ボーナスが少し余って、普通預金がある程度貯まったので、定期預金をしようかと主人に相談した。 返事はいつもと同じ、 「シオンに任せる。好きにしていいよー」 という事だったので、じゃあ纏めて定期にするかと銀行に行ってみた。 窓口で書類を書いていたら、隣りの窓口の客が、 「国債を買いたいんですが」 と言っているのが聞こえた。 そう言えば、以前国債を買おうとしたのに、買えず終いだった事を思い出し、窓口のお姉さんに訊いてみた。 「国債って、いつ頃発売ですか」 「あ、今日からですよー」 なぬー! 何という偶然であろうか。 これはきっと、買えという天の声に違いない。 「ええと、国債も買いたいんですが、どうしたらいいですか?」 と言うと、ではあちらのお席に〜と隅っこの応接椅子に通された。 係りの者が参りますのでと言われて待っていると、副支店長登場。 そんな偉い人に話を聞かなきゃ、国債って買えない物なのか。 窓口のお姉さんが良かったのになーと思いつつ、渡された書類を見ながら、国債の説明を聞いた。 こちらとしては、利率と保障について聞ければそれでいいんだけれど、国債には預金保険機構の保障が利かないという。 つまり、国債の発行者である国が破産したら、元手も返して貰えないという事らしい。 「プロの銀行マンから見て、如何でしょう。日本国は10年以内に破綻すると思いますか?」 と私が訊くと、副支店長は苦笑いした。 「まあ……大丈夫だと思いますよ」 そうですね、危ないですねという返事をする銀行マンもいないだろうが、こちらは素人なので、肝心な所を教えて欲しいのだ。 考えた末、5年と10年の国債と、定期預金を同額ずつする事にした。 そうしたら、来週から定期預金のキャンペーンがあって、少し金利が上乗せになるという。 んじゃ取り敢えず、今日は国債を買って、定期については来週また出直すと言う事で、結局何枚も書類を書き直す羽目になった。
帰宅して、国債を買った事を主人にメールで報告すると、 「ハァ?」 との返事。 意味が通じなかったかな?ともう1度ちゃんとした文章で送ると、 「ハァ? ハァ? ハァ?」 ……何故だ、何故解ってくれない。 私の文章、そんなに理解不能だった?と帰宅した彼に訊くと、 「いや、だってシオン、定期預金にするって言ってたじゃん。それが国債買ったって、どういう事?」 「えー、だって貴方、私に任せるって仰ったでしょ。それに、国債買おうかなーって前から言ってたし」 「うん、聞いたのはずーっと前だったけどな。まあ買ってもいいけど」 そうか、1年以上経つとリセットされるのか。 「んでね、日本って破産すると思う?」 と1番気がかりな事を質問した。 「そうだなー、危ないかもな」 ガーン……それは困るわあ〜。
最近聞かないけれど、苛めによる子供の自殺は、一段落着いたのだろうか。 それとも、報道機関が規制でも敷いているのか。 毎日ニュースで聞いていた頃には、 「子供の好きなようにさせてやって欲しい。学校に行きたくなければ、行かなくてもいいではないか。親としては、子供が生きてさえいてくれればそれでよい」 などと頓珍漢なコメントを耳にした事もあった。 聞いていて、こんな事言う奴は、碌な子供を育てられないな、と思った。
私には子供はいない。 しかし、 「子供もいないくせに、偉そうな事を言うな」 という人には、そりゃ違うだろと言いたい。 子供がいなけりゃ教育を語っちゃいけないのか? それじゃあ子供のいない人間は、教職に就けなくなる。 逆に、子供はいるのに満足な人間に教育出来ていない親だって、ごまんといる。 産んだだけが偉い訳じゃないだろう。
さきほどのコメントに戻る。 何が頓珍漢なのか、客観的に考えてみた。 大切なのは、子供の好きなようにさせるのではなく、子供の話をよく聞いてやる事ではないだろうか。 その上で、考え得る限りで最善の方法を提示し、状況を打破出来るようにしてやる事だと思う。 「学校なんて、行かなくたって死にゃしない」のは確かだが、だから行かなくてもいいというのは明らかにおかしい。 「したくないからしない」では、「働きたくないから働かない」大人になってしまうぞ。 ただでさえ、ニートだの引き籠もりだのが社会問題化しているのだ。(個人的感想としては、社会問題というより、元は家庭の問題だと思うのだが) 登校拒否の延長で引き籠もっているのだって多いのだ。 「生きていればそれでいい」などというのは、親のエゴに他ならない。 そのエゴだって、いつまで続くか、見物である。 現代社会で普通に生きるには、お金がかかる。お金をかけずに生きる方法だって勿論あるが、何も生み出せない人間には、到底無理な芸当だ。 いずれ親は歳を取り、引き籠もりの子供は重荷になる。 親が面倒を見切れなくなって、生活保護でも受けるようになれば、社会のお荷物だ。 (面倒だが一応断っておく。生活保護受給者全てが社会のお荷物ではない。甘えてばかりで、自分で何とかしようとしない、気概の無い奴の事をここでは指している) 親は子供の幸福を願うものだ。 しかし、「この子さえ幸せならそれでいい」というのではいけない。 気持ちはわかるが、「この子さえ」と願われた子供は、「自分さえ良ければ」という、自己中心的な子供になってしまう。 最近は、他人の迷惑を考えない親子連れが多いように思う。 自分の幸せは、他人の不幸の上に成り立ってはいけないのである。
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