小学校4年の頃だったか、社会科で47都道府県と県庁所在地を覚える課題があった。 今の学校事情がどの程度緩いのかは知らないが、当時は白地図で都道府県全ての場所も完全に覚えるまで、合格させて貰えなかった。 私はすぐに覚えたが、忘れるのも早く、今ではかなりあやふやで、都道府県の数すら時々間違える。
そろそろ寝ようかとお布団に潜った頃、月末辺りに2人で旅行に行こうかという話になった。 どこに行こう。 北海道新幹線に乗ってみたいけれど、春休みは混みそうだし、トラブル続きのJR北海道には不安要素が一杯だ。万一青函トンネルで何かあったらと思うと、足が竦む。 それに、暦の上では春でも、この時期に北国や雪国に行くのは気が進まない。よって北陸方面もパス。 では四国はどうだろう。 四国って、高知、香川、愛媛……あと1個どこだっけ?となり、何故かそこから、全国47都道府県全部言えるかという話になった。 北から、北海道、青森、秋田……と沖縄まで数えても、3つほど足りない。 九州って言うぐらいだから、県も9つあるよね?という主人に対して、いいえ7つですと答える私。 「滋賀は?」「言った」 「岐阜は?」「言ってなかったな、あと2つ」 「そうだ山梨! 山梨を忘れてるよ、おぼちゃんを告発した若山教授で一躍有名になった山梨大学がある山梨」「知るか!でも確かに忘れてたな。よし、あと1つだ」 そしてやっぱり、どうしても思い出せない四国最後の県。 「四国って言うから、4つなんだよな……土佐、讃岐、伊予、阿波。土佐は高知、讃岐は香川、伊予は愛媛、阿波は……どこだっけ。なあ、阿波踊りって何県だっけ」 「どこだったかしらね……昔、三田村邦彦が高橋かおりとの不倫で芸能レポーターからマイクを向けられていたのが阿波踊りの会場で……あーどこだっけ思い出せない」 関連するどうでもいい情報ばかり出て来るものの、肝心の名前だけがちっとも思い出せない初老夫婦であった。
夜中にトイレに起きた時、また思い出して気になってしまったので、ネットで調べてしまった。 正解は徳島県。 言われてみれば、あーそうだった!という感じである。
| 2016年03月01日(火) |
痴呆老人遺族対JR東海訴訟の最高裁判決に思う |
徘徊ボケ老人が線路に侵入して撥ねられたために電車が止まったから賠償金払え!という裁判に対して、家族に責任無しと言う判決が出た。 最高裁判決なので、これで決定らしい。 正直、絶望した。腹が立った。裁判官は馬鹿じゃないかと思う。 温情判決として歓迎する声も多いが、アホか。裁判に温情なんていらねえよ。 だったらJR東海にも温情かけてやれよ。巫山戯んな。
そもそも、線路に侵入するのは犯罪だ。撥ねられたから可哀相という問題ではない。 自殺者についても同じだが、列車は止まるし、飛び散った死体の片付けは他の誰かがしなきゃならないのだ。 発生した損害について、鉄道各社は片っ端から遺族に賠償請求するべきだ。家族を亡くして可哀相とかそういう問題ではない。寧ろ、死に場所に選ばれて勝手に飛び込まれた鉄道会社の方が可哀相である。 非常に意地悪な見方をすれば、今回の遺族は、これで痴呆老人の介護から解放される。万々歳だ。ありがとうイーストシー!ぐらいの気持ちで、一審判決が出た時に720万円を払っても良かったのに。 それが最高裁でひっくり返されてしまった。遺族は消耗するほどに痴呆老人の面倒を見ており、転寝した隙に老人が家を抜け出して徘徊、そして電車に撥ねられたので遺族に責任は無いと、今回の裁判では判断されてしまった。 これで前例が出来た。全力を尽くした振りをしておけば、痴呆老人を抱える家族は、老人が他所で何かを仕出かしても、お目溢しされる訳である。 誰も責任を取ってくれないなら、痴呆老人に損害を与えられた側はやられ損である。泣き寝入りしか無い。 更に、痴呆老人だけでなく、知的或いは精神障害者の家族にも適用される惧れがある。今回の判例を逆手に取って、家族は責任を免れる事が出来るのだ。これは大問題である。 誰が被害者なのか。誰が加害者なのか。 そこを摩り替えてはいけない。 感情で捻じ曲げてはならないのだ。 そしてもう1つ、この判例は、線路を姥捨て山にする可能性がある。 一瞬目を離した隙に痴呆老人が勝手に徘徊して列車に轢かれたという形を作ってしまえば、介護地獄から解放される、そんな希望を一部の人々に与えた筈だ。 断言しよう、これは真似する奴が絶対出て来る。鉄道自殺が後を絶たないのと同じように。
以上の観点から、今回の最高裁判決は、到底容認する事が出来ないものである。 これは社会のためにならない。 痴呆老人の世話が大変なのはわかるが、それで支払い義務無しとしたのでは、鉄道会社の負担が大き過ぎる。 介護施設を増やせという人もいるが、介護の世界はもう限界だ。これ以上、未来ある若者が自分の世話すら出来ない生産性の無い老人の犠牲になってはならない。労力の上でも金の上でも。 もうとっくに、日本社会は本気で、安楽死や尊厳死を考えるべき段階に入っているのだ。 現実から目を背けてはならない。
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