最近聞かないけれど、苛めによる子供の自殺は、一段落着いたのだろうか。 それとも、報道機関が規制でも敷いているのか。 毎日ニュースで聞いていた頃には、 「子供の好きなようにさせてやって欲しい。学校に行きたくなければ、行かなくてもいいではないか。親としては、子供が生きてさえいてくれればそれでよい」 などと頓珍漢なコメントを耳にした事もあった。 聞いていて、こんな事言う奴は、碌な子供を育てられないな、と思った。
私には子供はいない。 しかし、 「子供もいないくせに、偉そうな事を言うな」 という人には、そりゃ違うだろと言いたい。 子供がいなけりゃ教育を語っちゃいけないのか? それじゃあ子供のいない人間は、教職に就けなくなる。 逆に、子供はいるのに満足な人間に教育出来ていない親だって、ごまんといる。 産んだだけが偉い訳じゃないだろう。
さきほどのコメントに戻る。 何が頓珍漢なのか、客観的に考えてみた。 大切なのは、子供の好きなようにさせるのではなく、子供の話をよく聞いてやる事ではないだろうか。 その上で、考え得る限りで最善の方法を提示し、状況を打破出来るようにしてやる事だと思う。 「学校なんて、行かなくたって死にゃしない」のは確かだが、だから行かなくてもいいというのは明らかにおかしい。 「したくないからしない」では、「働きたくないから働かない」大人になってしまうぞ。 ただでさえ、ニートだの引き籠もりだのが社会問題化しているのだ。(個人的感想としては、社会問題というより、元は家庭の問題だと思うのだが) 登校拒否の延長で引き籠もっているのだって多いのだ。 「生きていればそれでいい」などというのは、親のエゴに他ならない。 そのエゴだって、いつまで続くか、見物である。 現代社会で普通に生きるには、お金がかかる。お金をかけずに生きる方法だって勿論あるが、何も生み出せない人間には、到底無理な芸当だ。 いずれ親は歳を取り、引き籠もりの子供は重荷になる。 親が面倒を見切れなくなって、生活保護でも受けるようになれば、社会のお荷物だ。 (面倒だが一応断っておく。生活保護受給者全てが社会のお荷物ではない。甘えてばかりで、自分で何とかしようとしない、気概の無い奴の事をここでは指している) 親は子供の幸福を願うものだ。 しかし、「この子さえ幸せならそれでいい」というのではいけない。 気持ちはわかるが、「この子さえ」と願われた子供は、「自分さえ良ければ」という、自己中心的な子供になってしまう。 最近は、他人の迷惑を考えない親子連れが多いように思う。 自分の幸せは、他人の不幸の上に成り立ってはいけないのである。
テレビ朝日スペシャル・ドラマ「氷点」の2日目の録画を観た。
なので、全体を通しての感想。 まず、配役について。 飯島直子の夏枝さんは、思ったよりもずっと良かった。 啓造さん役の仲村トオルは泣き過ぎ。演出のせいなんだろうけれど、すぐ泣く男は嫌いだよ! 不思議な事に、最初は「ええーっ、この人がこの役??」と不満だった岸本加世子@辰子さんも、陣内孝則@高木先生も、北村一輝@村井先生も、観ているうちに馴染んで来たし。 ただ、大きい徹君だけは最後まで慣れなかった……いちいちカマっぽいんだもん。まさか社長にカマ(以下自粛) 北原さんは、奇行師窪塚洋介の弟だったのね! 知らないので、全然わからなかった。兄ちゃんは綺麗な顔してるのになあ。
ストーリーについて。 あちこち話が改竄されているのが残念だったが、時間的制約もあるし仕方ないのか。 ルリ子ちゃんの名台詞、 「おかあちゃまキライ、せんせキライ、誰もルリ子とあしょんでくれない!」 が飛ばされていたのは、原作ファンとしては残念である。 この台詞、私は実際、よく使っている。主人が構ってくれない時に言い放ち、うわああーんと走り去るのだ。 それと、ナナカマドの木を見た時に、 「ルリ子ちゃんが、ほら、あのナナカマドの木の下に……!」 というのも使える。 原作の船の難破を地震に変えて、足を失くす話とくっ付けたのは上手いと思った。ただ、それだと陽子ちゃんの、加害者の身内としての負い目というのが無くなっちゃうんだけど。 しかし、三井氏が妻を許した経緯が省かれていたのは残念だなあ。あそこは結構重要な場面だと思うので。 それと、ラストをわざわざ平成の世まで引っ張る必要は無かったのでは……。 老北原さんとして津川さんが出て来たのには、がっかりしたよ。確かに豪華キャストだが、あの人はイメージじゃない。もっと優しそうな人が良かったなあ。
まあでも全体的にみて、上手く纏まっていたと思う。 これなら原作ファンとしてもOKだ。 夏枝さんの改心は原作とは違うけれど、それはそれで良し。 2月にDVDとして発売されるらしいが、観て損は無いと思う。 いいドラマだったので、主人にも見せたいのだが……どうやってだまくらかすかな。
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