ある日、街中に出てみると、ビラ配りをしている団体があった。 労働組合か共産党系だろうと思って素通りしようとすると、看板の文字が目に入った。 「えん罪・JR浦和電車区事件」 事件の内容は知らないが、冤罪事件なら興味はある。 署名も募っていたようだが、事件の名前も知らない人間が一方の言い分だけで署名するのは如何にも無責任なので、ビラだけ貰っておいた。 帰宅してネットで調べると、被告達の怒りが伝わって来た。 志布志の事件もあったし、大の大人が7人もいてちゃんと主張をしているところを見ると、冤罪なのかも知れない。
しかし当たり前だが、被告が冤罪と主張する全ての事件が冤罪とは限らない。 北海道恵庭市でOLの焼死体が見付かった事件も、被告女性は冤罪だと訴えているし支援者のホームページもあるが、新潮45編集部編「殺ったのはおまえだ」(……最早このシリーズは愛読書か?)は全く違う結論を出している。 真実を知っているのは死んだ被害者と犯人だけだが、彼等をよく知る人間には、真実に近いものが見える筈。 縁もゆかりも無い赤の他人が、「この人は無罪だ」という根拠の無い勘で無罪を信じるのは、危険なように思う。 誰かを犯人に仕立てればそれで良いとは決して思わないが、真犯人を逃してしまうのはそれと同じぐらい愚かだろう。
海に赤ん坊を投げ落とした男に、名古屋高裁は逆転有罪を言い渡した。 「疑わしきは被告人の利益に」と言うが、現行犯でもない限り、どんな事件でも「疑わしい」レベルに過ぎないのではないか。 世の中に、嘘吐きは確実に存在する。自分で吐く嘘を信じてしまう人間もいる。 真実は、犯人以外には、死人と神様しか知らない。 冤罪を作らないためには、超能力捜査官やイタコを雇うしかないのか?
毎週金曜日の20時からは「幸せってなんだっけ」を見るので知らなかったのだが、6月29日の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」は、少年法がテーマだったらしい。 後で某人気初老ウェブ日記でそれを知り、YOUTUBEで見てみた。
酷いな。 平岡秀夫と郡和子という民主党議員がとんでもなかった。 私が驚いたのは、この人達が、「自分の子供が犯罪者になったら」という場合しか想定していない事。 逆に、「少年犯罪の被害者になったら」を考えないのだろうか。私ならまず先にそちらを考えるのだが。 郡和子は山本モナ(不倫するような奴は嫌いだが、この討論で私は彼女を見直した)に、 「もし自分の子供がそういう犯罪を犯してしまったら、どう考えますか?」 と言っていたが、そんなの簡単だ。 子供を殺して自分も死ぬ。それが親だ。 殺すだけの事情があればしょうがないとこの人は言った。でも私には、責任転嫁にしか見えない。 確かに、殺される側に、相手に殺意を抱かせるほどの事情がある場合もあるだろう。 しかし少年犯罪の場合、そこまでの事情はまず考えられない。 面白半分にやったら死んじゃったというケースが殆どだろう。 どれぐらい痛め付けたら相手が死ぬか、それを子供に教えて来なかった親の責任が大きい。 相手の痛みをわからぬ人間に育てた親の責任だ。 だから親が責任を取って死ね。子供を殺して死ね。 子供を産み育てるなら、それぐらいの覚悟を持ってやってくれという事である。でないと社会の迷惑だ。
少年法を完全に廃止するのには疑問が残るが、少なくとも現在の少年法では駄目だ。 この番組とともに、新潮45編集部編の「殺戮者は二度わらう」中「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから〜名古屋アベック殺人事件」を読んで、強く思った。 加害者達は、被害者達が望んでも叶えられない未来を手に入れて、過去の事は過去の事として、自分の罪を切り捨てて生きている。 そして被害者遺族は、大抵悲惨な人生を過ごすのだ。これはどう見てもおかしくないか? 少年に限らないが、罪を犯した者が生きるなら、一生十字架を背負って欲しいと思うのだ。
|