子供の頃から、私の一人称は「わたし」だった。 他所の子供のように、自分の名前を一人称として遣う事は、甘ったれた馬鹿っぽい子供のようで恥ずかしい事だと教えられていたからである。
しかし結婚してから、気が付くと一人称が名前になっていた。 これは主人が私の事を名前で呼び捨てにするからである。 因みに私は、どんなに仲が良い人からであっても、呼び捨てにされるのを非常に嫌う。 ただ、大抵他人を呼び捨てにする人間というのは、呼び捨てをフレンドリーな事だと勘違いしている礼儀知らずなので、そういう人と親しくなる事は決して無い。 (子供の頃は別。田舎の男の子達は、人を呼び捨てにするものだ。下手に「さん」「くん」付けすると、なに気取ってんだとからかわれる) しかも私と仲の良い人は非常に数が少ないので、私を呼び捨てにする人間はいなかった。
主人も最初は私を「シオンさん」と呼んでいたが、結婚してからは私の許可を得て呼び捨てだ。 まあ、亭主の特権のようなものであるが、家の中では我々2人、私は殆ど家にいる。 そうすると、私の話し相手は主人以外におらず、その主人が私を「シオン」と呼ぶので、私も鸚鵡返しのように自分を「シオン」と呼んでしまっている。 勿論外の人と話をする時はそんな事は無いが、実家で自分の事を名前で言ってしまうと、 「ハッしまった」 と思うのだ。 なので、結婚してから私は、甘ったれた馬鹿っぽい子供になってしまったのである。 まあ確かに甘やかされているか。どんどん馬鹿になってるし☆アハハ!
主人は、ストラビン大スキーだ。 一方私は、ストラビンもプロコも苦手。どうにも受け付けなかった。 でも最近はCM等で、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」をよく耳にするので、試しに全曲聴いてみた。
うん、まあ大丈夫かな。
次に、ストラビンスキーの「火の鳥」も聴いてみた。
おっ、格好いいじゃない。
更に、同じくストラビンスキーの「春の祭典」も聴いてみた。
うう、これは駄目かも。 余りにギャーギャー騒がしく、祭りが盛大になるにつれて苛々して来るため、途中でムキーとなってイヤホンを耳から毟り取ってしまった。
好かん。 「春の祭典」は、もう2度と聴かない。 私がそう言うと、主人は一寸がっかりしたような顔をしていた。
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