しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年09月11日(火) 300人の前で話すこと

パネルディスカッションのパネラーを引き受けた。
聴衆は約300人。
もっとドキドキするかと思ったが。
意外に落ち着いて、話せたのでないかと思う。
自分のくだらない冗談も、頷いてメモされてしまうと
困ってしまう。
しかし逆に、真剣に聞いてくれる姿を舞台から見ると
いい加減なメッセージを発せない、と身が引き締まる思いがした。
私にとっては、人前で話すことが苦手?なので、文を書く。
だから・・・と遠慮をしていたたものの、
大勢の前で話すことの快感を覚えてしまった。
今後、機会があれば、もっと大勢の前で話すことをしてみたい、
と思った。



2001年09月10日(月) 嬉しい全国からのメール

久しぶりに投稿した「読売新聞の投書」。
さすがに、全国版のすごさを感じさせられた。
「社会奉仕」というテーマで書いたコラムが掲載された日、
全国からメールが何通か届いた。
「みたよ」という内容がほとんどだけれど、
何年かぶりの友もいたし、つい最近知り合ったメルトモもいた。
ほんの数年前までは考えつかなかった反応の早さである。
コラムの基本は「ネタが新鮮」だということ。
何ヶ月、何週間も前の話をしても、意味が無い。
そういう意味では、毎日の事件とにらめっこであるから、
書いたコラムに、すぐ返事が届くのはとても嬉しい。
投稿も、ほとんどメールで出来るようになってきた。
全国からのメールを楽しみに、また投稿を続けてみよう。



2001年09月09日(日) 「命」の大切さを教える「家族」

巷では、テレビゲームが氾濫している。
暴力シーンが画面いっぱいに広がり、それに群がり大声を出して
熱狂しているわかもの達。
たとえ学校で「暴力はいけない」「人の命は大切にしましきょう」と訴えても
それは無意味に等しい気がするのは私だけだろうか?
最近、そんな私の危機感をあざ笑うかのように「殺人事件」が多発している。
なぜか?私なりの見解。
それは「核家族」が、人の命の大切さを訴える教育から遠ざけている、だった。
兄弟という小さな命の誕生シーン、身近な人間の死ぬ瞬間、人の死によって多くの人間が悲しむシーンなどを通して
「命の大切さを教える家族というシステム」が存在したはずだから。
今、テレビでは「東由多加・柳美里」の壮絶な「命」をテーマにした番組を放映している。偶然だろうか・・・



2001年09月08日(土) 周りの雰囲気を感じて・・

イベントで模擬店、お好み焼きを焼いて大忙しだった。
職場の部下が、冷やかしに来た。それはそれで嬉しかった。
しかし、私のまわりに議員もはじめ、体育協会の役員などいたし、
構ってられない忙しさに、なんとか気付いて欲しかったから
わざと「不機嫌を態度に表した」つもりだったが・・・。
案の定、彼らがいなくなってから「大変だね、ああいうのがいると」と
声を掛けられた。
「忙しいんだから、あっちに行け」と言えない雰囲気を感じて欲しかった。
「私で良かったら、手伝いましょうか?」がベストだけれど。
職員として参加してない、という言い訳は通用しないから。



2001年09月07日(金) 富士山のゴミ拾い

夏山シーズンも終え、ゴミ拾いが話題になっている。
もの凄い量だという内容は毎年変わらない。
一度、ゴミ拾いをやめたらどうだろう。
捨てる人と拾う人の意識が違うから、ゴミのポイ捨ては減りっこないと思う。
捨てる人は何度でも捨てる、拾う人はボランティアで拾う。
この図式が変わらない限り、無駄な作業である。
捨てる人が、ゴミ拾いの活動に参加する工夫をしないと・・・。
交通ルールを無視する人と、交通安全を願い活動する人の意識も違う。
この根本を解決しないと、ただの自己満足に終わってしまう。
他人の意識啓発は難しい。
「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」という言葉が
私の脳裏をよぎった。



2001年09月06日(木) 新聞投稿の再開

ある日突然、新聞投稿をやめた。
原因は、内容に関して、いろいろ意見を言う人がいたから。
「公務員のくせに」が一番、嫌な台詞だった。
新聞投稿は、どの紙面も基本的事項を書く。
「住所、氏名、年齢、性別、職業、電話番号」
私も適当に「会社員」とすればいいのだが、
書く側としては、身元を誤魔化してまで投稿したくない、と思う。
だからあえて「地方公務員」と書くことにしている。
しかし、それが・・・
「書く内容に制限が出てくる」となれば問題ではなかろうか?
過激なことはかけない、国、県、市町村の批判なども書きにくい。
コラムは社会的批判がこもっているから面白いのに・・。
エッセイではないんだ、という自負もある。
だから、やめた。
しかし、毎日楽しみに新聞を広げてくれている人の存在を知って、
もう一度投稿してみようと思い立った。
「大きな夢があるんだから、小さな批判に負けちゃダメ」
そう励まされて、やる気が出てしまった・・・(笑)



2001年09月05日(水) 悩んでいる若者たち

毎日、あるテーマに沿って短文を書いている。
お題は、参加しているメンバーが、
他のメンバーに尋ねる形のテーマが多いが、恋愛のテーマが多い。
彼氏・彼女にカラオケで歌ってほしい曲は?
あなたは、誘惑したい?
それとも、誘惑されたい?
あなたがしてみたいなぁと思う理想の恋は?
恋人と別れた後、どうしますか?
彼氏・彼女にするなら年上or年下?
遠距離恋愛、年の離れた恋愛は?
愛の無い肉体関係をどう思う?
あなたの恋のアタック方法は?
メールから始まる恋ってどう思いますか?
ひと夏の恋をどう思う?
どこからが浮気?!
男性、既婚者、43歳の私にとっては、悩ますネタばかりである。
しかし、彼ら彼女らの悩みに答えることによって、
最近考えてもいなかった自分が見えてくる。
へぇ、俺ってこんな事考えていたのか?
昔だったらこうだよなぁ、と思うこともある。
深夜にならないと発表されないテーマに一喜一憂する私がいる。



2001年09月04日(火) 人生の生きた証づくり

毎日一枚、はがきサイズの絵を描き始めた。
と、いっても勿論、本格的なものではない。
絵手紙のような洒落たものでもない。
長年日本画を描く妻、高校で美術部の娘、
ふたりが絵の話をしているのに、
私だけ仲間はずれは嫌だとばかりに色鉛筆を購入し、
何年かぶりに絵筆を持ったというのが本音のところである。
美術の授業のときは、思うような色が出ないだけでも
イライラしたはずなのに、今は、それさえも楽しい。
パソコン全盛の時代、デジカメで撮影した写真を油絵風、
水彩画風に加工できることも知っている。
しかし、あえて絵筆を持ち、世界に一枚しかない、
絵を描こうと思ったのか、自分でも不思議である。(忙しいくせに・・)
ただ、四十歳を過ぎ、そろそろ自分の「生きた証」を作りたい、
という気持ちが自分の中で増幅され、
今回のような行動に結びついたのかな、と自己分析をしてみた。
日記は毎日書いているから、続けることには自信がある。
一年後、ちょっぴり上達した私の絵が、
彼女等の批評の対象になることを願って、
今夜もビール片手に筆を動かそうと思う。




2001年09月03日(月) 社会奉仕(読売新聞・気流 掲載)

子ども達のボランティア参加・社会参加が話題となっているが、
それは大人の発想から生まれたシステム、と懸念していた。
しかし、子ども達から「面白そう」「楽しそう」という声が聞こえてきた。
先日、全国で開催している「IT講習会」のひとつとして、
小さい幼児を抱えているママの代わりに、託児をしてくれませんか?と
中学生・高校生に依頼したところ「私でよければいいよ」という声が
返ってきたからだ。
子どもがいて講習会に出られなかったママ、
夏休みに何か社会奉仕したかった子ども達、
そして、いつもと違ったお姉ちゃんたちに遊ばれて喜んでいる幼児。
中高生にメールが流行しているのも、
メールがくることで自分の存在価値を確かめているとも言える。
「自分は社会の中で必要とされている」と実感させてあげられるだけでいい。
託児を任された彼女たちは、眩しいくらいいきいきしていた。



2001年09月02日(日) 日記サイトの役割

「コラムニスト」をめざして、この日記サイトを借りることにした。
インターネットが普及してから、
今まで日記帳、大学ノートに書いていた文章をWEB上で発表することが
出来るようになった。夢のような話である。
しかし、単なる興味本位で開設した人たちも多い。
誰にも迷惑をかけてないからいいだろう、という理由で、
毒舌・愚痴・不満を書きまくる。
誹謗中傷なども気にせず「文字」という暴力を振り回している。
若者の活字離れを防いだ功績は大きいが、
今後、もっともっと増えてくると予想される手軽な日記サイトだからこそ、
ルールとマナーを徹底して教えて欲しい。
将来、有名作家が「日記サイトで修行しました」という台詞を
残してくれるよう見守っていきたいと、私は思う。


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