| 2007年04月08日(日) |
障害者は最早弱者ではない |
コンサート・ホールで盲導犬を見た。 いいの? 幾ら盲導犬でもホール内に連れて入ってもいいの? 帰宅して、ネットで調べてみた。 東京の有名ホールでは、受け入れ態勢も整っていて、どんと来ーい!という感じのようだ。 という事は、それが普通なのか……。
知り合いから聞いた話。 音楽コンクールに、盲導犬を連れて入りたいと、ゴネた人がいたらしい。 盲人1人だけではなく、目明きの連れもいたので、主催者側が、 「ホール内はご遠慮下さい。犬はロビーでお預かりします」 と申し出たのに、何が何でもホール内に連れて入ると言って聞かない。 「コンクールですから演奏中に何かあると、審査の方も困りますし、他の来場者の中には、犬が苦手な人やアレルギーの人がいるかも知れません。だから犬はご遠慮下さい」 と主催者側が説明しても、盲人は全く聞き入れない。 「そんな事は無い! いつもこの子(=犬)を連れて歩いていますけれど、1度もそんな事を言われた事はありません。皆、可愛いと言ってくれます」 そりゃそうだろうよ。 犬嫌いな人間は、わざわざ近寄って犬キライなどと言いはしないだろうから。 そして、 「しかるべき所に訴えますから!」 と盲人に半ば脅迫されるような形で、結局主催者側は 「じゃあこの回だけですよ」 と折れてしまった。 どうやら、盲人の身内が出場するので、その部分だけ許可したという事のようだ。
盲導犬の役割については、一応理解しているつもりだし、盲導犬もそれなりの訓練を受けていて、そんじょそこらの人間よりもずっとお利口さんなのだろうと思う。 でも、遠慮してくれと言われているのに、権利ばかりを振り翳して無理を通そうとするのは如何なものか。 以前、東横イン騒動の時にも書いたが、何か履き違えている気がする。 平等と甘やかしは違う。 因みに件の盲人の捨て台詞。 「障害者だからって差別する気か!?」 ……いやね、だからそうじゃなくて。 今や、障害者問題は腫れ物だ。 障害者全部がこんなじゃないだろうが、こういう人はホントに困る。 自分の事ばかりじゃなくて、こちらの言い分を通そうとすると困るという人の事も考えようよ。
子供の頃から、私の一人称は「わたし」だった。 他所の子供のように、自分の名前を一人称として遣う事は、甘ったれた馬鹿っぽい子供のようで恥ずかしい事だと教えられていたからである。
しかし結婚してから、気が付くと一人称が名前になっていた。 これは主人が私の事を名前で呼び捨てにするからである。 因みに私は、どんなに仲が良い人からであっても、呼び捨てにされるのを非常に嫌う。 ただ、大抵他人を呼び捨てにする人間というのは、呼び捨てをフレンドリーな事だと勘違いしている礼儀知らずなので、そういう人と親しくなる事は決して無い。 (子供の頃は別。田舎の男の子達は、人を呼び捨てにするものだ。下手に「さん」「くん」付けすると、なに気取ってんだとからかわれる) しかも私と仲の良い人は非常に数が少ないので、私を呼び捨てにする人間はいなかった。
主人も最初は私を「シオンさん」と呼んでいたが、結婚してからは私の許可を得て呼び捨てだ。 まあ、亭主の特権のようなものであるが、家の中では我々2人、私は殆ど家にいる。 そうすると、私の話し相手は主人以外におらず、その主人が私を「シオン」と呼ぶので、私も鸚鵡返しのように自分を「シオン」と呼んでしまっている。 勿論外の人と話をする時はそんな事は無いが、実家で自分の事を名前で言ってしまうと、 「ハッしまった」 と思うのだ。 なので、結婚してから私は、甘ったれた馬鹿っぽい子供になってしまったのである。 まあ確かに甘やかされているか。どんどん馬鹿になってるし☆アハハ!
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