掃除と洗濯をして、さあ一息入れようとTVのスイッチを入れた。 ワイドショーの時間は終わってしまって、地上波では見るべきものが無いため、BSをつけたら、N響定期をやっていた。 指揮は準・メルクル、グリンカ作曲の歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲……知らない。 そして、知らない曲だと眠くなる私。家計簿をつけながら、ついうとうととしてしまう。 次はラフマニノフ作曲のピアノ協奏曲第2番。 これなら知ってるー♪と目が覚めた。 ピアノは中村紘子。超有名どころである。 しかし。 この演奏を聴いて、別の意味で目が完全に覚めてしまった。
ええと、これって、お金取っていいレベルなの?
切れの無い、乱暴なラフマニノフ。 客席にいたら、演奏が終わってお辞儀をする中村紘子に向かってブーイングしちゃうかも……と、お金を払って聴きに来たであろう聴衆に同情してしまった。 日本のクラシック・ピアノ界を永年牽引して来た彼女も、もう65歳。そろそろいいお歳である。 以前、歌手の引き際について書いた事があったが、ピアニストにも寿命があるんだなと思った出来事であった。
ステージが終わって、何故かブラボーの声が飛んでいたが、あのブラボーは中村紘子より寧ろ、準・メルクルに送られたものだったのか。 大変だよねえ、ソリストとオケを繋がなきゃならない役なのだから。 そう言えば、指揮者と言うのは、音楽家としても人間としても結構寿命が長い。 朝比奈御大も、90を超えてステージに立っていらした。 あの全身を使った適度な運動が長生きの秘訣だと聞いた事があるが、強ち本当なのかも知れない。
「奇跡体験!アンビリバボー」の感動コーナーで、聾の女性が歌手を目指す話を取り上げていた。 以前この日記で24時間テレビを批判した時にも書いたが、こういう感動の押し売りは受け付けない。 「夢を叶える」とか「不可能を可能に」とか言えば聞こえは良いが、人間には出来る事と出来ない事、向き不向きがあって当然だと、私は思うのだ。 挑戦する事は悪くは無いし、努力は素晴らしいのだが、この場合は方向性が違うだろ、と思うのである。
聾者の音楽家はいる。 エヴェリン・グレニーという人などは全聾だが、振動で音を感じて、他の人と合奏も出来る。 だが、エヴェリンは歌手ではなく、打楽器奏者だ。 つまり、自分の出来る範囲で音楽をやっている訳である。 ところが声楽は違う。 どのキーを押さえれば何の音が出る、という代物ではない。 私などは、楽器の中で声こそ最も操作が難しいと思っているぐらいである。(そりはお前が音痴なんだよという突っ込みはナシで) それを音がわからない人間がやろうというのは、無茶を言うにも程があるのでは……。
案の定、練習したにも拘らず、ステージは酷いものだった。 ありゃあ、聴かされたお客はうへえってなるわ……。 流石にブーイングはしないけれど、げんなりするよ。
ところが彼女は歌手を辞めない。 他の人にも迷惑だとやっと悟ったのだろう、彼女が歌をやめると言い出したら、今度は相棒が「やめるな」だと。 もう勘弁してくれ。とTVを見ながら思った。 それで、結局歌手活動を相棒と続ける事になるのだが、声を出すのはやめて、手話で歌う事にしたらしい。手話をしながら音楽に合わせて踊るのを歌うというのかどうかは疑問だが、害が無い分マシだろう。 最後に、相棒と一緒に歌う(踊る)場面で番組は終わったのだが、この相棒と言うのがまた、歌が下手糞……。 これって、プロって名乗っていいレベルなの??と、激しく疑問が残る番組であった。 感動したという人もいるのかも知れないが、ごめん、私にはサッパリ。 読唇術という特技があるのだから、この人に合う仕事は他にもあるだろうし、音楽をやりたいなら歌以外の事をやればいいのに。 何だか勿体無いなあ、と感動以外の感想しか持てなかったのだった。
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