日々是迷々之記
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2005年11月13日(日) 紅葉、バイク、ラーメン

朝から気持ちよく晴れていた。空気が澄んで秋らしい。家事をさっさと片づけて10時すぎからバイクで六甲へ。

43号線→西宮大沢線で六甲入山→西へ→表六甲で下山というルート。山頂近くでバイクを停め、ちょっとトレッキング気分を味わう。名前は忘れたけど眺望のよい場所まで1キロとあったのでてくてくと歩き出す。

これが暑いんである。パッチまで履いて、冬用ジャケットに薄手のセーター。トレッキングの人たちは長袖Tシャツ一枚とかである。バイク乗りと登山を同時にやるのはビミョーだったようだ。

Autumn Leaves 2005

紅葉の写真を撮ってバイクのところまで下りる。膝が痛んできて参った。5年前に骨折してから山登りみたいなんは初めてだったので、膝が堪えているようだ。とほほ。

自販機でオレンジジュースをうぐうぐと飲み、ほっと一息。この辺から雲が出てきて寒くなってきたので、のんびり流しながら下山。

帰りは国道2号線から帰る。芦屋のラーメン激戦区でラーメンを食べるのだ。今日は日の丸軒らあめんという店。



ランチタイムなので105円で食べ放題という「豚菜ごはん」も注文してみることにした。それとレギュラーらあめん609円。

Regular Ramen 609yen

これが当たりだった。湯気も出ないほど脂で覆われているが、麺は固ゆで、キャベツ、もやし、きくらげなどの具であっさり頂ける。トッピングの揚げネギも香ばしくていい感じ。

Rice with veg and pork 105yen

ごはんは中華のちまきっぽい味だった。豚肉とタケノコ、人参などが入ったあっさり醤油味。テーブルの上のザーサイも食べ放題。大満足であった。

お店の気配りもイイ感じで、ジャケットを脱いだらすかさず籐のかごをもってきてくれて床に置いてくれた。そこに入れられるようになっていた。

今日はレギュラーらあめんを食べたが、他のお客さんはスペシャルとかネギトロらあめんを注文していた。今度は他のメニューにチャレンジだ!

帰りは43号線で一気に帰る。家に帰ったらまだ2時なんだが、おなか一杯でめっちゃ眠い。

幸せな事よ。いい一日だった。


2005年11月12日(土) 布団の中の二日間

先日「キッパリ!」をくさしたせいか、熱が出て寝込んでしまった。(笑
ほぼ2日間布団の中でじーっとしていた。寝たり、本を読んだり。大昔の少女漫画一気、とか、ねこぢる著作一気などをやっていたら、頭の中がふわふわしていた。そして最後に「自殺されちゃった僕」を読み返した。

この本は、友人二人(ねこぢる、青山正明)、そして奥さんを立て続けに自殺で失った人の手記だ。以前一回読んだのだが、あまりの重さに読み返すことはなかった。それを手に取ったのである。

やはり重かった。世の中には死ねる人と死ねない人がいて、死ねる人は死んでしまい、死ねない人が生きている。総じてしまえばそういう結論なんだが、私はどっちなんだろう。別に今死んでも構わないけれど、そうしてしまえば親のことを他人に押しつけることになるわけでそれは本意ではない。逆を言えば私が天涯孤独で寝たきりの母親しかいないという状況だったらとっくに死んでるってことだ。

親というのはくじ引きみたいなもんだと思う。大体あたりで一部はずれ。はずれを引くと一生引きずる。民法上扶養義務があるもんで、いわゆる絶縁や親子の縁を切るという法的手続きはできない。子供の頃、どんな不合理な仕打ちを受けても、ボケれば世話をしなければならない。それが日本の法律なのだ。

そんなわけで自殺というのは一つの選択肢なのかもしれない。あ、別に今すぐという意味ではなく、カバンの奥底にナイフをしまっておくと心強いみたいな感覚で言っているんだが。

夕方、起きられるようになったのでナンバに行ってきた。ジュンク堂で「完全自殺マニュアル」という本を立ち読みするためだ。が、しかし18禁らしくビニールでくるんであって中は見られなかった。私はどんなに内容が素晴らしくても、文体が気に入らなかったら読めないんである。まあいいか、と思い、西原理恵子の新刊を買った。

レジの近くに「キッパリ!」の著者の続編のようなものが出ていた。似たような表紙なんですぐにわかる。2匹目のドジョウとかそういう言葉を思い出す。腰に手をあてて、斜め上を向き、拳をつきあげれば元気になる、って平和なんだなぁと思った。

話は全然関係ないが、宇多田さんの新曲「Be My Last」をiTunesMusic Storeでダウンロード購入したんだが、あまりの暗くて深い世界に絶句してしまった。一体何があったんだ、と思ってしまった。大金持ちだろうし、才能もあるし、若いし、幸せなはずなのにあの歌詞の世界って一体…。「育ててきたものを壊さなければいけない」、「いつか結ばれるより、今夜一時間会いたい」って、どうしたんだぁと私が彼女の姉とかなら話を聞きたいと思ってしまった。

精神的に深い世界を意識して生きてゆく生き方というのは、日本ではしんどい生き方なのかもしれない。お金で買える幸せで本当に幸せになれる人にはいい国だけど。

んわっ。今日の日記はオチがないなぁ。


2005年11月09日(水) 「キッパリ!」ポジティブな生き方

最近ブックオフにちょこちょこ行っており、目に付いた古本を買い一日一冊くらいのペースで読んでいる。安いのでちょっと気になったらさっと買うため、家に帰って読み込むと「あれれ?」と思うこともたまにあり。今日はそんな本について書こうと思う。

「キッパリ!」(上大岡トメ著)という本である。ジャンルとしては自己啓発本だと思う。が、よくある「そのままの君でいいよ。」とか言われてもそれでいいわけないやろが、とか思う方なので、この手の本は傍観者的視線で見てしまう。その点、この「キッパリ!」はどうかというと、もう一つ自分から遠いところにある感じがした。

サブタイトルは「たった5分間で自分を変える方法」である。それらの方法は、半分が子供のしつけ的内容(靴をそろえるとか)、もう半分は私に言わせれば自己欺瞞だと感じた。

しつけ的内容に関してはうなづくところもある。靴をそろえる、洗面所の鏡を磨く、今日出したものは今日片づけるなど。まあ、実際はそうしているし。しかし問題は同居人がいる場合は自分のことだけやっていても全体の統制は取れない。その辺はどうなんだろと思った。他人の後始末も自分でやるのか、それとも従わせるのか、自分の分だけやればいいのか、いずれにしても「キッパリ!」とは行かないと思うのだが。

しかしまぁ、この辺はまだかわいいほうで、自己欺瞞的部分にはこんなことを書いたら著者の人間性まで疑われるのではないかという心配をしてしまう記述がいくつかあった。

何かを話すときに、「波風を立てずに嘘をつく。」んだそうな。「最低でもひとつは本当のことをおりまぜて話す。」そうすると「後ろめたさが少なくなる。」とのこと。んんんー、いいのか、人付き合いってそんなことで。それって水商売の話術ではないか。客が女の子に「昼間何やってんの?」とか、興味もないけどまあノリで…というレベルの会話ならそれで十分だと思う。

しかし、友達、家族相手にそりゃあかんのではないだろうか?相手は知りたいから訊くんだろうし、それにその手の不誠実な答えって…。答えたくなければ、「言いたくない。」って言えばいいんではないだろうか。その方が「後ろめたさ」は少ないと思われるのだが。

他にも、携帯のメールが来て返事を打つのがめんどくさかったら、とりあえず「うん」だけ書いて送るとか、「嫌ならやらなきゃええやんか。」と思わせる部分が多々ある。この作者のヒトは「なぁなぁも人付き合いのうち。」みたいな考え方なんやろなぁと思った。

携帯メールにしてもパソコンのメールにしても、めんどくさかったら返事しなければいいんではないだろうか。めんどくさいと思う時点でその話題には緊急性がないから後でいいやと思ってるわけだし。レスするのは後に会ったときでも、気が向いたときにでもいいではないか。とにかく「うん」てのはやる気なさが全面に出ていてまずいのではないか。返事が来ないことよりも数倍腹立つんだが。

という感じでこの「キッパリ!」という本では私は変わらなかった。でもまぁ、これが現代女性のポジティブな生き方ってやつかな、とは思う。若い男性の友人が、「女性が強くなったとか言うけど、キツくなってるだけっすよねー。」とか言っていたのと何かシンクロする。弱いより強い方がいいけど、嘘とかなぁなぁで渡り歩いてもつまらんだろうが。

というわけで、この本は「古本屋に売りに行く本」の箱に入れられることとなった。さらば。


nao-zo |MAIL

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