しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年10月21日(日) 「音楽で季節を感じる生き方」

せっかく日本人に生まれたのだから・・・
季節というものを意識していきたいと思う。
それは、わたしの提案する「生きるヒント」の根底を流れる考え方である。
花などの植物、言葉、旬の味、風習などを意識して生活できれば、
こんな豊かな人生はないであろう。そんなことをいつも考えている。
ところが、ひとつ忘れていることに気がついた。「音楽」である。
渡辺徹がラジオ「おしゃべりクラシック」でこう言っていた。
「秋に秋(ビバルディ・四季)を聴くのはいいねぇ」と。
確かに、四季を全曲続けて聴く楽しみ方もある。
しかし、せっかく四季に恵まれた日本に生活しているのであるから
季節に応じた「ビバルディ・四季」を楽しみたいものである。
あっ、これが「秋」なんだ、と口からこぼれてしまうに違いない。

日本人だから「音楽で季節を感じる生き方」はいかが?



2001年10月20日(土) 「大人になっても、素朴な質問ができる生き方」

絵本の読み聞かせを促進し、多くの方にその楽しさを拡げて欲しいと思った。
いろいろな良い本を選ぶ「選書」のコツは、
「やさしく、短く、シンプルに」だと、
講師の先生はアドバイスを送ってくれた。
そんな時、あるお母さんが質問をした。
信号に関する本を選んで、子供に読み聞かせていたら、困ったことになった。
「信号は、赤・青・黄色と昔から決まっているはずだったのに、
子供は、赤・緑・黄色だと言い張るんです。どうしたらいいのですか?」と。
私も小さいときから、信号の色を不思議に思ったことが何度もある。
勿論、疑問は解決していない。
しかし、今となっては恥ずかしくて聴けないのが本音でもあり、
大人のずるさでもある気がする。
だからこそ、大人なのに子供のように、
わからなかったら、わかるまで聴ける人に憧れる。

たまには「大人になっても、素朴な質問ができる生き方」はいかが?



2001年10月19日(金) 「地方の特産を楽しむ生き方」

東北自動車道は、予想以上に距離があった。
だから何度となくトイレ休憩。そのたびにSAのみやげ物をあさる。
そして「名物」とか「地域限定」「ここでしか売ってません」の言葉につられ、
何でも買い込んでしまうのが、滑稽ではあるが微笑ましかった。
「名物に美味いものなし」と言われるが、そんなことはない。
仙台の「萩の月」、宇都宮の「餃子」などなど。
騙されたと思って食べてみるといい。本当に美味である。
確かに、いまの時代、インターネットでも買える。
しかし、その地域の温度、湿気などの風土をバックに育まれた特産品。
是非、取り寄せではなく、その地で試食して買いたいものである。
(狂牛病怖いけれど、仙台では「牛タン」を試食して購入。
チャレンジャーだね、と誉められた(笑))

旅に出たら「地方の特産を楽しむ生き方」はいかが?



2001年10月18日(木) 「携帯がなくても不便を感じない生き方」

宮城国体の視察で、秋田県の境に近い花山村に宿をとった。
周りは山、山、山。携帯は「圏外」。
誰からか連絡が入ったらどうしよう、何かあったらどうしよう、
そればかりを考えていた。しかし、それは意味がなかった。
繋がらないものはつながらない、仕方がないと思えばいい。
久しぶりに、電源を切ったままの携帯をバックに詰め込み、
宿の露天風呂に入り、秋の空気を満喫できることが出来た。
必要ないとは言わない。
ただ、時には携帯電話の電源を切ったままにする日を意識的に設け、
季節に合った歳時記を楽しみたいものである。

たまには「携帯がなくても不便を感じない生き方」はいかが?



2001年10月17日(水) 「自然を身体で感じる生き方」

2泊3日、宮城国体視察の宿は本当に山の中、花山村。
日中は意外と暖かかったが、朝晩は冷え込んだ。
その為か、温泉には欠かせない露天風呂があるが、利用者が少なかった。
大浴場から露天風呂までの、ほんの少しの寒ささえ我慢すれば
夜には満天の星、朝には紅葉に色づきはじめた山々、そして真っ青な空が
体感できるのに。
浴場から、大きなガラス越しに見る自然より、
ちょっと寒いけれど本物の自然を味わおうとする気持ちの余裕が欲しい。
紅葉は昼夜の温度差が激しいと、より色がハッキリすると言われている。
自分も落葉樹の気持ちとなって自然を体感してみよう。

「自然を身体で感じる生き方」はいかが?



2001年10月16日(火) 「言葉遊びができる生き方」

毎日、よく書くことあるね、と言われる。
しかし、あり過ぎて困るというのが、私の本音である。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、そして会話。
どこにでも、言葉は溢れている。真面目なことばかりメモする必要はない。
「頭からはびりついて、こびれない」
「あかさたな、みのもんた」
「勘弁してちょうちんよ」「恋のカラ回り」
「センとズリの紙かくし」(笑)
こんなことでもいい。
ウィットの富んだ会話には、こんな言葉たちを知っていると楽しい。
もう少しだけ「言葉と遊ぶ」感覚を身に付けてみよう。

会話には欠かせない「言葉遊びができる生き方」はいかが?



2001年10月15日(月) 「外国人を同じ人間と考えられる生き方」

何を言ってるの?と怒られそうだが・・・
ラジオで竹村健一氏が語っていた。
「日本は日本人のことしか報道しない」と。
アメリカ人やスイス人が多く亡くなっても、それに関する報道はない。
同じ人間なのに・・と憤慨していた。
いくら「グローバル」という単語を駆使しても、基本的な部分で
日本人以外を同じ人間として扱うことが出来なければ、ならない。
そのあたりの意識を変えないと、いつまでも
「井の中の蛙、大海を知らず」となる気がする。
そろそろ「日本からJAPAN」に発想をかえてみよう。
もっと世界が身近に感じられるはずだ。

「外国人を同じ人間と考えられる生き方」はいかが?



2001年10月14日(日) 「自分の字体をもっている生き方」

昨日に続いて、葬式ネタですが・・。
不祝儀の名前、しっかりプリンターで印字されている。
確かに、明朝体でしっかり整っていたけれど「?」だった。
なにもそこまで印刷となくても・・、と思ってしまったからである。
どんなに下手でも、構わない。
気持ちを込めて、書きましたって伝わる字体がいいな、と思う。
結婚式でも、お葬式でも、自筆で記帳することになる。
まさか芳名録にプリントする人はいない。
ここらで、筆ペン教室でも通って、サラサラと書けるようになりたいね。
「字」って不思議なもので、書かないと上手くならないらしい。

これからも一生、付き合っていく「書く」という作業。
それならいっそのこと
「自分の字体をもっている生き方」いかが?



2001年10月13日(土) 「香典の配慮が出来る生き方」

隣組のお通夜、今回は会計を任された。
不祝儀袋から、香典を確認して記帳する仕事なんだけど。
最近では、お札を裏にして入れることも知らない人が多い。
勿論、最初から準備してたと思われるから、ピン札を入れない、
など昔から言われていることが伝わっていない。
さらに気付いたことは、香典の額にあった袋を使ってないこと。
とても立派な不祝儀袋で数万円入れてあるのかな?と思ったら3千円。
逆に、十枚一組で売っているような袋に3万円。
なんだか、思わず笑ってしまった。
金額や住所も書いてない人は多かった。
確かにそんなこと、どうでもいいことかも知れない。
しかし、亡くなった人を悲しんで訪れるのであれば、
それくらいの、配慮ができる人間であって欲しい、と思う。

少しでも「香典の配慮が出来る生き方」いかが?



2001年10月12日(金) 「テレビの子守りじゃない生き方」

「まちづくりふれあいフォーラム」と題して、
地域の人々と話をする機会が与えられた。
しかし、定年、リタイヤした人たちは「何をしたらいいのかわからない」
「今から、始められることなんかない」と口々に言う。
する事ないから、一日中テレビを見てる、という人の多いことに驚かされた。
年金でパチンコ、という高齢者も多い。
「恥ずかしがらずに、地域の奉仕活動やボランティアはいかがですか?」
と勧めることにしている。
今まで、会社で部下に指示していた人たちが、
手をドロだけにして、汗をかきかき「花壇づくり」をし、
地域の女性軍に、怒られながらも、笑いながら一日を過ごす。
「テレビの子守り」から脱出した人々、
夕食のビールは格別の味がするはずである。

家に閉じこもってないで外に出よう。
「テレビの子守りじゃない生き方」はいかが?


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