買い出しからの帰り道、いつもの抜け道を車で走っていると、前方に何かが落ちていた。 スピードを落としながら近付いてみると、猫の死骸であった。 勿論避けて通る。 こういう時、可哀相と思ってはいけないらしいが、ザマアミロとも思えず、やっぱり可哀相にと思ってしまった。 聞いた話によると、可哀相と思ってしまうと、付いて来ちゃうらしい。霊が。 しかし、果たして動物には魂があるのだろうか。 霊体験豊富で、あの世のものに詳しい主人に訊いてみたところ、 「凄いねシオンは、デカルトみたいな事を言うなあ」 と言われた。聞き覚えはあるが、誰だっけデカルト。 「哲学者だよ。二元論を説いた人。『我思う、故に我あり』も、この人の言葉だね」 ルネ・デカルトはフランスの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。(byウィキペディア) 「『我思う』は知ってる〜。自分の存在を疑う時、疑っている自分は確かにいるのだから、自分は存在するのだって奴だよね」 「まあそんな感じ。二元論ってのは、世界には物質世界と精神世界の2つが存在するのだという説で、その両方を兼ね備えている、つまり肉体と魂を持っている唯一の存在が人間であると彼は主張した。 つまり、二元論的には、猫に魂は無いと言う事になる」 流石に私より長生きしているだけあって、主人は色々な事を知っている。 凄いなあと素直に感心した。 「なるほど、デカルト的にはそうなるのね。じゃあ貴方の説は?」 「猫にも犬にも魂はあると思うよ。デカルトは人間以外の動物を『自動機械』と位置付けたけれど、うちの実家で飼っていた犬も猫も、僕は心で通じ合えた実感があるから、動物にも魂はあると思うよ」 「じゃあ、どこまでが動物? 単細胞生物は? 植物は? どこで区切られるの?」 「植物にも魂はあると思うよ。固体による区切りではなく、生きとし生けるもの全てに存在するんじゃないかな」 なんだか仏教的な話になって来た。
その日の夜、お風呂に入っていると、磨り硝子(と言っても素材は硝子ではない)の向こうで、主人が、 「チャオ」 と言うのが聞こえた。 何?と訊き返しても返事が無いので、居間に戻ったのかと思って呼び出し釦を押して、主人を呼び戻した。 どうかした?と言われたので、 「いや、今そこにいたでしょ。よく聞こえなかったけれど、何て仰ったの? チャオ?」 と訊くと、 「知らないよ、ずっと居間でテレビ見てたもん。その音だったんじゃないの」 と言って、主人は居間に帰ってしまった。 この家には主人と私しかいないし、さっきのは男性の声だったからてっきり主人だと思ったのだが、ほかに誰かいるのか。 まさか、昼間の猫じゃないだろうな。チャオではなくてニャオ……。 しかし猫の声ではなかった。ううむ。 いよいよ私も霊能者の仲間入り?
ワールドニュースを見ていたら、オーストラリアのとんでもニュースが飛び込んで来た。 とある神父が、自分が同性愛者である事を告白し、更にパートナーと一緒に暮らしている事まで公表したという。 その報道を、主人と一緒に見ていたけれど、
駄目だろう、それは……。
というのが、我々2人の共通見解である。 キリスト教は、本当はホモ禁止の筈。 聖書にちゃんと書いてある。ソドムとゴモラは、そのために神によって滅ぼされたのだ。 プロテスタントはかなりいい加減だからホモ牧師とかいるけれど、この人、神父だよね。カソリックだよね。 緩いプロテスタントと違って、神と繋がるために肉欲を退けるので、そもそも妻帯を禁じているのだ。 なのにパートナーて。 ホモだからOKとでも? 縦んば性的関係は持っていないとしても、それってどうなのさ。 当の牧師は、 「悩みに悩みました。しかし神に祈って、この答えを得たのです。私は許されました!」 みたいな事を晴れがましく言っていたが、えーとそれって、神様じゃなくてサタンって奴じゃないのかな、多分。そんな気がするよ。 キリスト教信者でもない素人の自分ですら、これはアカンやろと思うのだが、バチカン的にはどうなのだろう。 ただでさえ聖職者による少年への性的暴行(しかも神の名を騙って。信者じゃなくても許し難い)が問題となっているのに、教会がホモを容認したら、余計問題が増えそうだが。 しかし今の法王は、離婚や中絶に対して寛容な、良く言えば革新派らしいので、下手するとホモも容認してしまいそうで怖い。 減少の一途を辿る信者を獲得するために、各所への門戸を広げたいのだろうが、そんな事になったら世の中はどうなってしまうのだろう。 宗教の役目は、人々の心の拠り所になるだけではなく、人々を正して世の中を良い方向に持って行く事ではないのか。
残された最後の砦は、イスラム教だけになってしまった。
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