夜の10時頃、家の電話が鳴った。 誰だこんな非常識な時間に、と思ったら、霊能力者が「シオン宛だよ」と。 果たしてそれは、妹からの電話であった。 第一声は「夜分ごめんなさい」。うむ、最初にそれを言わないとお姉様に怒られるからな。 何だか興奮している様子だが、何用かと問うと、 「これこれこういう事があって、そんなの嫌だって言って断ったんだけれど、お父さんとお母さんはそれぐらいいいじゃないって言うの。私、間違っていないよね?」 と言う。 間違っていないよ、と言ってやると、 「お姉ちゃんなら解ってくれると思った」 と泣きそうになっている。四面楚歌じゃあな。 「だって当事者はアンタじゃん。お父さんでもお母さんでもない。それを外野が『それぐらいやってあげたら』って無責任だよ。結局嫌な思いをするのは外野じゃなくて当事者なんだから、アンタが相手方と納得行くまで話し合って決めたらいいよ」 と実際はこんな冷静な口調ではなく、怒鳴りつけるように言っていたとは、傍で見ていた主人の弁。 私が妹を叱り付けていると思ったらしい。私は一緒に怒ってやっていたつもりだったのに。 途中で電話を母に代わったので、客観的に見て妹が悪いのなら正すべきだが、見栄や遠慮のために当事者である妹を背後から撃つような真似は止めろと言っておいた。 「お姉ちゃんに訊いて良かった」と妹は言ってくれたが、それはシオンが家族の中で1番常識人なのではなく、1番はっきりと物事を言うからだからね、と何故か釘を刺す主人であった。 うんまあ、世間的に自分は常識人ではなく、寧ろそこから遠くかけ離れているという自覚はあるけれどさ。
| 2012年09月08日(土) |
初期型モーグ・シンセサイザー「箪笥」 |
今回のタモリ倶楽部、ゲストが超豪華であった。 なんと作曲家の冨田勲と、その弟子。 私の中で冨田勲と言えば「リボンの騎士」。(主人は「キャプテンウルトラだろ」と言うが、ごめん知らない……) 元々は器楽曲なのを、子供にも親しめるようにと歌詞を後から付けたそうだが、あれは前川陽子だから歌えるのであって、子供には到底無理であった。 横道に逸れたが、冨田さんは今回、作曲家としてではなく、シンセサイザー奏者の第一人者としてゲストとして呼ばれたのだ。 なので弟子もシンセの弟子で、松武秀樹という人だった。主人によるとこれまた一流で、YMOにも参加していた人なのだとか。へえー。 この2人に、初期のシンセサイザーを演奏して貰うという企画らしい。 その名もモーグ�掘檻叩J面勝崔戎據廖3里�に家具並みに大きい。 テルミンと同じくモーグというのもこの楽器を作った人の名前だが、モーグ博士は電子工学の専門家なのだとか。 そう言えば今年のいつだったか、グーグルの検索ページがシンセサイザーだった事があったが、あれがそうか。 どうしても欲しくて、1971年当時に1千万もかけてアメリカから輸入したのに、こんなのが楽器な訳があるかと羽田の関税で止められ、アメリカに頼んで演奏している証拠写真を送ってくれるように頼んだら1箇月後にやっと送られて来たとか、 手に入れたはいいが手順書も取扱説明書も無く、この部分の最大出力はこれだけね、みたいな数値しか記載されていなくて全くの手探りだったとか、 普通の人間なら途中で音を上げるだろうという困難に立ち向かって第一人者になった冨田さんは、やはり並の人間じゃないと思った。 1千万円に対してだけの執念ではなく、これで音楽を作りたいという欲求が、やはりそこまで駆り立てたのだろう。 そして世に出た作品集が、今もCDで出ている「月の光」。 何でドビュッシー?と素朴な疑問を口に出してみたら、主人が解説してくれた。 ドビュッシーやラヴェルといった印象派の音楽は、途中で音色が変化して行くのが相応しい、作曲者もきっとこう作りたかった筈だと、以前冨田さんが何かの番組で言っていたらしい。 なるほど、言われてみれば確かにそんな感じがする。言われないと解らない私。
今でこそ鍵盤が付いたり小型化されて持ち運びが容易になったりしているシンセサイザーだが、昔はとんでもない代物だった事を、私はこの番組で初めて知ったのだった。 いつもくだらない企画ばっかりだが(それはそれで良いが)、偶にこういうアカデミックな話を聞けると得した気分になる。 しかしそこはタモリ倶楽部、最後はくだらないお題で締めてくれていたが、昔のシンセはまだ不安定で、時間が経つとどんどん音が変わってしまうものだったというところまで余さず見せてくれたのだった。
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