moonshine  エミ




2007年01月16日(火)  エンピツ

このスペースでひっそりと日記を書き始めたのは2001年の8月である。
それから5年半近くの月日が流れている。世の中は変わった。
当時、はにかみながら「実はネットで日記を書いてるんです・・・」と、仲の良い人に時々打ち明けると、決まって驚かれた。そして、「ネットで公開するって、何が目的なの?」「恥ずかしくない?」的な疑問をぶつけられたた。それに対して答えるのも、また恥ずかしいものだった。

今や、一億総ブログ時代である(大げさ。)
ブログという言葉が一般に認知され、友だちの多くがmixiに加入して日記を公開し、コメントを書きあっている。昔日の感だ(大げさ。)
ネットにこうして駄文を書き連ねることに対する変な羞恥心、罪悪感は薄れている。

そして月日とともに、ブログではないこの「エンピツ」サイトの隆盛はピークを越して久しく、私もまた違うスペースでブログを書いている。
どうしようかな、というところである。
まあ、あんまり深くは考えてないけど。いや、時々、考えるけど。
今のところは、2つのスペースは自分にとって住みやすいものである。
ちょっとこっちは、「裏日記」ぽくなってきたのかな。

文章を書くということに対するスタンスも、自分の中で、月日と共に変わってきた。書かなくても消化できる気持ちが増えてきた面もある。
それでいて、「書きたい」(=吐きたい)気持ちが奔流するときもある。
一億総ブログ時代だからこそ(繰り返すが、大げさ。)、なんでもかんでも垂れ流せないなーと思うようになったからこそ、いつのまにかマイナーになったこの「エンピツ」というスペースが有用だと思うときもあり。
ま、しばらくはまだこのまま、続けていくでしょう。

今月は仕事が忙しく、忙しい時期ならではの気持ちに、今日、なった。
とても苦しい気持ちだ。
それはこっちで吐露するみたいだ。今の私は。
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2007年01月15日(月)  4日間ダイジェスト

金曜日、仕事のあと、家の近くのスペイン料理屋に飲みに行く。家の近くとはいっても、行くのは5年ぶりくらいである。前回は辞めた上司に連れられていった。そのときはまだ、実家に住んでいた。
生ビール2杯のあと、ワインのボトル半分こしてもまだ足りず、グラスで飲み足す。

土曜日、美容室に行く。いつも担当してくれるスタイリストさんは、中央区内で5店舗を経営するオーナーでもある。店の売上、人件費、物件費についての大まかな開示をしてもらい、大いに話がはずむ。そうか・・・儲かってんだなー。ベンツなわけだ!

夜、北海道から帰ってきた賢ちゃんちに行く。お惣菜を買って、簡単に野菜を調理し、一緒に食べる。おみやげたくさんもらう。その内容はブログをどうぞ。お下品な(?)画像ありです。ちなみに私もおみやげを持ってった。最近、うちの近くに2号店ができた「西通りプリン」。おいしかった。

日曜日、午前中はまったりとして、昼過ぎにクルマでお出かけ。橋本の「小麦冶」でうどんを食べる。ヤマダ電器で電化製品いろいろ見る。賢ちゃんは真剣にテレビの買替を検討中。私はDVDレコーダーがちょっと欲しい。あとデジカメも。どうしようかなあ。夜は、白菜と豚肉のピリ辛煮、こんにゃくとしめじの煮物、ほうれん草のおひたし。かしわごはん。旅行太りしたという賢ちゃんのためにヘルシーメニューだ。早めに辞去して、自分ちに帰宅後はまた、料理。明日からのお弁当のおかずにポトフを作成。なんだかんだしてて、寝るのが遅くなる。

そして今日、月曜日。ものすごく寝坊する。時間との戦い、最近でももっとも激しいものであった・・・。仕事は、四半期決算の作業が本格化しているうえ、今日は上司が終日出張であったため、こちらで対応すべきこともいくつかあり、忙しかった。めっきり繁忙期モードだ。22時退社。
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2007年01月11日(木)  生ぬるい若者であってはだめだ。

ゆうべは東京の友だちが出張でこちらへ来ていたので、遅い時間からではあったが飲みに行った。彼の出張で私も都合のよいとき、だいたい、年に2−3回のペースで飲んでいる。大人になって久しい今、近くに住んでいてもそんなに会わない友人も数多くいることを思うと、私たちはだいぶ仲がいいと考えていいだろう。しかも20歳になる前から知り合い、長く続いている友情なのである。焼き鳥を食べながらいいペースで飲み、けっこう年の離れている彼に向かって、いつものように、好き勝手な意見をえらそうに語り続ける。

今月の日経新聞「私の履歴書」は、ノーベル物理賞学者たる江崎玲於奈氏が連載している。誠に失礼ながら、まだご存命とは思わなかった。物理を一度も学んだことのない私にとって(文系人間らしく、高校では必修の化学のほかは、生物を選択しておりました。)彼の名は、現代史の教科書に出てくる偉人でしかなかったのだ。

今は彼の青春期が語られている。今朝は東京大空襲の日のことが書かれていた。10万人が亡くなったという空襲で、彼の下宿先も焼けてしまった。しかし翌朝、罹災を免れた東大に行ってみると、いつもと全く同じ調子で、教授が授業をしていた。彼は東大アカデミズムの強さというものをひしひしと感じ、鬱蒼とした思いを勉学にぶつけたという。

「私の履歴書」の筆者たちは、たいてい皆なにがしかの形で戦争を経験している。誰の文章であっても、その経験を読むたびに、彼らの人生観の根底にあるものを想像して、慄然とせざるを得ない。平和な時代に生まれた私たちは幸せである。その幸せがどこに由来しているのか、せめてそれは知らなければならないだろう。

20代の前半、山田風太郎の『戦中派不戦日記』を読んだ。彼もまた、空襲の頃、東大で学ぶ学生だった。あの本、確か売ってしまった。なんて馬鹿なことを・・・。いつかまた読もう。

今日は22時退社。一日じゅう頭を使ってぐったり。帰宅後、洗濯、明日のお弁当のおかず作り。
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