天上天下唯我独尊

2007年05月29日(火) 墓まで持って行く秘密

松岡農相が自殺。
お金に関する問題があったらしいが、命はお金で買えない事を考えると、何も死ぬこたねえだろうと思ってしまう。
でも死を選んだという事は、自分の命よりも大切な秘密があったのか。
だとしても、法に触れるような事があったなら、ちゃんと片を付けてから死んで欲しかったなあ。
ホントに自殺者って自己中。
まあ、自殺を考えている時と言うのは、周囲の迷惑まで考えられない精神状態に陥っちゃうんだろうけれど。
あの世に行ったから楽になれるとは限らないのにね。

ところで本当に自殺だったのかしらん。
検視で不審な点が無いから解剖にはならなかったのだろうけれど、渦中の人の死だけに、疑ってしまう。



2007年05月28日(月) 気狂いに刃物

情状酌量について私見を述べたが、横浜駅の事件も同じだ。
新潟は三条から、ぶらりとやって来た29歳の精神病患者に、2歳の女の子がナイフで刺された事件が、25日に起こった。
幸い女の子は命に別状は無かったが、運が良かっただけだ。
ここでも、犯人と被害者の間には、何の関係も無い。全くの行きずりの犯行である。
しかし犯人は患者。
という事は、刑法39条によってお咎めナシになってしまう可能性が高い。

患者、行きずり、殺人、と言うと、1人のキ印によって未来ある若者が命を絶たれた事件を思い出す。
今まで知らなかったが、精神病院入院中(犯行時は外出中)の犯人が起こした事件なので、てっきり39条適用でお咎めナシかあと思っていたのだが、僅か事件後半年で25年一杯の実刑判決が下っている。
これはレア・ケースなのだろう。

以前にも書いたかも知れないが、自分でも覚えていないので書いちゃうぞ。
刑法39条は、このままでは駄目だ。
患者が起こした事件だから仕方ない、で済ませては、被害者の無念は宙ぶらりんになってしまう。
世の中には確かに、「仕方ない」事がある。しかし患者が起こした事件・事故については、誰かが責任を取らなければならないだろう。
患者を守るだけではいけない。監督責任は誰にあったのか。
そこを明確にしないといけないのではないだろうか。
勿論、病院には沢山の患者がいる。一人一人をしっかり見張るのは、不可能に近い。特に今は、無闇に拘束したら駄目とか、人権がどうとか、色々煩いからな。
なので、病院に全ての責任をおっ被せるのは、適当とは言えない。
製造責任て事で、親が責任を持てればいいのだが、手に余るから病院に入れるんだろうし、そういう人に限って到底責任を持てそうになかったりするし。
1番簡単なのは、嘗てノーベル賞に輝い(以下自粛)

という訳で、私の中でもこの問題に関しては、まだ答えが出ない。
どうしたら、皆幸せに平和に暮らせるんだろうなあ。

ところで、キチガイと聞くとすぐに「差別用語だ!」とキィキィ叫ぶ人(ドビー?)がいるが、我が家の国語辞典(旺文社第九版)にはちゃんと載っているので、そのまま書いちゃうぞ。
「気が違っちゃってるんだから、仕方ないじゃん。差別でも何でもなくて、事実を言っているだけなんだけれど」とは、主人の弁。
全くもってその通りだと、私も思うんだけれど。


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