交換日記も充分恥ずかしいが、学校で強制的に書かされた文集というのも、甲乙付けがたいほど恥ずかしい代物だ。
妹殺しの歯科医志望浪人生、武藤勇貴21歳の文集がTVで紹介されていた。 文章はちゃんとしているから、頭は悪くない筈。 無理に歯学部なんか行かなくても良かったのにねえ。 因みに、彼の詠んだ俳句。 「髭生ゆる 我が顎に出り 父の影」 これを見て、父に対するコンプレックスがどうとか色々言うコメンテーターがいたが、そこまで深読みするか? 普通に悪くない句だと思うけどなあ。季語が無いけれど。
年下の夫を殺してその死体をバラバラにし、数箇所に分けて捨てた三橋歌織、32歳。 ワイドショーを見ていると、彼女と、夫祐輔さんの文集というのがそれぞれに出て来た。 夫の文集は普通だったが、妻の方は、 「私はとても勝ち気な女の子です。何かやられたらやり返すという考え方を持っています」 という箇所がクローズ・アップされ、精神医学や心理学の専門家、挙句はただのコメンテーターによって、勝手に分析されていた。
いつも思うのだが、文集に著作権は発生しないのか? その疑問を主人にぶつけてみると、文集というものは無料で配布され、金銭が絡まないから著作権は発生しないのでは?と言っていた。 でも、マスコミと文集提供者の間に金銭の授受があったらどうなるのだろう。 書いた本人ではなく、発行者である学校が著作権者になるから、公表しないでと著者が言っても駄目なのだろうか。 (誰か法律に詳しい人、教えて下さい!) こういう事件になると、必ずどこからか文集が出て来る。 きっと元同級生がマスコミに流すのだろうけれど、興味があると同時に腹が立つのだよな……。 というのも、もし私が世間の注目を浴びて、子供の頃の文集を誰かに勝手に晒されたらと思うと、物凄〜く嫌な気分になるからだ。
文集、それは過去の汚点である。 断トツで恥ずかしいのは、「私の将来」である。 確か、「20年後の私」。それに比べたら、「修学旅行の思い出」や「6年生の思い出」なんて、どうって事は無い。 皆は普通に、結婚して子供がいてとか、お店をやっているとか、スポーツ選手になっているとか、如何にも子供らしいことを書いているのに、私はとても悲観的な将来を書いたのだった。 もしかしたら私が誰なのか特定されてしまうかも知れないので、その内容をネット上に書く事は出来ない。 それぐらい変な事を、私は書いたのだ。 思い出すと悶絶するほど恥ずかしい。 主人に告白すると、 「子供らしくない子供だ。正直、そんな子は嫌い」 と言われてしまった。 何よー、話を聞く限り、アンタの方がよっぽど子供らしくない子供だったくせにー!
何が何でも、あの文集を世に出す訳には行かない。 悪い事はせず、事件や事故に巻き込まれないよう、ひっそりと生きて行こうと、改めて決意したのだった。
私はトイレで、大便をしていた。 きちんと便座に腰掛けていた筈なのに、何故かそれは真下に落ちず、私の足元に転がって床を汚した。 「ああ……」 悉く的を外れ、服や壁を次々に汚すうんこ達。 しかも軟らかめなので、後始末も大変だ。 「お姉ちゃん、何やってんの。全くもう、しょうがないな〜」 と妹がファブリーズ片手に応援に来てくれたが、まず拭き取らない事には始まらない。 「ごめん……。一寸待って、これ拭くから」 と言って私は半ケツのまま、キャスター付き調味料入れをトイレット・ペーパーで拭き始めた。
そこで目が覚めた。 膀胱が破裂寸前だったので、よろよろと立ち上がってトイレに向かったが、さきほどの余韻がまだ残っていて、 「ああ……トイレ掃除しなきゃ」 とまだ寝惚けていた。 用を済ませながら、パンツの中を検める。 どこにもうんこは無い。汚れてもいない。 そこでやっと、ああ今のは夢だったのだと判った。 良かった……本当に良かった。 布団に戻って、 「ねえねえ、今、とっても嫌な夢見たの〜」 と、寝ている主人に抱き付いた。 安眠を妨害された彼は、一寸迷惑そうな顔をしながらも、よしよしと私の頭を撫でて、また眠ってしまった。
次に起きたら、もう10時だった。 「あのね、あのね」 と夢の内容を話すと、彼は 「そんな変な夢、いちいち報告しなくてもいいよ」 とどうでも良さそうに、且つ呆れたように言った。 「変な夢だったから報告したのに、貴方ってば冷たいわね。でもうんこの夢って、夢占いによると、実はいい夢なんですってよ。便器から溢れるのは、お金がザクザクの夢なんですって。だから今日は、宝籤の換金に行くわよ!」 と私は興奮気味である。 昨年買った、オータムジャンボと年末ジャンボが、番号チェックしないままに置いてあるのだ。 「そうそう、同じうんこの夢でも、うんこを食べる夢は悪い夢で、病気の暗示なんですってよ」 「……。どんな状況だよ、それって」 「……さあ? カレーを食べたら実はうんこでした、とか?」 私は真剣に考えて答えたのに、彼は、うんこを見るような目で私を見たのだった。
買い物序でに、宝籤売り場に寄った。 自分でチェックするのが面倒なので、当籤番号が発表されても、開封しないままの籤を持って行って、売り場の機械で見て貰う事にしている。 全部で20枚だから、悪くて当たり籤2枚か……と思ってカウンターを見ると、そこには当たり3枚と表示されていた。 という事は、末等以外の1枚が! 「おめでとうございます〜、当たってましたね」 私が買うのは連番である。 1等なら前後賞が漏れなく付いて来る。 1枚だけという事は、つまり1等ではないという事か。残念だ。 でも、幾ら当たったのかしら……もしかして、2等1000万!? 勝手に夢を膨らませわくわくしている私に、売り子さんが言った。 「1万円ですね〜、おめでとうございます!」
現実なんて、こんなもんか。
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