しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年11月10日(土) 「身体のすべてを使う生き方」

人間、生きていても使わない機能が沢山ある、ということを知った。
特に、薬指。手の指の中で一番使わない指だという。
そこに目をつけたのが、宝飾産業。
指輪は、左手の薬指、と決めたのは、
なにも心臓に近いから・・が理由ではなさそうである。(笑)
リングが丸いという根拠はあるらしいけれど、
薬指につけることは根拠がないらしい。
しかし、陽があたらなかった薬指は、いまや大活躍となっている。
さあ、身体を点検してみよう。
せっかく持って生まれた身体の一部、きっと何か意味があるはずである。
与えられた機能を使いこなす楽しみが増えた。

ふだんあまり使わない「身体のすべてを使う生き方」はいかが?



2001年11月09日(金) 「死ぬまで何かを続ける生き方」

わが町でも芸術祭、真っ盛り。驚くほどの作品の数々。
中でも、高齢者の作品は、何ともいえない趣がある。
そんな作品を見ていたら、ある人がこう言った。
「その人が生きてる間に、何をしたかではなく、
死ぬまで何を続けたかが大切だよね」と。う〜ん、納得。
プロじゃないんだから、上手い、下手ではなく、
一生涯を通じて続けている何かを持っている人が輝いている。
そんなことなんだと思う。
作者の職業欄、無職と主婦ばかりが目立つ芸術祭だけれど、
働くばかりのお父さん、今からでも遅くない。
死ぬまで続けられる何か探しの旅に出掛けてみよう。
まずは、その材料探しから・・
それだけでも、楽しい人生が持っている気がするから。

ねぇ「死ぬまで何かを続ける生き方」はいかが?



2001年11月08日(木) 「自分の夢を自分でつぶさない生き方」

以前書いたコラムを読み返していたら
「夢は本人が潰さない限り、つぶれない」というメモを見つけた。
もう7年以上も前の作品である。
夢は誰かが潰したんじゃない。
潰れたとしたら、それは自分自身が理由だといいたかったのだろう。
これからも、他人を失敗の理由にすることはやめよう、と思う。
成功したときは、みんなのおかげ。失敗したときは、自分が悪い。
最近、少しずつだけど、そう思えるようになってきた。(嬉しい)
もう一度、自分の夢について考える時間を持ってみよう。
いくつになっても、夢はもつことができる。

今度こそ「自分の夢を自分でつぶさない生き方」はいかが?



2001年11月07日(水) 「10年先を考えながら過ごす生き方」

ラジオで、いまだにオゾン層が破壊され続けている、
という話を、お天気キャスター森田氏が熱っぽく語っていた。
10年ほど前に、フロンガスの使用を禁止しているのに・・・。
と、いうことは10年以上も前に、私たちが便利ということで
使用していたフロンの影響が、今出ているということである。
皮膚癌が増え、一番影響を受ける爬虫類が減った、とも言っていた。
今、私たちが何も疑問をもたずやっていることが、
もしかしたら10年先の私たちの子供たちの負担になるとしたら、
それは大変なことだと思う。
環境問題が話題になっているときは、マスコミも取り上げる。
しかし、今はオゾンホールの拡大はなかなか話題にのぼらない。
以前より、環境問題は深刻になっているのに・・とまとめていた。
今回ばかりは、はっとさせられた。
目先の事件ばかりに気をとられず、自分たちが今できること。

「10年先を考えながら過ごす生き方」はいかが?





2001年11月06日(火) 「青春と書いた箱を大切にできる生き方」

押入れを整理していたら、奥から「青春」と書かれた箱が出てきた、と
ラジオで誰かが言っていた。
中から、昔の日記や雑誌の切り抜きなど、懐かしいものが溢れていたらしい。
注目は、自分の青春時代を、しっかり「青春」と区分できた感性。
つい「中学〜高校時代」「大学時代」と分けたがるのに・・・と羨ましかった。
いや、今でも青春だから・・と言い訳するのはたやすいが、
そうとう楽しかったのだろう、本当に充実していたのだろう、と思うと
今回だけは素直に「羨ましい」と思った。
自分の青春時代の思い出を「青春」という区分の箱をつくり、
思い出と一緒に閉じ込める。
何年後かに開けたときの感情は、私たちの想像をはるかに越えているのだろう。
いいなぁ・・と思いながら是非、若い人に勧めたい。

「青春と書いた箱を大切にできる生き方」はいかが?



2001年11月05日(月) 「伝統を大切にする生き方」

最近、巷では「創立100周年の記念事業」が花盛りの高校であるが、
その学校の持つ「伝統」を大切にしてきたといえる。
100年間という歴史が、学校の校風を作り上げ、
卒業生は、その「伝統」をかすかに記憶にとどめ
何気ない「日常生活」を続けている。
その学校を卒業したというだけで「ステイタス」となっているようだ。
しかし、今年のセンバツ大会準優勝校で、
夏の甲子園大会にも出場した仙台育英(宮城)が暴力事件で
春まで試合が出来ないという話をラジオで聴いた。
甲子園の常連校として実力をつけている野球部員が、
どうしてそういう事件を起こしてしまうのか?
野球部としての「伝統」は、どこにも見あたらない。
長い年月をかけて、先輩達が作り上げてきた「伝統」は
一時の感情で簡単に崩された。
そして多くの先輩達が「情けない思い」をしたはずである。
事件を起こした彼らは、現役部員だけでなく
みんなに迷惑をかけたことに気付いて欲しい。

私には関係ないと言わず「伝統を大切にする生き方」はいかが?



2001年11月04日(日) 「休日はひとつのイベントを楽しむ生き方」

昨日の雨がウソのように、晴天に恵まれた日曜日。
我が町でも「芸術祭」が開催された。
観客は例年以上に最後まで残っていたと感じていたが、
開会と閉会では、メンバーが大部分入れ替わっていた。
各地で、ウォーキングやスポーツ大会などのイベントが重なり、
あちこちに行きたいと思う家族もいるだろう。
しかし、どれも中途半端に終わる可能性がある気がしてならない。
ひとつのイベントに決めたら「最初から最後まで」つきあってみて欲しい。
きっと、いろいろな事が、見えてくるはずである。
一度に、いっぱい体験しなくてもいい、と思ってみよう。

じっくりと「休日はひとつのイベントを楽しむ生き方」はいかが?



2001年11月03日(土) 「意識して受けを狙える生き方」

真面目な人達が集まると、真面目な運動会になってしまう。
失敗せぬよう、慎重に慎重に・・・。
そして、何事もなく種目が終わっていくなんてつまらない。
職場の運動会に参加して、そう思った。
確かに競技だけれど、親睦親睦。
二人三脚で転び、ムカデ競争で転ぶ。背負っていた籠をひっくり返す。
そんな心の余裕が欲しいね。
サーカスの中で一番難しいのは道化師、という話を聴いたことがある。
大切なことは、まわりの雰囲気を見て道化師になれるかであろう。

時には「意識して受けを狙える生き方」はいかが?



2001年11月02日(金) 「殺人事件で悲鳴をあげる生き方」

ラジオから流れてきた台詞だった。
「最近、よほどのことがあっても、驚かなくなっている」って。
毎日のように、殺人事件がニュースで流れ、
私たちは、本当は大変なことに麻痺している気がする。
「でも、うちのおばあさん、今でも殺人事件をテレビで見ると
悲鳴あげるんです」と会話は続いた。
昔は、みんなそうだった。私だって・・・。
それが、日常茶飯事のように流れる殺人事件のニュースに
驚かなくなっている自分がいた。
生命の大切さを、あらためて実感したマンガにも出逢った。
二度としてはいけないことではない。一度でもしてはいけないこと。
やっぱり心に刻んでおきたい。

生きている限り「殺人事件で悲鳴をあげる生き方」はいかが?



2001年11月01日(木) 「自分の老いは自分で決める生き方」

最近、元気なお年よりに合う機会が増えた。
いや、楽しそうな高齢者と話す機会が増えた、と言っておく。
先日、テレビで中坊氏が、自分の老いなついて語っていた。
それが冒頭の台詞。
老いは誰が決めるものではない、自分が感じ、自分で決めるものだと
彼は言いたかったのだろうか。
それは、老い方にも言えることである。
限りある人生、どうやって老いていくか、
一度じっくり時間を掛けて考えてみるのもいい。
それ以後の生活が、少しながらでも変化するはずである。


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