天上天下唯我独尊

2011年04月05日(火) 電車のマナー

普段は車生活だが、時には公共交通機関を使う。
運転しなくても移動出来るのは楽だが、どこの誰が何に触った手で触り、どこに座った尻で座った席かと思うと、ギャーとなる。
私はどちらかと言うとズボラだし、潔癖症だとは思わないのだが、人前でも平気で鼻糞をほじくるジジイとか見ると、死ねと思わざるを得ない。
いやホントに、いつだか電車で帰って来た時に、駅のエスカレーターで隣のジジイがよろけてたんだけれど、その直後に鼻糞ほじり始めたんで、ぎょええと思って後退りしてしまった。
エスカレーターで後退りは危険だが、そうせずにはいられなかった。
一寸アンタさっきよろけた時に、私のコートや鞄に触らなかったかい?
よろけたのは鼻糞をほじくる前だったとしても、いつでもどこでも人前でも平気で鼻糞ほじくる奴は、その前にもきっとほじくっていたに違いない。
こんな鼻糞テロジジイは死刑でいいと思った。

鼻糞ほじくるのは、ジジイばかりではない。
若い女もいた。
しかしイマドキの美人ではない。
あれは患者だったのか、なんか変な感じの人だった。
手は傷だらけで、潰瘍のようになっていた。
やはり何かの病気なのだろう。
学校帰りの高校生も、平気でお菓子を食べていたりするので、勘弁して欲しい。
ポロポロ零れるスナック菓子、しかも私の嫌いなキムチの匂いだったりすると、殴りたくなる。
せめてどこの学校かが判れば、学校に苦情の電話でも入れられるのに、自分の育った場所ではないので、制服の見分けが付かない。男子生徒の学生服なら尚更判らない。

女性のマナーも酷い。
スカートを穿いているのに、何故脚を閉じないのか、同性としてかなり不思議である。
眠りこくって膝が開いてしまうのなら兎も角、起きているのに開いているのだ。
しかもそれが、見えそうで見えない。見ている方もかなりストレスだ。
しかし昨日は、それをかなり上回る兵がいた。
ショートパンツ(ホットパンツって言うの? よくわからん)を穿いた女性が、靴を脱いで、次に驚くべき行動に出たのだ。


さあ見よ!と言わんばかりの開脚っぷりである。
毛のお手入れもしていて、よほど自信があるのだろう。
残念ながら、彼女の向かい側には女性しかいなかった。男性諸氏に代わってあげたかったよ。
手に入れた新しい携帯で、つい撮ってしまった。
隠れて撮ってはいないし、彼女も隠していないのだから、盗撮には当たらないよね?



2011年04月04日(月) 最後のお別れ

津波の犠牲になったお稽古仲間の葬儀に参列した。
気取ったところが無く、また邪気の無い人だった。
親に大事にされて、ちゃんとした教育を受けて、結婚してからは夫君に大事にされ、子供を大事に育てた人なのだと思う。
子供達が巣立ってからは、社会のために勉強して働くという、明るく活動的な人だった。
全く違うタイプの人間である私にも、裏表無く、優しく接してくれた。
そんな彼女には当然友人が多く、親戚やご主人の仕事関係者だけでなく、大勢が参列し、とても立派な葬儀が行われた。

何人かが弔辞を読み上げたが、1番上手だったのは、古くからの友達だという学校の先生。
文章もしっかりしていて、音読も素晴らしく、聞く者は皆感動した。
担当は国語科と聞いて、更に納得。
学校での勉強は大人になったら役に立たない、などとほざく人が時々いるが、そんな事は決してない。
母国語でちゃんと作文する事は、こういう時に役立つ。
特に義務教育で習う事は、大人になっても大切な基礎なのだ。
大人になって、恥をかかぬために、ちゃんと身につけておかなければならない。
次の人の貧相な弔辞を聞いて、私はそう感じた。

学校の先生の弔辞は非の打ち所が無かったが、その他の弔辞を聞きながら、
「下手糞だなあ」
「イントネーションがおかし過ぎるだろ。どこの人だよ全く」
などと、私は密かに突っ込みを入れていた。
葬儀が始まるまでは故人と無関係な話でひそひそと談笑していたのに、いきなり弔辞で感動して歔く一般席の人々にも、なんだかなあと思った。
そんな私に対しても、彼女なら
「やだもう、春さんたら」
と笑ってくれるだろう。
そんな人だった。

ちゃんとお別れを言えたし、ご家族にも挨拶出来たし、行って良かった。
葬式は、死者のためと言うより、生者のための儀式であると言われるのが、わかった気がした。

会場を後にして、ひとりになってから初めて、彼女のために泣いた。


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