しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年10月11日(木) 「型にはまらない生き方」

日本画家、秋野不矩さんが他界した。天竜市出身93歳。
インドを主題とした作品を見たさに、何度か「秋野不矩美術館」に
足を運んだものである。
彼女の名前「不矩」の意味は、「型にはまらない」という意味だと
生前彼女が言っていたことを思い出した。
男とか女とか、若いとか老けているとかも関係ない。
与えられた枠にとらわれず、自由に生きる。
そんな思いが「不矩」には、込められている気がした。
芸術の秋「型にはまらない」彼女の作品を、もう一度見に行きたくなった。

一生に一度の人生だから「型にはまらない生き方」はいかが?



2001年10月10日(水) 「生きるヒント」を目指して

私なりの処世術を、まとめていこうと思う。
超プラス思考の私が、社会に対して出来ること。
「言葉」という道具を通じて、生きがい探しのお手伝いかな?と感じている。
そのためには、何が出来るか、考えてみた。
この「今日のコラム」を通じて、私なりの「生き方」を綴っていきたい。
誰か一人でも、私の言葉が参考になって、豊かな人生を送ってくれればいい。
心から、そう思う。
WEBに公開するということは、そういう意味なんだと理解していきたい。
五木寛之の「生きるヒント」まではいかないけれど、
誰かの心が豊かになれば嬉しいし、私なりの社会奉仕と考えたい。
もちろん、書かせてもらっている私が一番、幸せであるが・・。



2001年10月09日(火) 「気になる一言」との差別化を

ついつい、手帳のメモが多くなると、書きたいことが増える。
そして、ついに「気になる一言」以外に、もう一つ日記を借りて
書き始めたが・・・。
読み直してみると、どうも気に入らない。
それは内容に工夫が見られないからだと、気がついた。
ふたつとも「気になる一言」になりつつあったから、
こちらは路線変更。
普段から思っていることを、コラムにしようと思う。
新聞投稿の下書き程度の感覚で・・・。
明日からの「今日のコラム」に乞うご期待。



2001年10月08日(月) やっぱり有線

パソコンの調子が悪くなった。原因は、無線LAN。
家の中のどこでもパソコンが出来るとあって、便利であったが、
どうもデータ転送が不安定で、思うような動きをしなかったのも事実。
仕事の上で大切とされる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」も
他人に伝言を頼むのではなく、出来る限り自分で行う方法が、
確実に相手に伝わることを、あらためて知った。
生活が便利になり、ついついコミュニケーションの方法も変わったが、
メールより、逢って、話して、触れる(笑)ことが
相手を知る方法としては一番良いことを認識させられた。
コンピュータが全てではなく、コンピュータはきっかけづくり、と
割りきってみよう。
より充実した人間関係が築けるはずである。



2001年10月07日(日) やだ、走りたくない・・・

スポーツの秋に相応しく、各地で体育大会が開催されている。
それはプログラムのフィナーレを飾るに相応しい
地区別対抗年齢別リレー。(人生行路、と呼ぶ地区もある)
それは、準備係の私の目の前で起こった。
小学校一年生からスタート、ところが三年生の選手が冒頭の台詞を言いながら
ダダをこねて、走らなかった。座り込んだまま動かない。
バトンを渡すはずだった二年生は、渡す相手がいなく困惑気味だった。
彼の予想外の行動に、私たち大人はどうすることも出来なかった。
これは、親が悪い、子供が悪い、の問題ではなく、
なぜ、このようなことが起こったのか、を問題にして欲しい。
少なくとも、リレーの選手に選ばれ大勢の前で走るはずだった。
そんな彼が、どうして走りたくなくなったのか?
子供を叱る前に、考えてみる必要があろう。



2001年10月06日(土) ・・・???・・・

言葉がみつからない・・この気持ちがタイトルとなった。
夕方、新幹線に乗り、一路帰宅の途についた私の横に、
一人の女性が何も言わず座った。
まわりも、座席もほとんど誰も座っていないのに・・・。
わざわざ私の隣に、大きな荷物を抱えて座った途端に、溜息をついた。
外は残暑を思わせる暑さなのに、彼女は黒のタイツを穿いていて、
何度か私の横で、足を組み替えたり・・(なんか変だな、とは思ったけれど)
それでも、ウトウトしていたので気にならなかった。
ところが、突然荷物の中から、ワンピースを取りだし、頭からスポッと
かぶったかと思ったら、突然立ち上がり今まで履いていた黒のスカートを
脱ぎ始めた。(腰を振りながら(笑))
そして、何もなかったように横に座り、化粧とか始めた。
私の眠気は覚めるどころか、何が起こったのか、把握できず、
たぶん、間抜け顔でぽか〜んとしていたに違いない。
ふたつ先の駅で、彼女は下車したが、今でもよくわからない。
もし、ドッキリだったら、情けない顔が映るに違いない。

車両の一番後ろの席だったから?
もしかしたら、背が高かったらニューハーフ?
それとも・・・
今日は、眠れそうもない。明日からは、しばらくこのネタで・・。



2001年10月05日(金) モノには記憶が繋がっている

昭和30年代からの資料館には、私の思い出が溢れていた。
まず、モノを見て「懐かし〜い」と一声をあげた後、
必ず思い出す風景や人間関係、
もしかしたらそれ以上の記憶が、芋蔓式に繋がってくる。
懐かしさは、同じモノでもそれぞれの記憶が蘇り、
無口な人を饒舌に変える力、を持っている気がする。
二人用の小学校机には、誰が引いたか真ん中に境界線を引いた後があったり、
付録の歌詞カードが欲しくて「平凡」や「明星」などを買った。
夏休み前には「かんゆうドロップ」を注文して、通信簿と一緒にもらった。
テレビも見ない時は、布をかぶせてあったなど、キリがない。
音楽や食べ物、そして見るモノ。
人間の五感って凄いなぁって、あらためて実感した視察であった。



2001年10月04日(木) 何人のロシア人を殺したでしょう?

アフガニスタンの子供が、使っている算数の教科書。
足し算を教える問題に、こういう問題があるらしい。
「あなたは、3人ロシア人を殺しました。私は4人殺しました。
さて二人で何人のロシア人を殺したでしょう?」。
この話を聞いたとき、憤りを通り越してしまい、悲しくなってしまった。
小さいときから、人を殺すということがどういうことか、
間違った教育を続けている気がする。
なぜ、紛争が終わらないのか?戦争が続くのか、
理解できなかった私にとって大きなヒントになった。
私の常識の枠の中では、絶対理解できない問題だから・・・。
それにしても、ショッキングな教科書である。



2001年10月03日(水) 「ダブルクリック」というより「コチョコチョ」

高齢者には「ダブルクリック」と言っても、もう忘れている。
う〜ん、なんと教えよう、と悩んでいたら
「ここをコチョコチョってやればいいんだね」と答えてくれた。
そんな教え方も有りなんだよな、とヒントを掴んだ。
長嶋監督を彷彿される擬態語。
「スパって感じて、バシッとくるから、ビュンなんだよ」と変わらない。
しかし、この擬態語をうまく使えるようになると、
会話も弾んで、楽しいものになるらしい。
勉強しよう〜っと。



2001年10月02日(火) お月様、見えたよ

十五夜の昨日、私の住む地域では厚い雲で、見ることが出来なかった。
残念と思っていたところ、私の住んでいるところでは見えるよ、と
何人かにメールをいただいた。
全国にいる知人、友人に感謝したい。
中には、中秋の名月をデジカメで撮って、HPに掲載してくれた人もいる。
今、こっちも見え始めたから、もうすぐ見えるはずだよ、と書いてくれた
愛知県からのメールは、私専用の身近な天気予報となった。
月の絵を書いてくれた人もいる。
う〜ん、いろいろな方法があるんだな、と感心しながらも、嬉しかった。
インターネットって、使い方次第でとても楽しくなる、
そう思った秋の夜長だった。


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