし、そんな大人達の願い空しく、 子ども達による自転車の盗難は、頻繁に起きているらしい。 雰囲気がおかしいので「その自転車どうしたの?」と聞くと 「友達にもらった・・」と言い張る。 「どんな友達?」と聞き返すと「うん?知らない友達」と言い返す。 もう少し、ましな嘘をつけ、と思いながらも、 私には理解できない「知らない友達」という友達。(笑) 絶対、そんなもの認めるわけにいかない・・。
時には頑固に「知らない友達?なんて認めない生き方」はいかが?
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