日々是迷々之記
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2006年02月03日(金) 狙うおんな

会社で同僚の会話を小耳にはさんだ。何でも結婚しているのに指輪をしていない人からは「何か」を狙っているような印象を受ける、というような内容だった。

なにか「胸が大きくて金髪だとバカ。」と同レベルな話だな、と思いつつ、私も指輪をしていない。意図してしていないのではなく、ないのである。普通は婚約や結婚などの節目で指輪を購入するようだが、うちは興味のないものにはお金を出さない方針なので、そういったものは最初から買ってないのだ。

しかし、こういうことを人に話すとまるでこいつはジャワ原人かというような目で見られる。特に女性はそういう人が多い。しかし私も社会と接して当たらず触らず、日々のほほんと生きることを望んでいる。なので、形だけでも指輪をするか、と思い立ち、宇宙百貨かどっかで指輪を買ったことがある。

しかし、私の手は分厚くて手のひらが大きく、指が短くて先っぽは細いのに根っこが太い。そして爪が丸い。もみじまんじゅうに長体(いわゆる縦伸ばし)をかけたような形である。そんな指にはまる指輪があるわけでもなく、夜店で売っているようなフリーサイズのやつだった。

店の選択から買う物まで何もかもが間違った指輪選びがうまく行くわけもなく、わたしはあっさりその指輪をなくした。

しかし、私は指輪という野望をあきらめたわけではなかった。一度勇気を出して宝石を売っているカウンターできれいなおねえさんに指のサイズを測って貰ったことがある。その結果は言いたくない。桁が違う。7号の人とかがいることが信じられなかった。わたしの三分の一って、ああいうもんが三分の一ってどういう意味なんだ。要らぬ恥をかいて私はそのカウンターから足早に立ち去った。(しかしこのカウンターも別に宝石屋じゃなくてロフトの1階のアクセサリー売り場なのだ。)

月日は流れ、また指輪を買った。いつか日記に書いた気もするが、チタンを練り込んだ樹脂でできた肩こりの治るという噂の指輪だ。といっても見た目は輪切りにしたゴム製のガス管である。

これはとても結婚指輪には見えないわけで、まだまだ私は何かを狙っているあやしいおんなとして同僚の前をうろうろするわけである。どこかに以下のような指輪があればぜひ情報をお寄せ下さい。

・21号
・結婚指輪に見える
・なくならない
・買える値段

ちなみにサイズは家人とだいたい一緒であることが判明。軽く死んでみたい気分だ。握力が80ナンボの男と一緒のサイズって一体…。


2006年02月02日(木) 何をいまさら

前の日記に書いた仕事に就き、働きはじめて一週間。それなりに忙しく、雑念の少ない日々だった。しかし、今晩その静寂を破るがごとく電話がかかってきた。

かけてきたのは母親の妹さん。奈良県在住のTさん60歳前くらいだ。先日見舞いに行ったら、母親が哀れな顔をして、「お金がないからテレビを見れない…。」としょんぼりしていたとのこと。病院のテレビはカード式で、700円でカードを買い、それをテレビに挿入すると4日間見ることが出来るようになっている。余りにも可哀想なので3万円置いてきたとのこと。

そして、一撃。「なおちゃん、あんた、自分だけ幸せになろうとしたってあかんで。親の恩を忘れたらあかんで。」とのことだった。

「自分だけ幸せに。」なんて思ったことはないのだが、はたから見ると私はそんな人間に見えるのだろう。母親が寝たきりで入院しているのに、見舞いもろくに行かず、放置された母親はお金がなくテレビも見れない。そんな状態にしている私が傲慢に映るのだろう。

反論はしなかった。確かに私は幸せになりたいと思っている。私の回りの友人や家族など、私のことを肯定している人がみんな幸せになればいいと思っている。逆に、邪魔する人に関心はない。母親はこの場合「邪魔する人」の方に入るのが事実である。

「自分だけ幸せに。」なりたがっていたのは母親であり、そのために私や妹を持ち駒のように動かしてきた。思い通りの学校に有無を言わさず入れ、お金を徴収し、小銭を数えて小さな幸せに浸ってきたではないか。それが今帰ってきているだけではないのだろうか。親に捨てられることと、テレビを見れないことのどっちが不幸かよく考えてほしいものである。

私は母親に会うと鬱が入ること、実際に話をしても仕事を辞めて家で面倒を見てくれとか言われるだけでうっとうしいから見舞いには行かないと正直に言った。するとおばちゃんは、自分のところの息子夫婦、娘夫婦がどれだけよくしてくれて、どれだけ幸せか語るのだった。そりゃ普通の親子関係ならそれでいいのだろうが、うちは違うのだ。なんでそれを理解しないのだろう。

別にばちが当たろうが、地獄に堕ちようが、私は母親の思い通り(ダンナと離婚して、母親を引き取り、家で面倒を見つつ、仕事をする)になる気はない。大体、ダンナか母親かどっちか選ばなければいけないという状況が異常な気がする。しかし、実際はそれしかないのである。母親はダンナが気に入らず、未だに「アンタはあの男に騙されている。お母さんが言ってあげるから。」とか言っているし。妹には「大阪に帰ってきて、お母さんと一緒にスナックをやろう。」としつこく言っていた。

腹が立つから病院に行って母親とおばちゃんの目の前で灯油をかぶって焼身自殺でもしてやろうかと思ったがバカバカしーからやめた。そんなことしても今度は妹に私の任務が回るだけで、まさしく「自分の幸せだけを考えている。」状態になってしまう。

今は堰になってわるいものが回りに流れ出さないようにするのが私の仕事かなと思う。「柳に枝折れなし。」と精神科の先生が言ってくれたし。うわべだけはおばちゃんに感謝しているふりをして、適当にやりすごそうと思う。ありがとうございます、すみません、至りませんでした…。それだけ言ってればいいんだし。

私の回りの人たち、幸せになってください。


2006年01月23日(月) おやこの絆

今日は朝からアタマが痛い。どうも昨日バイクに乗ったので風邪でも引いたようだった。昼頃ダウンして寝ていたら、狙いを定めたように電話がばんばんかかってくる。派遣会社、物売り、などなど。

派遣会社もなかなかやるもんで、私がやりたいと言った仕事とは別のを勧めてきた。同じ会社の同じ部署でやることがちがうらしい。経歴を見た先方がそっちのほうが向いていると判断してそう打診して来たとのこと。まあ別にいいんだけれど4月の末までの予定とのこと。その後はどうなるのか訊いてみたら、出来いかんによっては最初にやりたいと言った仕事に変われることもあるとのこと。こういうパターンだとまあ4月末で終わりだろう。でもまああんまりふらふらしているのもあれなんで、明日は面接に行くことにした。

夕方、区役所に印鑑証明を取りに行って帰ってくると、某区役所から電話があった。母親の生活保護の件だ。もう一度来いとのこと。私は全然行きたくないので仕事があるし、訊きたいことがあれば電話で言ってくれと言った。すると、どうしても直接会って話をしたいタイプの人みたいだった。来いとうるさい。それで何を訊きたいのか聞いたら、「この通帳にお金を振り込んでる○○さんて誰ですか?」という質問だった。知りませんと言ったら、こんな毎月お金を振り込んできているのにおかしいと思わないのですか?と言われた。

親の通帳に誰かがお金を振り込んでいたら、子供はそれについて知っていないとだめなんだろうか。悪いが私はあの人に関心はない。相手は私の他人行儀な態度を不審に思っているようだった。

「私は行きません。自分の用事があるのに他人に時間を割く気はありませんので。最も、私はあの人のことをあまり知りません。調べたいことがあったら興信所でも使って下さい。」と言うと、いや、そういう訳にはネ、それじゃ通りませんよ。と言われた。通らないもなにも、生活保護をもらえないと困るのは私ではなく、母親である。だめならだめでいいっすよ、と言った。すると今度は「申し立て取り下げ用紙に記入する必要があります。」とのこと。どれだけ他人が犠牲になれば済むのだろう。

この国のシステムは誰かが誰かを養うことが大前提でできあがっている。そのつながりが家族や国家を作っている。どうして独立した一個人という考えができないのだろう。今のままのシステムだと、とりあえず生んでおけば、将来老いたときにその子が面倒を見る。生めば生むだけ得なようになっている。「子供が親より先に死ぬのは最大の親不孝」とはよく言ったものだ。

そんな感じでゆううつのネタは尽きずにやってくる。もし生活保護が受けられなくて、私も病院代を払わなくなったら、どうなるんだろうか。うちに差し押さえが来るのかもしれないが、別にまあどうでもいい。何が起こってもこうやって日記のネタにするだけなので。

親子なんてこんなもんである。頼んでもないのに勝手に生まないでほしいもんである。めんどくさい。


nao-zo |MAIL

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