日々是迷々之記
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2006年02月28日(火) 二月最後の日

キャセロールにバターを落とし、たまねぎ、人参、鶏肉を炒め、ことこと煮込んでクリームシチューを作った。付け合わせはたまごサラダと、ブロッコリーとチーズのペンネ。かちゃかちゃとドアの開く音がして家人が帰ってきた。おや、今日はシチュー?と言った。

…こんな書き出しだとシチューのコマーシャルみたいでおしりがかゆくなってくる。シチューはいい。わたしはシチューうどんが好きで、一杯目はシチューとして食べて、二杯目はゆでうどんにシチューをかけて食べる。和洋折衷、LOVE小麦粉。

しかし、今日はこれが食べられないのである。明日は朝から腹部エコーと胃カメラの検査がある。今晩9時以降は絶食。まあワインは飲んでいるが。

今日は朝から職場に別れの挨拶をしに行き、近所の総合病院に行った。ものすごいテンションが低く、昨日は結局一睡も出来ずに天井の木目をじーっと見ていた。お腹は空かないし、酒もたくさんは飲めない。病院に行って体温を測ったらエラーが出た。ちゃんと挟んでくださいね!と看護士さんに怒られてまた測ったら、34.1度。もう、ちゃんと挟まないとだめです!と言われて測ったら、やっぱ34.1度。

あら、体温低いのね、しんどくないですか?と聞かれた。そりゃあんた、しんどいから来てるんだけども。3時間くらい待って、診察をしてもらうと「顔色が悪い!」と言われた。お腹を触診してもらうとどこもかしこも痛い。血液検査とレントゲン。そっちは異常がなかった。

では、明日は腹部エコーに胃カメラです。ということになった。胃カメラかあと気が重くなる。以前骨折して入院していたときにやったが、喉が細いのかなかなか入らず胃の中に入れた後もゴキュゴキュ動かされて疲労困憊。その後一日寝込んだ記憶がある。

仕事もいやだけど、病気もいやだなぁ。とまあいつ死んでもいいわいと思ってる割には苦痛は嫌なんである。


2006年02月27日(月) バイクその後。そして恒例の

金曜日は朝からオイル交換をしようと思っていた。が、オイルをそそぐジャグが見あたらない。多分、家人がこないだオイル交換をしたときにどっかにしまったのだろう。相変わらずのマイペース野郎だ。ということで夕方バイク屋さんへ行ってきた。

するとオイルがちょびっとしか出なかった。600ccなはずなのだが大さじ1杯くらい。ガビーン!整備不良じゃん。でも前交換してから1000キロも乗ってないのになあと思った。ちょっと奮発してちょっと高いオイルを入れて貰った。すると今度はオイルが全部入らなかった。ドレインプラグを開けると白濁した嫌な色のオイルがどぼぼと出た。

何かが詰まっていて最初出なかったようだ。しかしオイルが白濁しているというのは水が入っているということであまりよくない。ああ、カブよすまんねぇとちょっと詫びた。機械はしゃべらないからこっちがちゃんと気をくばってあげなくてはいけない。

土日は新潟へスキー。土曜日は晴天で楽しく滑れたが日曜日は朝から雨。私はモチベーションを失い、待合室でずっと寝ていた。対して家人は雨の中びしょぬれになりながらガンガン滑っていた。「そんなに雪、悪くないで。」と言っていたがそういう問題ではなく、雨の中滑るのが嫌なのだ。雨でも滑ろうというモチベーションは一体どこからくるのだろうか。

そして今日月曜日は胃が痛かった。原因のほとんどは週末の飲み過ぎ食べ過ぎのせいだが、これから日常がはじまることも原因の一端だ。今日こそは親の病院に行かなくては。むちゃくちゃ気が重い。

案の定、「あんた何その帽子。」と私のニットキャップを指さして言った。半分死にかけているわりにケチをつけるのは一人前だなあと思った。「さぶいねん。」と私は一言。じゃあ、お金を払って帰るからと言うと、テレビカードを買ってきてという。テレビカードは4日有効で1000円。販売機が1000円札しか受け付けないので手持ちの2000円分だけ買って枕元に置いてきた。「あんた鶴見区に土地を200坪買ったんだってねぇ。」と言われた。どっからそんな話が出てくるのだ。買ってないよ。と一言言った。

これがいつまで続くのだろう。今65歳。あと20年生きてもおかしくない。生きている限り毎月こうやって足を運ぶことになるだろう。生活保護は却下された。

「夢をかなえよう〜♪」という歌詞の歌が待合室のテレビで延々と流れていたが、夢なんて見てもあんまり意味がないんじゃないかと思う。なんぼ月収1000万円、平和な家庭に外車に持ち家だろうが、親が倒れたら一気に負担が来る。つきあいのなかった親族がやってきて面倒の見方が悪いとののしられる。病院におむつは運ばないといけないわ、介護保険料は支払わなければならないわ、人を一人養うというのはとても重いことだ。正直父親が亡くなっていてくれているのでちょっとほっとしている。両方とも同じように倒れて入院していたらどっちも見なければならないからだ。

正直ブラックジャックのドクター・キリコ(安楽死専門の医者)が本当にいればいいと思う。いつか治ってまた自分で働いてという見込みがあるのなら別に入院していても構わないが、正直テレビを見ながら最後を待つだけと言う場合、なんかムダな気がする。

まあこんなことを考えているから「あんたは地獄に堕ちる!」などと母親の妹さんに言われるわけだが。私はもともといい人でも何でもないので天国か地獄かどっちかならまあ地獄の方に行くと思ってはいるのだが。

将来あの人は死んでしまうわけだが、その後の展開も容易に予想が付く。まず顔も見たこともなかったおじさん、おばさんたちが現れて、遺産の話になり(母親は祖母が死んだときに総取りしたらしい。)、何もないというと罵倒されるだろう。そして誰も悲しまない葬式をし、どっかに私が墓を買ってそこに遺骨を納めることになるだろう。そこで再び「あんたは情がない。」とかそういう話になって、ちょっと鬱が入ることだろう。

「まだ起こっていないことで悩むことはない。」というのは家人がよく言う言葉だ。確かにその通りでその場でどうにかしてもたいがいのことはどうにかなるようだ。

33年も生きてきたのに生き方がよくわからない。人生って一体。


2006年02月23日(木) さらば仕事、そしてバイクの日々が来る

朝5時に起きて8時半に派遣会社に電話した。気持ち的にもう仕事はできないとのことを伝えると、そうでしょうね、という感じで受けとめてもらった。もともと向かない仕事を勧めてしまって悪いなあと思っていたようだ。最終日に挨拶に行くのもついてきてくれるらしい。

仕事のことが一段落して私は眠った。夢は見ない。幸せな睡眠。再び目が覚めたのは夕方3時だった。「ああ、もうデータ入力はしなくていいのだな。」と思うと安心する。お茶を飲んでひといきついた。

さて、買い物に行くかと思いつつ、カブの整備を先にしないといけないなあと思った。実は2週間前、家人が自分のバイクを整備していてバッテリーのビスをなくしてしまい、カブから外していったのである。私はなんつー自分勝手やと思いつつ、別のバイクでバイク屋さんに行き、ビスをもらってきたのである。

家人は少しは悪いと思っているらしく、俺が付けておくから、と言いつつ平日は帰るのが遅いし、週末はバイクで出かけてしまう。ということで可哀想なカブはバッテリーのカプラーを外されたままさびしく駐輪されていたのだった。

よっこらせと買い物の道具とヘルメット、そしてもらったビスを持ってカブのところへ行く。カブは5年目だが、バッテリーは買ったときのまま。一度も開けたことはない。10円玉でカバーを外して10ミリのスパナでバッテリーケースのカバーを外してカプラーを接続。そして元通りにカバーをかぶせてキックを蹴る。7回目くらいでやっとエンジンがかかる。元々バッテリーが弱っているのでこんなもんか。なんとなくすまないねぇという気持ちで断機をする。

実はカブを手放そうかなと思ったことがあった。VTR250を買って、そっちばっかり乗っていた時期だ。元々カブはかなりブレーキがしょぼいので荷物を積んだときなどはブレーキングにかなり気を遣う。危ないからもう乗らんときや、というのが家人の意見だ。まあそれも正しい。確かにカブのブレーキはしょぼくて、何度もリアがずるずると流れた経験がある。しかし私は、そのたんびにカブってしょぼいなと思うよりは、カブにはカブの走らせ方があるのだなあと思ってきた。急ブレーキは御法度なのだ。

しかし、灯油、5リッターのペットボトル入り焼酎などを買うときはカブでないとだめだ。一度歩いて灯油を買いに行ったことがあるが、帰りに手が死にそうになった。

買い物に行って、カゴ満載のたべものを買った。もちろん焼酎5リッターも鎮座している。ついでにホームセンターに行って、オイル交換用の廃油を入れる箱を買った。明日は会社に行かなくていいのでプチ整備日なのだ。

家に帰って手を見た。昨日の晩、クリームで手をマッサージして、マニキュアまで塗ったというのにもうガビガビになっている。いやはや。塗り直しは苦手なので剥がして終わりだろう。バイク乗りの女子はどうやってその美を保っているのだろう。

明日オイル交換とタイヤの空気圧チェックをしたら、月曜日はどっかに走りに行こう。距離は長いほどいいような気がする。あったかいほうへ。


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