| 2010年11月01日(月) |
裁判員制度とは何だったのか |
耳掻き裁判の1審判決が出た。 無期ですってよ。 つまんなーーーーーーーーーい!
そもそも裁判員制度って、プロの裁判官の判決が甘過ぎる! 市民感覚からかけ離れている!という事で導入されたのではなかったのか? それなのに無期懲役って、何のための裁判員制度なのか。 甘い。甘過ぎる。 反省の態度が見られるから死刑は回避って、そんなの幾らでも演技で隠せるではないか。 何でこの期に及んで死刑に対して怯むんだ? ったく、こんなヘタレ共ではなく、
私に裁判員やらせろ!! とTVの前で叫んでしまった事だよ。ゼエゼエ。 そしたら主人が、 「シオンの所には、裁判員の通知は来ない方が世の中のためだね……」 だってさ。心外だ! 「あら、嫌々やる人より、積極的に参加したい人にやらせた方がいいと思うんだけれど! 私なら、この腰抜け共を説得して、死刑に傾けさせるわね」 「いや、シオンのは説得じゃなくて脅迫でしょ。裁判官を刺しそうで怖いよ」 「あら、刺すなら裁判官より、裁判官の身内でしょ。1番いいのは子供かな。想像力の無い人間は、実際に遺族と同じ立場に立たないと、結局判らないんだと思うの」 私がニヤリと笑ってそう言うと、主人がかなーり引いたのが判った。
「人を裁くことなかれ。 しからば汝らも裁かれざらん」とは有名な聖句である。 「汝等人を裁くごとく、己れも裁かるべければなり」と続くのだが、これには異を唱えたい。 自分が裁かれないように、だから人を裁いてはいけないとイエスは言うが、寧ろ、己を律するためにも人を裁くべきではないか。 仮令人を裁いても、自分は裁かれないように言動に責任を持て。という方が道徳的にも宜しいのではあるまいか。
ストーカーに粘着されて娘と親を同時に亡くした遺族の心情を思うと、この裁判員達と裁判官が正しい判断をしたとは、到底思えないのである。
私は人を殺した。
追っ手が迫る中、私はとある屋敷の庇の陰に隠れていた。 普通に軒下に佇んでいたのでは見付かってしまうので、文字通り外壁に貼り付き、姿を隠していた。 それでも人に見付かってしまった。 知らない男だ。百姓の格好をしている。 私は壁に立て掛けてあった竹を手にした。少し細いが程よく撓り、先が斜めに切れているので丁度いい。 竹槍を目の前に突き付けると、男は慌てて逃げようとした。 追っ手ではなく、ただの百姓なのか。 しかし顔を見られた。 追っ手に問われれば、私の事を話してしまうかも知れない。 私は迷わず、口を封じる事にした。 逃げる男の背中を、竹槍で一息に貫いた。
敷地内で顔を見られた者は、男も女も殺した。 その数、片手では足りぬ。 逃げなれば。早くこの場を離れて、足跡を消さなければ。 小雨が降っている。 私は門に引っ掛けてあった傘と蓑を身に着けた。 片手には杖代わりの竹槍を持ち、心の臓を守るための瓦を1枚懐に入れて。 やはり瓦では重過ぎる。 どこかで鎖帷子を調達しなければ……。 早足で歩きながら、そんな事を考えた。
なんつー夢だ……。 こんなに寝覚めの悪い夢は久し振りだ(苦笑)。 起きてからも、槍で人間を貫く感触が手に残っているし! 自分が怖いよー! 夢の話を正直に主人に話したら、 「それはシオンの願望なんじゃないか」 と言われた。 そして完全否定も出来ない私(何 でも多分違うと思うの! 願望じゃなくて、わうわうで映画「カムイ外伝」の予告を見たからだと思うの! きっと私は抜け忍で、追い忍に追われていたのだと思えば辻褄が合うと思うのー!
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