天上天下唯我独尊

2006年03月05日(日) ダーリンの歌

鼻歌交じりに掃除をしていたら、歌が出来たので、帰宅したダーリンに聞かせてみた。

 ダーリン ダーリン シオンが好き
 ダーリン ダーリン シオンが好き
 口にゃ出さぬ 照れ屋さんだから
 けれどやっぱり シオンが好き


早速感想を訊いてみた。
「どう?」
「どうって……何でこんな民謡調なわけ?」
「民謡調かなあ。私は童謡調だと思ったんだけれど」
「いっその事、演歌調にしたら?」
とリクエストがあったので、その場で演歌調で歌ってみた。
「マテ。それじゃ最後マイナーにしただけだろ」
クレームをつけられて、私はふくれた。
「何よう。短調の方が演歌らしいと思ったのに。小林幸子っぽいじゃん」
「いっそ、ロック調とかどうよ」
と彼は新たなリクエストをした。
「ロック調……難しいな。貴方、やってみてよ」
ホイ来たとばかりに、お得意のボイス・パーカッションが始まる。

 ズダダダダダダダウォ━━━━━━━━!!
 ズダダダダダダダウォ━━━━━━━━!!

 ダーリン ダーリン シオンが好き(・∀・)

 ズダダダダダダダウォ━━━━━━━━!!
 ズダダダダダダダウォ━━━━━━━━!!


「何それ! 何でオリジナル部分だけ元の速さなの? しかも何故デスメタ」
と私が笑い転げると、彼は
「シオンはつまらない事で笑ってくれるよね。皺が増えるよ!」
と言うのだった。
皺が増えたら貴方のせいですよ!

さあ、あなたも一緒に歌ってみよう。
ダーリン→伴侶の名、シオン→自分の名に置き換えて。



2006年03月04日(土) 野球馬鹿親子

駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部が、3年生による飲酒・喫煙事件により、春のセンバツの出場を辞退した。

まあ、当然だろう。
こういう事件がある度に、
「いまどき連帯責任なんて古い」だの
「センバツに出るのは3年生ではないのだから、下級生が可哀相」
だの言う奴がいるが、バッカじゃねえの?
それがいい年こいた大人の言う台詞か。
当たり前の話だが、人間は1人で生きている訳ではない。
家族、学校、会社、地域、国等、誰もが必ず何かしらの集団に属している筈だ。
最近は間違った個人主義の流行により、集団というものを軽んじる風潮があるが、集団への帰属なくしての個はあり得ない。
枠外の自由など無い、それはただの勝手である。
今回の事件では、未成年のくせに飲酒・喫煙をした連中は、卒業式後だとしてもこの時点ではまだ「駒澤大学附属苫小牧高等学校」の生徒なのだ。
退部しているなら兎も角、夏で引退したとしても、彼等はまだ野球部の部員なのだ。
そして、部活というものは学級とは違って、普通は自分が希望する所に入るため、同じベクトルを持った人間が集まる所である。
野球部なら甲子園という目標を掲げ、皆がそれに向かって努力する。
そこには先輩から後輩へと受け継がれる伝統があり、横の繋がりだけの学級とは違い、集団への縦の帰属意識が生まれる。(それを教えるために、学校教育には部活動がある訳だ)
自分のしでかした事がどれだけ他人に迷惑をかけるか、この子供達にはそれを考える良い機会になっただろう。

しかし一方で、彼等を擁護する声もある。
驚いた事に、野球部の父兄が
「折角ここまで野球部が頑張って来たのに、これぐらいの事で騒ぎ立てたせいで、1、2年生がセンバツに出られなくなってしまった。それに3年生の子供達の将来を潰すなんて」
と、店や通報者に抗議したという話も出ている。
ハァ?「これぐらいの事」?
言うまでもないが、未成年者の飲酒と喫煙は違法行為だ。
この子供達は、居酒屋に予約の電話を入れて来店し、酒を飲み煙草を喫ったという。
察するに、彼等は普段から飲酒も喫煙もやっていたのだろう。
それを周囲が知らない筈が無い。
周囲は、親は何をしていたのだ?

高野連は、高体連には属さない、全く別の組織である。
春にはセンバツ、夏には甲子園があり、それは全国にTVやラジオで中継され、大きなお金が動く。
今や高校野球は1つの巨大ビジネスであり、影ではやくざとの関係も囁かれている程である。
子供の頃から野球一筋、勉強が出来なくとも野球さえ出来れば推薦で高校にも大学にも入れ、周囲からはちやほやされる。
多少の事でも大目に見て貰える。
そんな環境で育った子供は、碌な大人にならない。
実際アメリカのスポーツ界もそれは同じで、まともな教育(この場合の教育とは、学校の勉強だけではなく、道徳的教育も含まれる)を受けない子供がスポーツに秀でているというだけでスーパープレイヤーとして大金を手にする事は問題であると言われている。
(しかし言われているだけで、実際何も改善されていないのだが)

私の知り合いの高校教師は、野球を毛嫌いしている。
曰く、野球関係者には碌なのがいないとか。
「監督やコーチは態度が尊大だし、親は親でわざわざ練習試合にまで応援に来る。ステージママの一種だね。子供の夢を応援するのは悪い事ではないが、それで殆ど1日が潰れるんだよ。あれは行き過ぎだ」
と呆れる。
親が子供に夢を託し、子供がそれに応えるのは素晴らしいが、両者の間に正しいバランスが取れていないとおかしな事になるのだ。


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