日々是迷々之記
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日記なのに近況報告なんである。
大きなことは引っ越しか。5月の中旬に半田舎暮らしみたいなところに引っ越すことにした。最寄り駅までバスで20分。そこから大阪まで最速で20分。窓から見える景色は山がちで、庭があり、屋根付きの車庫もある。ビルトイン食洗機に浴室乾燥機までついた豪華物件。それが今より家賃が二万五千円安いのである。駐車場代を入れると四万八千円得することになる。(もっともクルマは先月手放したが。)
引っ越しの理由は、家人の通勤時間の短縮。今は片道1時間半かかっているのが、引っ越したら電車と歩きで40分。バイクなら30分弱で行けるようになる。あと、私が「仕事やめます宣言」をしたことによる。
私の仕事は派遣で貿易などの仕事をすることがほとんどなので都会にしか会社がない。しかもグータラなので長い通勤は挫折してしまう。ということで都会に住まなければしょうがなかったのだが、私が仕事を辞めるのなら都会に住む理由はないということで、半田舎暮らしにしたのだ。
「田舎でぼーっとしたら鬱が直るかもよ。」と家人に言われた。そうだね、そうならええなあと私は応えた。なんかもうしんどいのだ。
こないだから新しい仕事場に通っているのだが、何だか水が合わない気がする。バイクは危ないから通勤に使うなとか、ジーンズで会社に来るな(制服に着替えるのに)とか、まあ古風なかんじだ。いい人ばっかりだし、仕事もゆるくて寝てしまいそうなくらいだが、いかんせん合わない。朝礼で社長の叱咤激励というか、単なるぼやきが毎朝あるのもつらい。サラリーマンの人とか偉いなと思う。こんな状況でも定年まで全うしたりできるわけだから。
次はビョーキのはなし。鬱は相変わらずだ。特に気圧のせいか、雨の日がつらい。会社に言われて電車通勤しているのだが、使用している駅が「ユニバーサルシティ駅」だもんで毎日ユニバーサルスタジオジャパンの客と乗り合わせる。この人たちが異常にテンションが高く、やたらと写メは撮るわでかいぬいぐるみはぶら下げてるわ、でうっとおしい。
そんなこんなで9割ぐらいはどよんと落ち込み、食欲不振、酒もあんまり飲まなくなった。まあ、脂肪肝だと言われたのも酒を止めつつある理由の一つだが。相変わらず胃炎の薬と、睡眠薬、抗うつ剤を服用中。あと、たまに幻聴があるのがやばいと思う。家にいるとき限定だが、たまに電話の話し中の音「ツーツー」が聞こえる。精神科の先生に話すと幻聴ではなく「錯聴」とのことだ。ほとんど心配しないでいいらしい。いつも聞こえるようだと問題らしいが。
幸せな時間はぬくい部屋でバイク、旅、きものの本を読むことだ。最近キモノに興味が出てきた。と言ってもゴージャス系ではなく素朴な木綿のキモノだ。引っ越したらキモノ生活をしてみようかと思ったりする。楽しそうだ。
95%はつまんなくて、あと5%くらいに楽しいことや、心沸き立つことがちりばめられている。その5%の部分を追っているのだろう。
あ、あと誕生日が来た。34歳である。頼りない34歳ではあるが。
差し当たっての夢としては鬱病を治すことだ。。
若かりしころは海外移住とか半ば世界征服に近い夢を見ていたが最近はそんなこともない。普通に毎日を笑って生きられることがどれだけありがたいことかと思うようになった。鬱病を治すこと、ハラのぜい肉をどうにかすること、部屋の本類を片づけること、いやはや、夢というよりは目標に近い。
目標は別にあって、車の運転が上手になること、バイクの運転が上手になること、ゴミ出し、振り込みの日を忘れないことなどが目標だ。いや、人としてダメな域ではないかこれは。私は家のクルマの右の前のバンパーを削ったことがある。別に左ハンドルではない。右ハンドルで右のフロントを削ったのである。クルマを運転する人ならこれがどれだけ愚かなことかわかると思うが。
三十何年も生きると分をわきまえるようになるもんである。実はほんのちょっと前まで逆転ホームランとかあると思っていたくらいだ。しかしまあいきなり来月から六本木ヒルズに住んだり、昼のランチが2000円になったり、毎日エビスビールを飲んだりするようになるわけではなく(えらく小さい話だ)、今日は昨日の続きで、明日は今日の続きなのだ。
ぼんやりとした日々の中で季節は明らかにマイペースに流れてくれる。三寒四温とはうまく言ったものだと思う。日曜日はぽかぽか、今日は冬みたいだった。でも、スーパーで菜の花、いちご、いかなご、新子なんかを見ると、ああ、春なんだなと思う。
で、夢の話だが、まあ日常そのものかなと思う。小さくまとまりたい気分だ。最も、この「小さくまとまりたい。」というのは年下の友人の言葉で、私はとてもこの言葉がしっくりときた。「小さくまとまりたい。」いい感じだ。緩くて静かでいつでも瞼を閉じてゆっくりできそうな世界。
そんな世界があればいいのになあと思った。自分で作れそうだろうか。
2006年03月10日(金) |
生きることは即ち戦いなのだ |
金曜日は病院に薬をもらいにいってきた。先生と話すうちにどばっと涙があふれ出してしまった。人前で泣くのは何年ぶりだろう。
朝起きると体が動かず、会社に行けないこと、母親関連のことなどを話すうちに、何のためにどうして生きているのかわからなくなってしまった。私は母親のことがあんまり好きでなく、最低限育てて貰ったことに感謝はしているが、尊敬したり愛情をもつことはできない。
しかし、母親側からするとわたしは愛情を持ってしかるべし、と思っているようだ。それが重い。
「私が死ねば母親のことは福祉で面倒見てもらえますよね。体をこわしながら働き続けることの意味がわからないっす。」私はそう言うと鼻をすすった。文字にしたことはあったが、口に出すのは初めてだった。口に出すとすっきりした。
でも実際問題として死ぬのは大変だ。電車に飛び込んでも残された家族に賠償金がかかるし、睡眠薬を飲むにしてももの凄い量を飲まなければならない。となると、雪山か焼身自殺くらいしか思いつかないがむっちゃ苦しそうである。
私は無言でいろんなことが頭の中を駆けめぐった。結局お金がどうのということより、母親が私の人生に関わってくることが嫌なようだ。こればかりは民法上どうしょもない。
「先生が診断書、書いてあげるから。もう仕事をせずにこの診断書を福祉の人に見せて、扶養するだけの経済力がないからって言いなさい。」と先生が言った。
それでうまく行くのかなと思ったが、とりあえずやってみようと思う。道があればそちらへ行くしかない。
「先生、やっぱ私は働けないんすかね?」と聞いたら、「そんなことはないです。ただ、今はゆっくり休むこと、何も考えないこと。世の中には絶対にやらなければいけないこと何てそんなにないのだから。お母さんのことさえ片づけば、あなたは元に戻るから。」と言われた。
そっか、つきあっていかなければならないのだな、と思った。つかず離れず。この戦いはどちらかが死ぬまで続くのだろう。長生きしたくない、血縁者欲しくない。少子化だなんだと世間はうるさいが、結局年取った自分が誰かにおぶさりたいだけなんだろって思う。
自分を律して生きよ。それは私を含めた世間の人に言いたい。特にうちの母親のように糖尿病のくせにお菓子を食べ漁り、出不精で変な健康食品に頼って生きているような人間に。だからその若さで半身不随などになるのだ。言いたいことは山ほどあるが、ボケたふりして聞く耳をもたないので言ってもしょうがないが。
夜が来て、朝になって、憂鬱はいつまでつづくのだろう。
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