天上天下唯我独尊

2006年12月13日(水) 国債デビュー

ボーナスが少し余って、普通預金がある程度貯まったので、定期預金をしようかと主人に相談した。
返事はいつもと同じ、
「シオンに任せる。好きにしていいよー」
という事だったので、じゃあ纏めて定期にするかと銀行に行ってみた。
窓口で書類を書いていたら、隣りの窓口の客が、
「国債を買いたいんですが」
と言っているのが聞こえた。
そう言えば、以前国債を買おうとしたのに、買えず終いだった事を思い出し、窓口のお姉さんに訊いてみた。
「国債って、いつ頃発売ですか」
「あ、今日からですよー」
なぬー!
何という偶然であろうか。
これはきっと、買えという天の声に違いない。
「ええと、国債も買いたいんですが、どうしたらいいですか?」
と言うと、ではあちらのお席に〜と隅っこの応接椅子に通された。
係りの者が参りますのでと言われて待っていると、副支店長登場。
そんな偉い人に話を聞かなきゃ、国債って買えない物なのか。
窓口のお姉さんが良かったのになーと思いつつ、渡された書類を見ながら、国債の説明を聞いた。
こちらとしては、利率と保障について聞ければそれでいいんだけれど、国債には預金保険機構の保障が利かないという。
つまり、国債の発行者である国が破産したら、元手も返して貰えないという事らしい。
「プロの銀行マンから見て、如何でしょう。日本国は10年以内に破綻すると思いますか?」
と私が訊くと、副支店長は苦笑いした。
「まあ……大丈夫だと思いますよ」
そうですね、危ないですねという返事をする銀行マンもいないだろうが、こちらは素人なので、肝心な所を教えて欲しいのだ。
考えた末、5年と10年の国債と、定期預金を同額ずつする事にした。
そうしたら、来週から定期預金のキャンペーンがあって、少し金利が上乗せになるという。
んじゃ取り敢えず、今日は国債を買って、定期については来週また出直すと言う事で、結局何枚も書類を書き直す羽目になった。

帰宅して、国債を買った事を主人にメールで報告すると、
「ハァ?」
との返事。
意味が通じなかったかな?ともう1度ちゃんとした文章で送ると、
「ハァ? ハァ? ハァ?」
……何故だ、何故解ってくれない。
私の文章、そんなに理解不能だった?と帰宅した彼に訊くと、
「いや、だってシオン、定期預金にするって言ってたじゃん。それが国債買ったって、どういう事?」
「えー、だって貴方、私に任せるって仰ったでしょ。それに、国債買おうかなーって前から言ってたし」
「うん、聞いたのはずーっと前だったけどな。まあ買ってもいいけど」
そうか、1年以上経つとリセットされるのか。
「んでね、日本って破産すると思う?」
と1番気がかりな事を質問した。
「そうだなー、危ないかもな」
ガーン……それは困るわあ〜。



2006年12月12日(火) 生きてこそ?

最近聞かないけれど、苛めによる子供の自殺は、一段落着いたのだろうか。
それとも、報道機関が規制でも敷いているのか。
毎日ニュースで聞いていた頃には、
「子供の好きなようにさせてやって欲しい。学校に行きたくなければ、行かなくてもいいではないか。親としては、子供が生きてさえいてくれればそれでよい」
などと頓珍漢なコメントを耳にした事もあった。
聞いていて、こんな事言う奴は、碌な子供を育てられないな、と思った。

私には子供はいない。
しかし、
「子供もいないくせに、偉そうな事を言うな」
という人には、そりゃ違うだろと言いたい。
子供がいなけりゃ教育を語っちゃいけないのか?
それじゃあ子供のいない人間は、教職に就けなくなる。
逆に、子供はいるのに満足な人間に教育出来ていない親だって、ごまんといる。
産んだだけが偉い訳じゃないだろう。

さきほどのコメントに戻る。
何が頓珍漢なのか、客観的に考えてみた。
大切なのは、子供の好きなようにさせるのではなく、子供の話をよく聞いてやる事ではないだろうか。
その上で、考え得る限りで最善の方法を提示し、状況を打破出来るようにしてやる事だと思う。
「学校なんて、行かなくたって死にゃしない」のは確かだが、だから行かなくてもいいというのは明らかにおかしい。
「したくないからしない」では、「働きたくないから働かない」大人になってしまうぞ。
ただでさえ、ニートだの引き籠もりだのが社会問題化しているのだ。(個人的感想としては、社会問題というより、元は家庭の問題だと思うのだが)
登校拒否の延長で引き籠もっているのだって多いのだ。
「生きていればそれでいい」などというのは、親のエゴに他ならない。
そのエゴだって、いつまで続くか、見物である。
現代社会で普通に生きるには、お金がかかる。お金をかけずに生きる方法だって勿論あるが、何も生み出せない人間には、到底無理な芸当だ。
いずれ親は歳を取り、引き籠もりの子供は重荷になる。
親が面倒を見切れなくなって、生活保護でも受けるようになれば、社会のお荷物だ。
(面倒だが一応断っておく。生活保護受給者全てが社会のお荷物ではない。甘えてばかりで、自分で何とかしようとしない、気概の無い奴の事をここでは指している)
親は子供の幸福を願うものだ。
しかし、「この子さえ幸せならそれでいい」というのではいけない。
気持ちはわかるが、「この子さえ」と願われた子供は、「自分さえ良ければ」という、自己中心的な子供になってしまう。
最近は、他人の迷惑を考えない親子連れが多いように思う。
自分の幸せは、他人の不幸の上に成り立ってはいけないのである。


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