大鍋に鶏スープを作った。 これで3日ぐらいは、毎日火を通せば、味を変えて飲めるだろう。 そして最終日、夕食はシチューにしようと思って蓋を開けると、中から危険な匂いが。 前の晩は主人が夕食を作ってくれたのだが、どうやら食べる分だけ小鍋に移して調理したらしい。 あの馬鹿……大鍋にも火を通さんでどうする。 捨てた方が良さそうだとは思ったが、勿体無いし、他の献立にしようにも材料も知恵も無い私は、そのまま危ない橋を渡る事にした。 ええいままよ、何かあったとしても彼のせいだ。 さあ召し上がれ!
しかし咎は彼にあっても、被害は食べた者に平しく及ぶのだ。
翌朝、私は残りのシチューを食べ、習い事に出かけた。 しかし運転しているうちに、酸っぱい唾液が口の中一杯に……。 まずい、これは紛れも無く、嘔吐の前兆である。 ついこの間吐いたばかりなのに、またしても。 もしかして、呪われているのか? 家に引き返そうか、いやしかし中間地点は過ぎてしまった、ここまで来たら突き進んだ方が早い。 私は駐車場に車を入れると、手提げを持ってトイレにダッシュした。 そして、胃の内容物を全部吐いた。 トイレから講師に電話して、今日は体調不良で休む事を詫び、家に帰るために車に戻ろうとすると、また吐き気が。 駐車場のトイレで3回、帰りのスーパーで1回、帰宅しても何回か吐いたのだった。 胃は空っぽなのに、胃液がピューと出るのだ。 勢い余って鼻に入ると痛くて敵わんのだ、これが。 結局夕方まで寝て過ごし、夜も食欲が無く、何か食べなよと主人に言われても、その日はポカリスエットしか受け付けなかった。 そしてポカリもピュー。 折角なので体重を量ってみるといつもの2kg減、そして何と、体年齢は26歳と出た。 これは、過去最高記録である。
翌朝も気持ちが悪くて、漸く復活したのは昼近くになってからだった。 体重を量ってみると、体重は更に減って普段の3kg減だったが、体年齢は27歳に上がっていた。 なるほど、何も食べないから体重は減ったが、脂肪以外のところから減ったという事か。 食べないだけではダイエットにならない事が、証明されたのだった。
今回私は嘔吐で苦しんだが、一方の主人は、1日中腹が下って大変だったらしい。 仕事の合間にもちょくちょくトイレに駆け込んでいたそうで。 同じ物を食べたのに、面白い事に主人は下、私は上に来た訳である。 でも主人は腹が特別に痛かった訳では無いらしいので、私の方がより辛い目に遭ったのは、何だか不公平な気がするのだった。 いや別に、主人にも辛い目にあって欲しいという事ではないのだけれど。決して。
TVで、同和利権に絡む不正支出の報道をやっていた。 同和問題については小学校6年生の頃、社会科で習った。 小学生ながら白土三平の「カムイ伝」を読んでいた(同級生達がアイドル歌手に夢中になっている時、私はそんなものには目もくれなかった。カムイの方が断然格好いいからな。見た目も人間的にも)ので穢多非人(変換出来ない上に、旺文社の国語辞典を引いても漢字は載っていなかった。こうして言葉は消されて行くのである)については知っていたが、そんな差別は江戸時代のものだと思っていた私は、昭和の代にも身分差別が残っている事にショックを覚えたものである。 しかし今回のニュースで、平成の代になっても本当にそんなものがまだ存在するのかと、またまた吃驚した。 私は生まれてこの方、そんな差別にお目にかかった事が無いのだ。 主人に訊くと、こう言った。 「僕も実際目にした事は無いな。でも関西では、未だに酷いらしいよ。出張で京都に行った時、タクシーの運転手さんが話してくれたけど、障害があると『部落みたいだ』って言い方をするんだって」 「なるほど、同族結婚を繰り返していて、畸形や障害の率が著しく高いからね。それにしたって酷い言い方だけど」 「だよね。でもそんな風に、日常的にそういう差別はあるんだってさ」 と言い、他にもこんな話をしてくれた。
10年ぐらい前、インターネットが一般市民に普及し始めた頃の話。 音楽好きの主人は、ロック関係のチャットに出入りしており、そこで大阪在住の在日韓国人と知り合った。 彼自身も在日だというだけでまともに就職出来ないでいたが、関西では、同和差別も酷いと言って、こんな話をしたそうだ。 差別を受けて激情に駆られて人を殺した男が、獄中で悔い改めて、人殺しをした自分の指を切り落として僧侶になった。 しかしどこの寺でも受け入れて貰えず、拾ってくれたのは結局部落専門の寺だったという。 御仏の弟子と言いながら、仏教界でも公然と差別は行われているのだ。 宗教なんて所詮その程度のものか、とこの話を聞いて、主人は益々宗教嫌いになったそうである。 暫く在日の彼を見かけなくなったある日、ひょっこり彼がチャットに戻って来た。 久し振り、どうしてたの?と皆が訊くと、PCを売ってしまったので、チャットが出来なかった、今はネットカフェから接続していると言う。 働き口が無くなって生活に困窮したため、ミュージシャン志望だったのに、ギターまで売ってしまった。 今は日雇いで働いており、もうここへも来れなくなるから最後に挨拶に来た、と彼は言った。
「頑張れよ、と皆で声をかけたけれど、どうしようもないもんなあ。何かね、もう本当に遣り切れなかったよ」 話を聞いて、私も、どよ〜んと暗くなってしまった。 「でもさあ、そんな目に遭ってまで、どうして大阪に居続けるのかしら。東北や関東に来たら、そんな差別なんて無いから、もっと生活し易いと思うんだけれど」 「何だろうねえ。兎に角あの話を聞いて、僕は益々関西が嫌いになったよ。でも、そう思っている自分にも矛盾を感じるんだ」 ああ、それはとっても解る。 私は差別主義者だから、反対側からそれを見ている。 差別はいけないと言いながら、その人は、差別する人間を差別するという、自己矛盾を抱える事になるのだ。 色々な意見を認めるべきだと言う人は、1つの事を正しいと断定する人の意見は認めていない。これは矛盾であると私は常々感じていた。 それと同じようなものではないか。 主人にその話をしてみると、同意してくれた。 「うん。そうなんだよね。で、シオンはやっぱり差別主義者なのか」 「そうです。肌の色が違うとか、生まれ付きのものによる差別は駄目だけれど、その人の行動による差別はあってしかるべきです。従って、犯罪者や同性愛者は差別してOKだと思います。私の中では同性愛は犯罪ですから。私は彼等の人権は、断固として認めませんから!」 「……いいよ、シオンはそれで。これからもそのまま邁進して下さい。周囲に迷惑をかけない程度にね」 了承が取れたので、このまま突き進みますよ!
|