飴は、齧る物ではなく、舐める物である。 少なくとも私はそう思って来たし、これからもそうである。
しかし主人は違う。 ガリガリボリボリと、音を立てて飴を齧る。 安い飴も高い飴も、同じように食べるので、それが私の神経に障る。 「どうしてもっと、味わって食べないの!」 と私が怒ると、彼は、 「味わってるよう。齧って粉々にした方が、味が口の中いっぱいに広がるから美味しいんだよ」 と反論する。 それは解る。 しかし、粉々にすると、飴は短時間で消えるのだ。 折角の飴なのだから、長時間口の中に入れて置いた方がいいの!と私が幾ら言って聞かせても、彼は絶対に首を縦に振らない。 「い・や・だ。こうやって食べるのが好きなの」 「それじゃ駄目! 飴1個でどれだけ幸せな時間を味わえるかが勝負でしょ。同じ時間で貴方ばっかり飴を沢山食べちゃうなんて、そんなのずるい!」 どこまで行っても、平行線夫婦なのであった。
火曜日の報道ステーションで、加藤さんが「聾桟敷」と発言し、その直後に古館が 「只今不適切な発言がありましたが、お詫びして訂正します」 というような事をすかさず言っていて、加藤さんも一緒に頭を下げていた。 おお、久し振りに聞いたなあこの言葉、と私は感慨深く思っていたのに、別にいいではないか、つんぼ桟敷ぐらい。 普段、言論の自由とか言ってるマスコミが、1番言論に不自由な気がする。 他人の自由は認めない「自由の国アメリカ」を髣髴とさせる。 つんぼというのは差別言葉らしいが、それは本人に対して、或いは陰口として発言する時だけである。 「聾桟敷」という言葉まで狩ってしまうのは、明らかにおかしい。 最近では、「アホウドリ」というのが差別的だから改名するとか、「メクラ」という言葉が入っている名前の魚を改名するとかいう動きもあるという。 馬鹿馬鹿しい。 差別用語はダメ!とか言う奴は、取り敢えずここを読め。
|